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43 蹴りたいお腹


 あれ。

 リューシアに比べれば小物相手だとは思ったけど、この状況って、かなりなピンチだぞ……。

 ミーシアは俯(うつむ)いて顔を見せないようにしている。まあ見られたところで山賊ごときが皇帝の顔を知っているはずもないが。

 今は、ミーシアの耳にマゼグロンクリスタルはぶら下がっていない。

 馬車の座席の下に隠してある。

 でも、本気で捜索されたらすぐに見つかるだろう。

 こんな三下の山賊どもに捕まって処刑される……?

 明智(あけち)光秀は山崎の戦いで負けたあと、落ち武者狩り――要はその辺の農民だ――に首をとられたんだよな、と不吉なことを考える。

 さあ、どうする……。

 キッサが少し身体を震わせ始めた。まだ粘膜直接接触法の副作用が抜けてないのだ、他の女の子たちもそうだろうし、俺だっていつ副作用が襲ってくるかわからない。

 禁断症状がなくなるまで、あと数時間はかかるだろう。

 そのあいだ、俺たちは法術が一切使えないのだ。

 法術が使えるようになるまで、なんとしてでも時間を稼がなきゃいけない。


「こいつが皇帝陛下かもしれないね……」


 正解を言い当てている首領へ、俺は話を引き伸ばすために喋(しゃべ)りかける。


「まさか。こんな小汚いガキが皇帝陛下なわけないだろ。こいつ、もともと帝都で安売りしてたから仕入れただけだぜ、いいからそいつらみんなお前にやるから俺は見逃してくれよ」

「どうだか」


 首領はミーシアの前にしゃがみこみ、その顔を覗(のぞ)き込(こ)む、


「よく見りゃ、高貴な顔立ちに見えなくもないね。な、お前、本当にただの奴隷か?」


 ミーシアはコクリと頷(うなず)く。


「本当かい? 脅されたり騙(だま)されたりして嘘(うそ)ついてるだけじゃないのか? ――ああ、本物だったとしても、あたしらみたいな山賊に正直にはいわないか、騎士様と逃避行中って話だしな。でもいいんだよ、あたしらは善良な山賊さ。帝国政府もちゃんと公衆の面前で譲位してくれればいいって言ってるし、皇帝陛下だったとしたら、いったん帝都に戻ったほうがいいと思うよ?」


 ブンブンと首を横に振るミーシア。


「わ、わたしは、帝都で買われた奴隷です……」

「ふん。ま、いいや。この状況じゃ、どっちにしろ『皇帝だ』なんて言うわけがないね。帝都に連れて行けばわかる。このガルド族も合わせて全員法力拘束の術式かけて――」

「ま、待てよ」


 俺は慌てて言った。冗談じゃない。そんなことされたら副作用が消えても抵抗できなくなるし、帝都に連れて行かれたら間違いなく処刑だ。

 ヘンナマリがミーシアを生かしておくとは思えないしな。

 マゼグロンクリスタルを奪って譲位させたら、どこかに流刑にするフリをして、移送の途中で殺すに違いない。

 世間にはそれこそ山賊に襲われたと発表すればいいだけだ。

 そんなの、常套手段(じょうとうしゅだん)だ。

 おいおい、このままじゃほんとに山賊ごときに捕まって処刑されちまうぜ。

 俺はヴェルを顎で指して、


「ほんとにこいつがイアリー家の当主だってんなら、今頃あんたら灰になってるはずだぜ? やばいくらい強い騎士って話じゃねえか」

「ふん、まあ、そうだね……。でも、なにかの理由で今は法術を使えないだけかもしれないし。イアリー家の当主とその部下のガルド族、そしてロフル族の皇帝陛下――ぴったりすぎるんだよね。金貨千枚になるかもしれないってんなら、駄目でもともとさ。……あたしだってもとは騎士の末裔(まつえい)。領地は魔王軍にとられて今はこうしてるけどね。これがきっかけで爵位を取り戻すことだってできなくはないかもしれない」


