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直接対決

 サリエーリは《一日成金》初演の三か月後、一七七五年三月ごろから新しいオペラ《トロフォーニオの洞窟》の作曲を開始していた。このオペラは前年ヴェネツィアのテオドーロ王で大成功を収めたカスティの台本によるものだ。


 二月にはカスティがこの詩を朗読し、五月には楽曲の試演が行われている。そしてオペラの初演は一〇月一二日にブルク劇場で行われる。このオペラは成功を収め、国際的なヒットとなる。これが、台本作家カスティの心に良くない影響を与えた。カスティはトスカーナ大公(ヨーゼフ二世の弟レーオポルト)の宮廷詩人であったが、オペラの台本はこれが三作目なのだった。


 つまりカスティのオペラでの経験は大成功ばかりだ。慢心し、同時期に台本作家としてデビューを果たしたダ・ポンテを見下した。


「ダ・ポンテは物語の作り方を知らない。あんな奴が皇帝の寵愛を受けているなんておかしい。メタスタージオ師亡き後空白のヴィーン宮廷詩人のポストには、奴よりも私の方が相応しいだろう」


 カスティの能力は確かなもので、実際にダ・ポンテを凌駕していたと言えるが、人格的にはあまり優れているとは言い難い。とはいえ、当時の音楽界では特別に性格が悪いというわけではない。サリエーリのような人物が稀なのである。そのような世界で潔白であると、それ自体が多くの憶測を生む。サリエーリはカスティと結託してモーツァルトとダ・ポンテを追い落とそうとしているに違いないと、多くの才無き者たちは信じて疑わなかった。


 ダ・ポンテを皇帝に推薦したのはサリエーリであり、この後一二月二二日、ニ三日に行われる音楽家協会の慈善演奏会にモーツァルトを呼んだのもサリエーリだったのに、だ。


 更にこの時期ヨーゼフ二世はジングシュピール歌手団の再結成を決める。


「モーツァルトにもう一度チャンスを与えては頂けませんか?」


 サリエーリが無理を承知で密かに皇帝に懇願した。それに応えたヨーゼフ二世は『気まぐれで』ジングシュピールを再び推進したという事にした。このジングシュピール歌手団のお披露目公演は《トロフォーニオの洞窟》初演の四日後、一〇月一六日に行われる。


 だが、これが翌年に二人の直接対決という事態を招く。


「面白いではないか。モーツァルトのジングシュピールとサリエーリのオペラ・ブッファ。余の前でどちらが上か決めるがいい」


 翌一月、二人はそれぞれに台本を受け取る。ヴィーン滞在中のオランダ提督夫妻に敬意を表す祝宴で披露するという。上演は二月七日、シェーンブルン宮だ。モーツァルトのジングシュピール台本は《後宮からの誘拐》を書いたヨハン・ゴットリープ・シュテファニー。サリエーリの台本はカスティだった。


「一月で書けって!?」


 モーツァルトはサリエーリと比べて歌劇の作曲経験が少ない。加えて前年一〇月からダ・ポンテ台本の《フィガロの結婚》を作っているところだ。必死に作曲した彼のジングシュピール《劇場支配人》が完成したのは本番四日前となる二月三日の事である。


「ソリストはカヴァリエーリ、ランゲ夫人、アーダムベルガーに頼むしかない」


 モーツァルトは歌う人物を思い描いて曲を書く。彼と仲の良い歌手たちがソリストを担当した。


 一方サリエーリに渡された台本は、作者の思想を色濃く反映した、イタリア・オペラの制作を風刺し、ダ・ポンテを揶揄やゆするような内容だった。


「ふむ、四日で作るオペラか。台本より先に曲が作られ、パトロンがひいきの歌手を前面に押し出す。なかなか耳が痛いな」


 パトロンの伯爵から四日で祝宴用のオペラを書くよう依頼された作曲家は台本詩人に話を持ち掛けて「曲は既にあるから、適当な台詞をあてればいいじゃないか」と言う。そんな内容の《はじめに音楽、次に言葉》は、要するにダ・ポンテが作曲家の曲に合わせて適当な言葉を並べているだけだと皮肉っているのだ。


 サリエーリはその台本に合わせ、面白おかしいオペラを作り上げた。経験の差か、《劇場支配人》が序曲と四つの楽曲しかないのに対し《はじめに音楽、次に言葉》は一幕の劇として完成されていた。


 かくして、二人の最初にして最後の直接対決が行われる。二人は自分の曲を指揮し、互いの曲を聴いた。


「やはりモーツァルトの曲は素晴らしい」


「サリエーリはやっぱり凄いや、この短期間で劇を完成させてる」


 二人は純粋にお互いの音楽を聴いて、相手の長じる点を認識する。だが、二人以外の人物にとってこの対決は単なる作曲対決などではなかったのである。


 モーツァルトのジングシュピールを演じるドイツ人役者たち、サリエーリのオペラ・ブッファを演じるイタリア歌劇団。そして宮廷詩人の座を狙うカスティ。彼等にとってこの対決はヴィーンにおける主導権争いの緒戦を意味していたのだった。


「皆、素晴らしい働きをしてくれた。褒美を取らせよう」


 ヨーゼフ二世は彼等に報奨金を与えた。その額はサリエーリ一〇〇ドゥカート、モーツァルト五〇ドゥカートである。


「ああ、カスティの高笑いが聞こえてくるようだ」


 この対決を目にしたダ・ポンテは、カスティの悪意を読み取り、彼が自分の敵である事を強く認識するのであった。

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