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第34話-奇妙なざわめき(ノンナ視点)

「サンディに会う前、マクシム様が言ってた。対の目は『精霊眼を補佐する特別な存在だ』って」


 ノンナは少し照れながら続けた。


「サンディがいてくれて、本当に救われてる。ありがとう」

「当然だ」


 短く返したサンディの声にも、わずかに照れが混じる。冷静な弟の素朴な反応に、ノンナは微笑んだ。

 サンデイにとっては当然でも、ノンナにはかけがえのない支えだった。


 ***


 夜会の数日前、魔術騎士団が用意した魔導具が大広間に設置され、威力を発揮した。


「魔術騎士団渾身の自信作だ」


 過去視の投影は見違えるほど鮮明になっていた。

 侍女と護衛青年の恋、結婚。

 家族の記憶が映し出され、侍女は静かに涙を拭った。


「まるで昨日のことのよう……亡くなった両親や妹にも会えました」


 ノンナは、その映像の温かさに、精霊眼が映す「感情の重さ」をあらためて知った。


 ***


 そして夜会当日。ソフォスアクシ公爵親子が整えた舞台設定で、ノンナは堂々と力を発揮した。


 サンディに支えられ、ノンナは過去視を行い、双子が母ユリアと引き離された事情の真実を明らかにした。


 魔力を使い果たし、ノンナが椅子に崩れ落ちると、ロルウンヌ子爵セオドアが助力を申し出た。

 セオドアはノンナが示したの過去視が真実だと見抜いた。公平かつ毅然とした態度でエリゼーヌを追及し、ついに真相を語らせた。


 ユリアは、助産師不在の出産で命を落とした。

 サンディは、右目を失い死にかけた。

 ノンナは、「淫婦の娘」と蔑まれ、伯爵家で奴隷となった。

 ドナルドは、感情を禁術でじ曲げられ、エリゼーヌの愛玩物として封じられた。


 エリゼーヌが隠していた罪が、ひとつずつ明らかになっていく。


 ゴードの死、エリゼーヌの重傷。

 後味が悪い幕引きとなった。

 他に巻き込まれた重傷者が居なかったことが救いとなった。


 ***


 夜会から数日、マクシムと公爵は外出が続いた。事後処理すべきことが山積みだった。


 ノンナとサンディは公爵邸に残った。


 体調を崩したノンナは休養した。

 医師の診断では、過労と魔力消耗で、数日の安静が必要とのことだった。


 サンディは護衛として付き添う。

 魔術騎士団員でもあるサンディは、報告書の整理にも追われていた。


 ***


 ノンナが回復しはじめた時期に、エリゼーヌとリリアーヌへの処罰感情について問い合わせが来た。

 ノンナとサンディは相談し、継母に徹底的な処罰を望むことを表明すると決めた。


「伯爵令嬢は……絶縁できれば、それでいいです」


 ノンナは静かに言った。声に怒りも憎しみもなかった。


「ノンナを虐めていたんだろう?」


 サンディの問いに、ノンナはわずかに眉をひそめた。だが、もう吹っ切れていた。


「ええ。でも……なんていうか、年上だけど子どもみたいなところがありました。私を虐めていたというより、誰かにほめられるために、私を踏みにじって笑っていただけ……そんな感じです」


