夜会での計画について危惧するノンナの声には、名前すら口にしたくない継母への恐れと怒りが滲んでいた。
しかし、信頼する仲間と共に真実を暴くと、すでに決めている。
その意志が、拳に自然と力を込めさせた。
侍女は「お茶を持ってこさせますね」と微笑み、部屋を後にした。
その柔らかな物腰にノンナは緊張を解き、拳をほどいた。
ふと伸びをしたところ、サンディも同じ動きをして、ふたりは顔を見合わせて笑った。
やがて温かな飲み物と甘い菓子が届く。
焼き菓子をひと口ほおばる。
優しい甘さがじんわりと広がる。
ノンナはホッとしながら、同時に思い出した過去に少しだけ顔をしかめた。
――甘いものって、良い思い出がない。
ノンナはおやつを与えられず育った。
甘い味は、知っていた。
床に落ちた祝い菓子のかけらをからかうように渡され、食べることを強いられた。
笑われた。「拾い食いするお嬢様」と嘲られた。
それでも……口に入れた瞬間、とろけるような味。それが甘さと理解した。
あの味は、本当に美味しかった。
日常的に味わう甘さは、ゴードに無理矢理飲まされる魔力を封じるための薬だった……。
ノンナにとって、甘さはいつも屈辱と隣り合わせだった。
それでも、美味しいと感じたことだけは、嘘ではない。
――だからいま、誰にも笑われずに味わえるこのひと口が、何より贅沢だった。
ノンナは誰にも気づかれぬよう、小さく首を振った。
嫌な思い出を振り切って微笑むためだ。
いまは、ノンナ自身の意思で甘いものを口にできる。
仕事のあとにおやつを食べて、ようやくほっとひと息つける。
そんなささやかな自由が、何よりの贅沢だった。
ノンナはふと表情を引き締める。
「……精霊眼の調整、ひとりじゃ無理です。制御しきれない。細部が、思った以上に複雑です。正直、怖いです」
サンディが「だから対の目がいるんだ」と静かに言った。「ノンナ嬢の精霊眼は、ただ見る力じゃない」とマクシムが補足する。
「記憶に染みついた感情や意志まで拾いあげる。だからこそ映像が歪みやすい」
サンディはメモを開いて読み上げる。
「さっきの侍女さんの記憶。侍女さんの感情が高ぶった瞬間、映像の輪郭がぼやけてた。影響されたノンナの感情のノイズが作用していたと思う」
「なるほど。サンディの指示で安定したけど、再現性はまだ不十分だ。訓練が要る」
マクシムがうなずく。3人は熱心に意見を交わし、ノンナも質問を挟む。議論は白熱した。
やがてマクシムがノンナを見つめて言う。
「精霊眼を扱うのは難しい。でも、それだけ大きな可能性がある。僕らを頼ってくれ」
その言葉に、ノンナは背筋を伸ばした。
信頼と期待を実感する。
――この人たちとなら、乗り越えられる。復讐……正義の実現も、きっと叶う。
***
ある日、侍女がふと呟いた。
「13歳の頃のことは……思い出したくないんです。何も分からず、無力でしたから」
侍女は、辛い記憶ではなく、将来の夫との交流だけを映してほしいと望んだ。
しかし、ノンナはうまく投影できない。
映像は断片的で、すぐに霧散する。
焦りが募る中、サンディの念話が飛んできた。
――魔力を抑え気味に、断続的に放出してみて。――
ノンナは深呼吸し、再度集中した。
放出するコツを飲み込んでから、魔力映像は驚くほど安定した。
陽だまりの中、ぎこちなく笑い合う若いふたり。侍女と未来の夫。
その初々しさに、ノンナは静かに息をのんだ。
休憩中、ノンナは笑顔で報告した。
「サンディのおかげで、コツがつかめました」
それを聞いたマクシムがしみじみと言う。
「……細かい操作をする感情の揺れや戸惑いを見抜く力。やっぱり、対の目の役割は大きいな」
ノンナは微笑み、うなずいた。
――たとえ失敗しても、サンディの支えがあれば前へ進める。
サンディも静かに笑みを返す。
「私は操縦士じゃない。ノンナが船なら、僕は水先案内人。道を示すだけさ」
マクシムはサンディとノンナに、敬語は不要だと告げている。
マクシムは自分に向けた言葉に、素朴な尊敬を込めた笑みでうなずいた。
ノンナは思わず笑った。
理屈っぽいのに、不思議と安心感がある。飾らないその言葉が、彼の優しさを際立たせていた。
「航路は示す。でも舵はノンナが握る。それでいい」