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第四幕 彼の後悔と突然囁かれる噂

新たな弟子たち

 モーツァルトの死後、彼の弟子がサリエーリの門戸を叩いた。共にプラハの戴冠式に行ったほか、モーツァルトの遺作である《レクイエム》を補筆して完成させたジュースマイヤーと、泊まり込みで無償のレッスンを受けていたフンメルである。


 ジュースマイヤーはモーツァルトに弟子入りする前はサリエーリの弟子であったので、かつての師に再び弟子入りした格好になる。サリエーリはモーツァルトと仲が良かったし、今やその地位を脅かす存在もいない、完全なヴィーン音楽界の頂点に立つ存在であり、同時に声楽の指導者としてずっと彼の右に出るものはいなかったので、二人がサリエーリに弟子入りを希望するのは当然とも言えた。


 サリエーリはモーツァルトの死後、劇場の仕事をせず宮廷楽長の仕事と教育活動に力を入れるようになっていた。そんな彼の下にまた一人の弟子がやって来る。その名はフランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング・モーツァルト。モーツァルトの息子であった。


「分かりました、コンスタンツェさん。彼の事は私が責任をもって教育しましょう」


 サリエーリは親友の遺児に音楽教育を施したいと強く思っていた。他にも多くの者がモーツァルトを教育し、彼はとても優雅で繊細な曲を作る一人前の作曲家になったが、父の間の悪さを受け継いだのか作曲家として大成せずに終わるのだった。




 そして一七九五年一月一三日、約五年ぶりにサリエーリの新作オペラ《逆さまの世界》が初演を迎える。台本をマッツォーラが手掛けたこのオペラは、結果として失敗だった。だがこの作品が失敗した理由は男女が入れ替わる設定によるジェンダー問題で、あまりにも時代を先取りしすぎたために当時の人々はまったくついて来れなかったのである。


 このシーズンからサリエーリの弟子であるガスマン姉妹がイタリア歌劇団に加わった。恩師ガスマンの娘たちである。サリエーリは彼女たちが立派に育った事に満足していた。観客が先進的すぎるオペラについて来れない事はモーツァルトの時代に分かっているので特に気にしない。今の彼はオペラが失敗したところでなんらダメージを受ける事がない立場にいたのだった。


 この時期に重要な事は、サリエーリにまた新たな弟子が出来た事だ。その名はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。


 彼は一七九二年一一月にヴィーンにやってきて、翌年ハイドンに師事し、ピアニスト・作曲家として実力を伸ばしてきていた。


 一七九五年三月二九日、音楽家協会がブルク劇場にて行った慈善演奏会でサリエーリが指揮者を務め、ベートーヴェンが自作のピアノ協奏曲を初演した。ベートーヴェンがサリエーリの正式な弟子になるのは四年後の一七九九年頃だが、プライドが高く頑固な彼が、サリエーリに対しては丁寧な態度で接するのだった。


 一旦ベートーヴェンからは離れ、彼の師であるハイドンの話だ。彼はかつて音楽家協会へ入会申請をしたが、当時の会長だったボンノがハイドンはヴィーン在住でないという理由で入会を断っていた。この非常に無礼な対応でハイドンを怒らせていた音楽家協会だが、サリエーリが会長となってからは徐々に関係が修復されていく。


 一七九七年一月二〇日には宮廷劇場のコンサートマスターであり音楽家協会の書記官でもあるパウル・ヴラニツキとサリエーリが連名でハイドンに書簡を送った。入会金を免除するので会員になって欲しいという要請だった。その後ハイドンは正式に音楽家協会の会員になる。


 一七九九年一月三日、ケルントナートーア劇場にてサリエーリの新作オペラ《ファルスタッフ》が初演される。これは成功を収めたが、あまり人気が出ずに終わる。これもまたセンスが時代を先取りしすぎて客がついて来れなくなっていたのだ。サリエーリはかつてのモーツァルトと同じ状態で人々を置き去りにしていた。このオペラは彼の死後に復活し、サリエーリの傑作オペラとして高く評価されるのである。


 さて、その《ファルスタッフ》が初演されるとベートーヴェンは《ファルスタッフ》の二重唱〈まさにそのとおり〉の主題による一〇の変奏曲を作曲した。この後で彼はサリエーリの正式な弟子になるのである。


 この後、五月二三日にサリエーリはカンタータ《ティロル国民軍》を初演するが、この作品は『ベートーヴェン《ウェリントンの勝利》の先取り』とされている。


 天才は天才を知るという事であろうか、かつてサリエーリが時代を先取りしすぎたモーツァルトの曲を理解したのと同じように、ベートーヴェンが時代を先取りするサリエーリの曲を理解した事が、後世に名を轟かす程に気難しい彼をして、サリエーリに対し大いなる尊敬を抱かせたのかもしれない。


 曲に関しては、モーツァルトがサリエーリのピアノ協奏曲の影響を受けたように、ベートーヴェンがサリエーリのカンタータの影響を受けるのであった。

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