 ノンナは、椅子の肘掛けを指先で軽くなぞる。


「……私の時間を、血が繋がっているだけの他人への憎しみに使うのはもったいない気がします」


 そう冷たく言い切ってから、少し表情を緩めた。


「それよりも、私たちに関わりなく、自分の足で立って、痛みながら学んでほしい。守られた場所じゃなくて、社会の中で役割を果たしてほしいです」


 言葉は穏やかだったが、その芯には確かな意思があった。

 少し微笑んだノンナの横顔に、過去の影はもうほとんど残っていなかった。

 サンディは同意するように無言でうなずく。


 すべてはサンディが回答し、ノンナは関わらなかった。


 ***


 ゴードによる爆発事件の詳細も届いた。

 報告を聞いたノンナは、ひとことだけつぶやく。


「……ゴードさんらしいです」


 苛烈な忠誠心。そして、あまりに悲しい結末。

 ノンナの口からそれ以上の言葉は出てこなかった。


 追加の調査により、サンディが捨てられていた場所が、ゴードの養母・シーガの故郷のすぐ近くだったことが判明した。

 十数年前、赤子をぞんざいに扱うシーガの姿を目撃したという隣人が証言している。

 だがシーガはすでに数年前に他界しており、詳しい事情はもう誰にもわからなかった。


 いくつかの謎だけが、静かに残された。

 なぜゴードは、利用価値のない双子の男児にとどめを刺さなかったのか。

 エリゼーヌの金庫に残された書類の中にユリアの一件についての記録があった。

 しかし、のちにサンディと呼ばれる赤子に関する記述はなぜか曖昧だった。


 魔術騎士団はゴードの私室を徹底的に調べた。

 私的な日記の類は発見されなかった。

 そこにあったのは、ノンナが使っていた小屋とよく似た生活道具。

 上質で清潔な仕事着が数着、身支度のための最低限の品々だけ。


 違いは、使われぬまま貯まり続けた給金が記された、侍女ギルドの通帳が何冊も積んであったことだ。


 約20年前にまとまった金額が出金され、同額が戻されている。

 主人エリゼーヌがいつか使うために媚薬を買い、使ったのち、その金額を返金されたのだろう。


 そして、壁に数枚のエリゼーヌの肖像画が掛けられていたのも、小屋とは違っていた。


 ***


 事件から1週間。

 3人は久々に落ち着いた時間を過ごしていた。


「魔術騎士団の仕事は一段落だ。しばらく外出も控える」


 ソフォスアクシ公爵夫妻も交えた夕食の後、3人が集まった部屋で、和やかな会話が続く。


「サンディの生きがいは研究ね」


 ノンナの言葉に、サンディはうなずいた。


「父さんが教えてくれた。研究は命を救う力になるって。私を拾ってくれたのも、その力があったからだ」

「素敵なお父さんね」


 そう言った瞬間、ノンナの胸に小さな痛みが走った。思い出したのは、自分の父……愛を与えてくれなかった虚無の存在。


「……ごめん。ノンナには、誰も手を差し伸べてくれなかったんだね」

「そうね。でも、いまは違う。研究も、魔法も好きになれた。失敗しても、サンディやマクシム様が支えてくれるから」


 その声には、確かな自信と感謝があった。


「過去も、無駄じゃなかったと思えるの。あなたたちのおかげで」


 サンディは少し渋い顔で微笑んだ。


「でも、手加減はしないよ。高みを目指そう」


 ノンナも笑った。

 だが、その笑みは長く続かなかった。


 ふと、胸の奥に、微かな波紋のようなものが広がる。

 脳裏に、ほのかに引っかかる感触が走る。

 サンディの言葉……「高みを目指そう」。

 その響きが、彼女の中に潜んでいる何かをそっと揺らした。


 左目の奥に揺らぎが移る。

 まぶたに触れた指先がかすかに震え、背筋に軋むような予感が走る。

 まるで、まだ見ぬ未来に体が引っ張られていくような気がした。


「……あっ……」


 声がこぼれると同時に、ノンナの世界は一瞬、水を打ったように静まり返る。

 顔が蒼白になり、瞳が宙をさまよう。


「ノンナ嬢!?」

「どうしたの?」


 マクシムとサンディが同時に駆け寄る。

 ノンナの胸に、説明のつかない恐怖と罪悪感が押し寄せていた。

 さっきまでの安らぎが、まるで幻だったかのように壊れていく。


 空気が、ぬるい水のようにまとわりつく。

 冷たく、重く、名前のない奇妙なざわめきが、ノンナの世界を静かに侵食していく……。




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