北条信堅が私のもとを訪れたその夜、霧島清次に呼び出された。
三味線を抱えて彼の陣幕に入った瞬間、背後から腕を引かれ、机に押し倒された。
霧島清次は一方の手を私の着物の中に滑り込ませ、もう一方の手で私の首を強く掴んで無理やり顔を上げさせた。
その口づけは嵐のように激しく、微塵も優しさなどなかった。
今夜の彼は、いつにも増して粗暴だった。
机から床へ、夜から明け方まで、私はまるで何かに罰せられるように抱かれ続けた。
すべてが終わったあと、私は力尽きて、床にうつ伏したまま動けなかった。
後ろから私を抱きしめながら、彼が問いかける。
「俺が明華内親王と結婚することに……妬いてるのか?」
少し間を置いて、彼は続けた。
「お前に、明華内親王に嫉妬する資格なんてあるか? ——樱庭紅葉。お前はもう、あの頃の“京都のさくら”じゃない。」
懐かしい名で呼ばれ、忘れかけていた記憶が不意に胸を刺した。
……かつて、私は京都で少しばかり名の知れた存在だった。
公家の若者たちの憧れの的で、その中には霧島清次の姿もあった。
あの頃、彼の求愛はどこか突飛で、けれど真っ直ぐだった。
ある日には、父に怒鳴られるのも顧みず、庭の塀を乗り越えて、私の縁側に露の残る桜の枝をそっと置いていった。
祇園祭の日には、遊女たちに金を渡し、私が友人たちと通りを歩くのを見計らって、楼上から色とりどりの手拭いを振らせた。
それが一文字、「葉」と読めるように。
両親も兄も、「なんて無礼な男だ」と怒っていた。
でもあの夜、私が見上げた先にいた彼は、遊女たちの間から白い歯を見せて笑っていた。
星の光を受けて、どこまでも自由に、どこまでも魅力的に。
——そのとき、私の心臓は確かに一度、止まったのだった。
当時、甲斐の武田家と越後の上杉家が戦を始めたばかりで、多くの名家の子弟が「武勲を立てに」前線に送られていった。
霧島清次もその一人だった。
私は彼を見送る立場にはなかったし、見送ることもできなかった。
けれど、その翌朝、縁側にまた桜の枝が置かれていた。
その下に、小さな短冊が添えられていた。
その筆跡は、彼そのもののように自由で奔放。
——「立身出世して、迎えに行く。」
でも、彼は戻ってこなかった。
父は戦で誤った側に与し、家は没収され、
兄と父は処刑され、母は自害した。
残った私は、軍営に連行され、遊女にされた。
その初夜、数十人の男たちが獣のように私を囲んだ。
逃げ場もなく、角に追いやられて震えるしかなかった。
「これが“京都のさくら”、高嶺の花の樱庭紅葉か!」
「聞いたぞ。京の若者どもが争って嫁に欲しがってたってな。納得の美しさだ」
「まずは俺たちがその体を味わってやろうじゃねぇか……!」
絶望の闇に包まれて、私は身体を震わせながら、
「ああ、もういいや。死んでもいいかも」——そう思っていた。
その瞬間、鎧を纏った誰かが血塗れの槍を手に、陣幕に駆け込んできた。
「……俺の女に手ェ出すな。殺されてぇのか?」
その声に、男たちの顔が青ざめる。
三年ぶりに現れた霧島清次は、日焼けし、痩せ、顔には一本の傷跡が刻まれていた。
けれど私を見つけたその瞬間、彼は何も言わず私を抱きしめた。
宝物のように、大切そうに。
「よかった……無事で……」
その手は、小刻みに震えていた。
彼は私が病気にならないか心配し、自分の陣幕に私を移した。
暇があれば近くの渓流や野原に連れ出し、心を癒してくれた。
私が三味線を好きだと知って、どこで見つけてきたのか、粗末ながら一丁の三味線を床に置いていた。
私は彼のために一曲奏でた。
彼は、満開の春のように笑ってこう言った。
「紅葉の三味線を聴けたんだ。……もう、思い残すことはないな。」
——そのとき、私は本気で思った。
この人に、すべてを預けてもいいと。
霧島清次は、優れた男だった。
一年足らずで数々の戦功を立て、出世街道を突き進んだ。
彼の庇護のもと、誰一人として私に手を出そうとはしなかった。
けれど、宴が増え、付き合いが深くなるにつれて、
主陣幕には若く美しい遊女たちが呼び寄せられ、夜ごとに騒ぐ声が聞こえてきた。
私はそれでも、彼が違うことを信じたかった。
だがある夜、彼は突然、私をうつ伏せに押し倒し、辱めるような体勢に取らせようとした。
「そんなの嫌……」と思わず手で拒むと、彼は不快げに眉をしかめた。
「……それも駄目? ——ああ、もういい。寝る。」
彼は不機嫌そうに風呂へ向かい、戻るといつものように私を抱いて眠った。
けれど私の頭の中には、彼が途中で止めたあの言葉だけが響いていた。
——「……彼女たちは平気だったのに」
……他の遊女なら平気なのに、なんでお前だけダメなんだ、という。
その夜、私の心は底へと落ちた。
戦況は激しさを増し、彼が私のもとに来る時間はどんどん減っていった。
ある夜、兵のひとりが陣幕に忍び込んできた。
「捨てられた女」と思われたのだろう。
口と鼻を押さえつけられ、悪臭のする口元が迫ってきた。
必死に抵抗した私の頬に、容赦ない平手打ちが飛んだ。
耳鳴りと頭の空白。
けれどその直後、霧島清次が駆け戻ってきた。
怒りに任せてその兵を蹴り飛ばし、私を抱きしめた。
私はてっきり、その男を厳しく処罰したものと思っていた。
——だが数日後、彼は何事もなかったように焼き鳥屋で笑っていた。
「霧島少将様が、たかが遊女ひとりのために俺と仲違いするわけねぇだろ? 逆に酒まで奢ってもらったよ。『女は着替えと一緒、命を預けるのは兄弟だけ』だってさ」
「いやぁ、あの娘……若くていい体だったなぁ。今度こそ、絶対いただくぜ」
私と目が合うと、やつは舌なめずりをした。
吐き気がした。
恐ろしくて、霧島清次に問いただした。
彼は帳面を読みながら、僅かに眉をしかめ、
私を膝の上に座らせた。
そして、私のうなじを撫でながら、優しく告げた。
「……紅葉。私情では無理なんだ。奴の親父は俺の副将で、命の恩人だ。罰することなんてできない。
公的にって? 遊女を襲った、なんて理由になると思うか?」
私は呆然と彼を見つめた。
彼の手は、私の着物の奥へ滑り込み、いつものように軽く、馴れた手つきで私を触れた。
「お前は俺のものだ。他の誰にも指一本触れさせはしない。——だから、陣幕の外へ出るときはもっと着込め」
私はそのとき、ようやく目が覚めた。
——この男は、私のすべてじゃない。
地獄から抜け出すには、私自身の力でしか道は拓けない。