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第39話-建国神話(ノンナ視点)

 26歳になったノンナとサンディは、魔術騎士団の小隊とともに、辺境の地へ向かっていた。

 ノンナが博士号取得のためにまとめる論文には、建国神話にまつわる遺跡の実地調査が欠かせない。


 神話に語られた始まりの地……そこに過去の痕跡を求め、ノンナたちは慎重に足を進める。

 このあたりの道路状況は悪く、大型の移動用魔導具よりも、徒歩で進む方が効率的だった。

 野営用の魔導具を駆使しながら、数日間の行軍を続けてきた。


 切り立つ崖を仰ぎ、ノンナは胸の奥に静かな熱を覚えた。

 岩肌には、古の祈りを刻んだような横穴がいくつも穿たれていた。


「ここが、建国神話の伝承地……」


 小隊の面々は互いに労をたたえ合い、笑い合った。


「若いうちでないと来られないですね」

「来るだけでも達成感がある」

「ノンナさんたち、よく頑張りました」

「いや、女子の方が持久力あるかもな。今度の騎士団報告会で議題にするか」


 和やかな空気の中、ノンナは懐から資料を取り出した。

 ノンナが決めた研究テーマは「建国神話の過去視による検証」だ。


 ノンナは資料を広げ、小隊の仲間たちに向き直った。

 ていねいに、これから行う作業について説明していく。

 ノンナは助言のいくつかを受け入れ、静かにうなずいた。

 納得できない助言は、議論して取捨選択した。


 今回、指揮を執るのは、魔術大学精霊眼研究室所属の研究者、ノンナだった。



 ***


 あの日、マクシムに求婚されたとき。ノンナは、それを受け入れなかった。


「マクシム様……お慕いしております。でも、今の私では、あなたと並び立てない」

「精霊眼を持ち、罪を暴き、爵位も得た。今のノンナ嬢に、何の不足がある?」


 ノンナは目をそらし、足元の草をじっと見つめた。


「……何度か、貴族令嬢たちに嫌味を言われました」


 断罪後、ノンナはマクシムのエスコートで夜会に出席する機会が2度あった。

 ソフォスアクシ公爵が手配したもので、ノンナの名誉回復を確固たるものにするためだった。

 しかし……嫉妬の標的になることは、避けられなかった。


「嫌味?」

「『マクシム様に守られて爵位を得た寄生虫』だと」


 マクシムは露骨に顔をしかめた。


「キャンダイズ侯爵令嬢か? ドルルンド辺境伯令嬢か……ミッチ=リーセ第七王女殿下も怪しいな」

「ご存じだったのですか?」

「あなたにまで絡んでいたとは。彼女たちこそ、私に寄生しようとする毒虫だ」

「……なるほど、自己紹介だったんですね」


 ふたりは思わず、吹き出した。


 その後、伯爵邸に戻り、改めてふたりで向き合った。やがてサンディも加わり、ノンナは正式にマクシムの求婚を断ったことを伝えた。


「私は、まだ……」


 言いよどむノンナに、マクシムは静かにうなずいた。


「……まだ、私たちの婚約は成立しない。それだけのことだ」


 淡々とした言葉。その奥に潜む微かな寂しさが、ノンナの胸を締めつけた。


「ふたりの母君……ユリア様の名誉を取り戻し、冤罪の呪縛を断ち切った今、ノンナには新しい人生が待っている。私と共に、未来を切り拓いてほしい。もっと強くなってくれ」


 ノンナは唇を結び、力強くうなずいた。  隣に立つサンディも、「僕も応援するよ」と言い、柔らかなまなざしを向けた。

 そして、眉を上げ、茶目っ気たっぷりに言った。


「ところで、マクシム様……姉を呼び捨てにしていらっしゃる」


 その言葉に、ふわりと空気が和らぐ。

 マクシムは照れも見せず、堂々と答えた。


「許可をもらった」


 ノンナは胸の奥に、じんわりとした温かさが広がるのを感じた。

 そして、マクシムの耳がかすかに赤くなっているのを見た。

 たぶん、何も言わないマクシムも、同じく紅潮したノンナの顔に気づいているだろう。


 こうして、ふたりの新しい関係が始まった。  それは、少しずつ、確かに、よりしっかりとした絆へと変わっていった。