 ほう。

 別に珍しくもない話だが、こいつ、もとは貴族の出か。

 言われてみれば、山賊というには中央の情報を集めているし、あちこちに協力者がいるみたいだ。そうじゃなきゃ、今話したような情報をこんなに早く手に入れられないだろう。

 首領は手下に向かって、


「おい、早く拘束の術式を――」


 そう言いかける。

 やべえ、なんとかごまかさないと。

 俺は、全速力でミーシアに駆け寄った。


「おい、お前、じっとしてろ――」


 首領の言葉に耳もくれず、俺はミーシアに、


「てめえのせいでっ!」


 と大声で叫んだ。

 俺は、やってはいけないことをしようとしていた。

 全員の命を守るためとはいえ、男なら決してしてはいけないことを。


「てめえのせいで俺までとばっちりじゃねーかよっ!!」


 わざと力を抜いたら、ばれる。

 絶対に、本気でやらなければならない。


「……?」


 驚いたように俺の顔を見るミーシア。

 かわいい顔をした、十二歳の女の子。

 そしてこの国の皇帝陛下。

 今は手を縛られ、膝をついている。

 ――すまん。

 俺は、そのミーシアの顔面に向かって、まったくの手加減なしで、渾身(こんしん)の――回し蹴りを、いれた。

 カキョン、と顎にヒットしたいい音がして、


「きゃうっ!?」


 ミーシアは悲鳴をあげてその場に倒れる。


「てめえのせいでめんどくさいことになったじゃねーか!! てめえなんざ買わなきゃよかったぜ!!」


 わけがわかってない、そんな表情をしたミーシアが、よろよろと上体を起こして、


「な、なに……」


 と言いかけたところに、


「クソ奴隷がっ!!」


 俺はそう叫んで、今度はその腹に回し蹴りをいれる。

 ……十二歳の女の子の腹を、思い切り蹴ったことはあるだろうか?

 あるとしたら、そんな奴は生きる資格がないやつだから今すぐに死ねばいい。

 女の子のお腹(なか)は、柔らかくて暖かくて俺のすねがあっさりとめりこんだ。

 やばい、女の子のお腹ってこんなにもひ弱なの?

 当たり前っちゃ当たり前だ、男が蹴ってはいけないものランキングがあったらナンバーワンだ。

 弱すぎる。

 くっそ、すねに残るこの感触、絶対一生夢に出るわ。


「あうっ!? ふぐ……うげぇ……」


 ミーシアはもう悲鳴も出ないようだ。

 苦悶(くもん)の表情を浮かべ、よだれなのか胃液なのかわからない液体を口から吐く。


「あぐぅ……おえぇっ、うぐぇ……」


 嘔吐(おうと)とともにうめき声をあげ、まさに芋虫のように地面をのたうちまわる、十二歳の女の子。

 ミーシアの顔は青ざめ、涙が嘘みたいに目から溢(あふ)れてきて、吐瀉物(としゃぶつ)と一緒に地面を濡(ぬ)らす。

 めちゃくちゃ痛そうだ……。

 やべえ、ごめん、まじで、ごめん。


「あんたっ……!」


 反射的にヴェルが手を縛られたまま俺に襲いかかろうとするが、そのヴェルの腹にも前蹴りをくらわす。

 ところが、俺の足が跳ね返される。

 うお。なんだこいつ、腹筋カッチカチじゃねえか。

 女子のくせに鍛えすぎだろこいつ。

 まあ、力を入れてない時に直接触ると、わりと弾力のある柔らかさでいい気持ち……いやそんなことを思い出してる場合じゃねえ!

 しょうがない、俺はヴェルの金色の髪の毛を鷲(わし)掴(づか)みにすると、もう一方の拳を握りこみ、


「てめえもなんだよっ! なんでてめえはマーキ族なんだよっ!? てめえらのせいでっ!」


 その顔面にパンチをくらわした。


「…………っ!」


 鼻血を飛び散らせ、カクン、と膝を折ってその場に崩れ落ちるヴェル。

 その頭をゲシゲシと蹴りながら、


「たまたまてめえらみてえな奴隷買ったせいで! 俺まで捕まることになったじゃねえかよ! くそがっ」


 もう、ほんとに、全力で、全身全霊の力をこめて蹴る。

 普通の常識をもった人間――そう、たとえば、貴族階級の教育を受けたような人間が見たら、思わず止めてしまうほどの力で。


「お、おい、お前、やめなって、死んじまうよ?」


 首領が困惑した声で言う。

 うん、そうこなくては。

 でも、まだ俺は蹴り続ける。


「うるせえ! 止めるんじゃねえ!」


 そして、そのままの勢いで、他の二人、キッサと夜伽(よとぎ)三十五番にも蹴りをくらわすと、二人とも地面に転がってうずくまる。

 いや、こいつらみんな副作用が出てきていて、挙動がおかしかったしな。


「やめなって、頭おかしいのかい、あんた?」

「うるせえ、こいつらみんな殺してやる!」


 今度は九歳のシュシュの前に立ち、俺は拳を振り上げる。

 ぽかーんとした顔のシュシュ。

 ……いやほら、そろそろ本気で止めてくれよ、首領さん。

 俺はプロレスのタイトルマッチでカウントを取るレフェリーなみに大げさな身振りで、振り上げた拳をぴたりととめる。

 ……止めろってば!

