サリエーリは、自分のオペラが時代遅れになっている事を感じていた。相変わらずヒット作品は繰り返し再演されているが、新作オペラはそれらのような成功を収めない。自分の感覚では前よりも良い音楽を作っているのにだ。
「私ももう五四歳だ。アイブラーに後を託す時が近づいているのだろう」
ヨーゼフ・レーオポルト・アイブラーは一八〇四年六月二九日に、サリエーリの推薦が元になって宮廷楽長補佐となった人物だ。偶然とはいえ、ヨーゼフとレーオポルトの名を持つ音楽家が彼の後を継ぐ事になるとは不思議な運命を感じさせる。
余談だが、後継ぎとして育てていたヴァイグルは、一七九二年に宮廷劇場楽長として終身契約を結んでいる。これもサリエーリの斡旋によって宮廷劇場マエストロとなった結果だ。
一八〇四年の八月、サリエーリは自分のための《レクイエム》を作曲した。自分のためだけの曲であるため、全て自分の音楽を貫き、ヨーゼフ二世の時代に作っていた方式の懐古的な曲となっている。
そして一八〇四年一一月一〇日、サリエーリ最後のオペラがアン・デア・ヴィーン劇場で初演された。
このオペラのタイトルは《黒人》。作曲自体は二年前に行っていたドイツ語のオペラ、ジングシュピールだ。生涯で未発表のものも含めると四一曲ものオペラを書いたサリエーリが、たった二曲だけ書いたジングシュピールの二作目を、彼の最後のオペラとして発表したのだ。
この劇場の監督を務めているのは、モーツァルト最後のジングシュピール
「無理を言ってしまったな。どうしても私のオペラ作曲家人生の最後をジングシュピールで締めたかったんだ」
シカネーダーは直前の九月にこの劇場の監督に就任していた。
「やりましょう」
オペラが成功すれば次の依頼が来るものだ。最後と宣言したサリエーリは、このジングシュピールが成功しないであろうことを予見していた。シカネーダーはそれでも初演を決める。
物語の舞台はアメリカ大陸のイギリス植民地で、仇敵ベッドフォート卿によって無実の罪を着せられ、追放されたフォークランド卿は、黒人に変装して国に戻り、ベッドフォート卿の召使いとなる。しまいにはベッドフォート卿の悪事を暴いて名誉を回復し婚約者と結ばれるのだ。
このジングシュピールは、やはり失敗に終わる。モーツァルトの作品を通じて人々が理解した複雑な性格描写が無く、登場人物の善悪がはっきりしすぎている事が最大の原因だった。もはや時代遅れの作劇に、観客は失望したのである。
「やはり、人々は力強さと複雑な性格描写を求めるか。洗練された音楽だけでは、満足できなくなっているのだ」
失敗したが、サリエーリは納得した様子だった。そもそも彼はドイツ語のオペラを得意としないのだから、耳の肥えた人々に通用するはずもないのだ。
これを最後にオペラを書かなくなったサリエーリは、宗教音楽や交響曲の作曲を主に行い、宮廷学長としての管理業務や弟子の教育に力を入れていく事になる。
音楽以外の世界では、フランス皇帝ナポレオン率いるフランス軍が帝国を侵略していた。一八〇五年一〇月一七日、フランス軍がウルムを占領したという報せが届くと、皇帝一族や貴族たちが逃亡し始め、一一月一三日にフランス軍がヴィーンに入城した。
この状況下でも、サリエーリはヴィーンに留まり一二月に
翌年一月三日にフランス軍はヴィーンを去り、下旬には皇帝フランツ二世が戻って来るが、ハプスブルク家はもはや力を失い、同年八月六日にはフランツ二世が自らドイツ皇帝の退位を宣言する。これで彼はオーストリア皇帝フランツ一世の称号のみを持つ事になる。二世だったり一世だったりとややこしいものだが、名前被りの多いヨーロッパでは仕方のないことだ。
サリエーリは翌年一八〇七年八月三〇日に妻テレージアを亡くす。彼は更に音楽界の発展に力を注ぐようになっていった。