  ***


 翌年、サンディは、隣国で交際していた女性と結婚することになった。

 伯爵夫人カイリーンは両国の法律を学んだ才媛で、ノンナともうまがあった。


 ある日、夫妻の許可を得たノンナは、マクシムを交えてふたりのなれそめを過去視で映写した。

 一応、ドナルドも誘ったが、「ユリアに祈る時間なので」と断られた。

 そこに映っていたのは、年上の女性に恋い焦がれる、ひたむきな少年サンディの姿だった。


 育ての両親への敬意とも、ノンナへの茶目っ気とも違う。

 そこには、サンディ自身のまっすぐな想いをぶつける、新たな一面が映っていた。


 ***


「魔術大学に通いたいです」


 ノンナは特例による学園卒業資格試験に合格し、魔術大学への入学を果たした。

 これは、貴族子女の側近のうち、極めて優秀な者だけに認められる制度だった。


 ソフォスアクシ公爵は数人の女性騎士を雇い、大学に通うノンナの護衛につかせた。

 マクシムは自らの職務に専念し、ノンナはひとりで着実に学業をこなしていった。


 サンディはフォートハイト伯爵位を継ぎ、妻カイリーンと共に領地経営に励んでいた。

 公爵家での任務も兼ねるため、大学に顔を出す機会は減った。


 双子はまた離ればなれになった。


 それでも、心は確かに繋がっていた。


 ***


 セオドアが使用人管理を始めたフォートハイト家から、ノンナを虐げた使用人たちは姿を消した。

 だが、御者スイフトとその妻のメイドだけは、ノンナの口添えによって、ともに残った


「俺たちは、ノンナ様を見殺しにしていました……」


 再会したとき、そう肩を落とした御者とメイドに、ノンナは静かに微笑んだ。


 スイフトは「下のお嬢様に親切にした使用人は、紹介状なしで追い出される」と教えてくれた。ばれないように、支えてくれた。


「生き延びてくれてありがとう」


 その言葉に、ふたりは涙をこぼしながらも、微笑み返した。


 スイフトは時折寮を訪れ、サンディの手紙や差し入れを届けてくれた。

 食品のいくつかは、彼の妻の手作りだった。


 それは、虐げられていた頃、スイフトがそっと渡してくれたパンとよく似ていた。

 スイフトの妻が素朴で美味しい焼き菓子を作ることは、この差し入れで初めて知った。


 ***


 ノンナは公爵家に定期的に赴き、代官とともにアウレスピリア子爵領の運営について打ち合わせを重ねた。


 重要な決定のたび、マクシムに相談する。


「ノンナは飲み込みが早いな」

「去年も似た案件がありましたので、応用が利きました」

「なるほど」


 マクシムは、頼れる教師であり、揺るがぬ味方だった。


 ***


 大学での日々は充実していた。かつて折檻に怯え、洗濯部屋で震えていた日々が、まるで遠い夢のようだった。


 今は最前列に座り、講義を受け、教師たちと議論を交わし、研究を深める日々。


 精霊眼を用いた研究は注目を集め、ノンナはもはや、サンディの支えがなくても自ら道を切り拓ける存在になっていた。


 ……けれど。


 対の目を持つ弟と、ほんの短い時間を共にするだけで、力がふっと高みに解き放たれるのを、ノンナは知っている。


 響き合う魔力。的確な助言。そして、言葉にせずとも通じ合える安心感。


 互いに支え合う唯一無二の存在であることは、今も昔も変わらない。


 初めて出会ったあの日から、ふたりはさまざまな変化を経て、成長した。


 けれど、絆の本質は……何も変わらなかった。

 ただ、より深く、確かなものになった。


 ***


 ある日、公爵家に呼ばれたノンナは、マクシムの表情から不穏な空気を察した。


「フォートハイト前伯爵夫人が昨日、亡くなった」


 ノンナは目を伏せた。悲しみではなかった。

 ただ、遠い過去の亡霊が静かに消えたような、冷たい余韻だけが胸に残った。


 マクシムがそっと手を伸ばし、ノンナの冷たい手を包み込む。


 ふたりは手を取り合ったまま、しばらく黙って座り続けた。


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