 そしてその拳をシュシュの顔面に――


「やめろってキチガイかあんた!」


 首領がやっとのことで、俺の腕を掴(つか)んで止めてくれた。


「なにやってんの……。あーあー、顔に傷を増やしやがって……売れなくなったらどうするんだい」

「知ったことねえよ、どうせみんなお前らが持って行くんだろ?」


 と、そこに白髪のハイラ族の手下が首領の近くにやってきて、耳打ちする。


「……こいつら、どう見てもお忍びの皇帝陛下じゃないですよ……。話によると、黒髪が皇帝で、金髪が騎士で、ガルド族が部下なんですよね? 部下が皇帝陛下や騎士を足蹴にするわけないです。殺す勢いで蹴ってるじゃないですか、こいつ、ただのおかしい奴隷商人ですよ。こいつらを帝都に連れて行ってもどうせ銀貨三枚で終わりです……」

「……そうみたいだねえ……」


 ため息とともに、呆(あき)れた顔で俺を見る首領。そして、地面に転がるキッサと、まだぽかーんとした表情のシュシュを顎で差し、


「いいよ、あんたはもう行きな。奴隷だけもらっとくよ。おっと、その前にこのハイラ族の二人の拘束術式を解いていきなよ」

「はぁ、はぁ……くそ……結局奴隷はとられるんじゃねえか……」

「殺されないだけマシだろう? 拘束術式がなかったらあんたなんかすぐに殺してたさ」

「ちっ……」


 山賊に襲われて奴隷を奪われることになった奴隷商人のフリを続けながら、俺は俺が蹴り倒した四人を見る。


「あううう……」

「くぅ……」

「いったぁ……」

「……ああううう……」


 みんな地面をのたうち回っている。

 とりあえず全員が帝都に連れて行かれて処刑、ということはなくなったかもしれんが、別に状況は良くなっていない。

 どうする?

 ひとまず、俺だけ逃げて、副作用がおさまったころに奪還を……。

 いや、待て、駄目だ、実際のところキッサとシュシュの拘束術式は解く術がない、三十メートル離れた時点でおしまいだ。


「ううううううまままままずいでえすはじまりましたたた」


 カタカタ身体を震わせ始める夜伽三十五番。

 見ると、他の三人も全身を震わせ始めている。

 うん、完全に粘膜直接接触法の副作用の禁断症状だ。

 なんとか副作用がおさまるまで時間稼ぎをしないといけない。

 三十六時間、と言ってたが、それまであと何時間だ?

 粘膜直接接触法をやったのは、昨日の昼ごろだった。今は太陽の高さからいって午後二時か三時ごろ、きっとあと十時間の時間を稼げば、副作用もなくなり、俺もヴェルも法術を使えるようになる。

 そうすれば、こんなやつら。

 十時間か、厳しいな。

 どうすりゃいい?

 どうすれば……。

 ……。

 …………。

 ………………?

 あれ。

 副作用の禁断症状に襲われると、相手と粘膜接触をしたい、という欲求が湧いてくるはずだけど。

 それは麻薬の禁断症状の十倍もの苦しさで――

 じゃあ、俺はどうして、なんともないんだ?

 もはや痙攣(けいれん)にすら見えるほどピクピクと全身を震わせて地面で身をくねらせ、土に奇妙な模様を描く四人の女の子。

 俺にはそんな苦しさが全くない。

 いやほら、俺もキスしたいなとは思うけど。

 我慢できないほどじゃないし。

 ええと。

 もしや。

 俺は自分の胸元に手をつっこむ。

 丈夫な鎖で繋(つな)がれた巾着袋を、首にかけていたのだ。

 もちろん中身はニカリュウの聖石――ニッケルを含んだ、日本円の硬貨。

 九百八十二円十銭。

 ちょっと念じると。

 あっさりと、ライムグリーンの剣が出現した。


「なっ!?」


首領はぱっと俺から距離を取ると、訝(いぶか)しげに、


「…………あんた、奴隷商人のくせに戦闘法術を……? それも、なぜ今になって……?」


 いや、使えないと思ってたからです。

 あー。

 うー。

 こいつは、やばいな。

 俺が異世界出身の、それも男だからか?

 粘膜直接接触法の副作用ってやつが、俺にはほとんどない、のかもしれない。

 キッサの説明を聞いて、てっきり俺も法術が使えないと思い込んでいたから、試しもしなかった……。

 これは、やばすぎる。

 この世界に来てから、一番のピンチが今かもしれない。

 ちらり、とヴェルの顔を見る。


「……あんた、なんで法術使えるのよ……。だったら最初から使いなさいよ……。あたしとこの子にこんなことしたの、無駄じゃないの……。あとで……」


 ヴェルは苦しげな声でそういう。


「あとで?」


 と訊(き)くと、ヴェルは、


「……あとで生まれたことを後悔するほどの目にあわせてやるからね」


 と、怒りの形相で言った。







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