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第7章 断罪の舞台裏とその後 第30話-洗濯部屋(ノンナ視点)

 ノンナがフォートハイト伯爵家から脱出したのは、夜会の1週間前。

 ソフォスアクシ家からの招待状が、フォートハイト家に届いた日のことだった。


 ***


 数日前から、マクシムが転移魔法を使って訪ねてきて、準備を進めていた。

 転移場所は洗濯部屋を指定した。


「臭くて……申し訳ありません」

「魔術騎士は嗅覚調節の魔術を習う。問題ない」


 平然とした声に、ノンナはわずかに肩の力を抜いた。


「討伐で臭い魔獣も多いとか?」

「そう。逆に感覚を研ぎ澄ませば、魔力の痕跡も嗅ぎ分けられる。たとえば、隣国の学者ドンネステ博士はその感覚で捨てられた赤子を救った」


 マクシムは淡々と語りながら、ふとノンナを見た。


「その赤子は『対の目』の力を持っていた。精霊眼を補佐する特別な存在だ。ノンナ嬢と同い年だよ」

「……精霊眼とは、私の持つ災いと呼ばれている力ですね。フォートハイト伯爵令嬢リリアーヌ様が使っている」


 マクシムは「精霊眼は災いではないよ」ときっぱりと言った。


「けれど、フォートハイト嬢が使う精霊眼は魔力の流れが歪んでいた。対の目を持つ者に観察させたが、何も感じなかったそうだ。ノンナ嬢の場合は違った。強い反応があった」


 ノンナは小さく安堵した。あの傲慢な異母姉が「対の目」に認められたら、気分が悪かっただろう。


「血縁のある対の目……そうした例も記録にある」


 マクシムの言葉に、ノンナの胸がざわついた。


 ――家族……?


 その響きが胸に温かく満ち、思わずつぶやいた。


「私の……家族」

「知りたいか?」

「はい」


 ノンナは即答した。

 マクシムはうなずき、ノンナの髪に手を伸ばした。


「少しだけ髪を。毛根は不要。痛みもない」


 くすんだ泥色の髪を見つめ、彼は眉を寄せた。


「……雑で下手な染色魔法だ。髪が傷んでる」

「伯爵夫人の趣味です。私を傷つける方法なら、手段を選びません」


 マクシムは無言でノンナの髪を数本切り取り、袋にしまう。


「……つらかったな」


 不意打ちの言葉に、ノンナは息を飲んだ。

 マクシムの目は真剣だった。視線を逸らし、頬が熱くなるのを感じる。


「慣れてますから」

「慣れることが正しいとは限らない。あなたはここにいるべき人じゃない。おとしめられる理由はどこにもない」


 ノンナは唇を噛み、しばらくためらった末、決意を口にした。


「……脱出の手配、よろしくお願いします」


 声はわずかに震えていた。

 マクシムは立ち去り際にぼやいた。


「染色がひどいな……これじゃ親族判定が難しい」

「毛根がついていた方がいいですか?」

「それじゃ、ノンナ嬢が痛いだろう」


 ――優しい人だな。


 マクシムは別れの挨拶をして、すぐ洗濯部屋から消えた。


 ノンナは深く息を吐き、洗濯物を手早く片付け始めた。

 マクシムから教わった「抑え」を外すと、魔力の流れが一気に軽くなり、動きがキビキビする。


 この部屋は臭いし、誰も寄りつかない。怪しまれる心配はなさそうだ。


 ――うまくいく。ここを抜け出せば、自由になれる。


 その未来は、すぐそこにある。


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