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第2話

北条信堅が私のもとを訪れたその夜、霧島清次に呼び出された。


三味線を抱えて彼の陣幕に入った瞬間、背後から腕を引かれ、机に押し倒された。

霧島清次は一方の手を私の着物の中に滑り込ませ、もう一方の手で私の首を強く掴んで無理やり顔を上げさせた。


その口づけは嵐のように激しく、微塵も優しさなどなかった。

今夜の彼は、いつにも増して粗暴だった。


机から床へ、夜から明け方まで、私はまるで何かに罰せられるように抱かれ続けた。

すべてが終わったあと、私は力尽きて、床にうつ伏したまま動けなかった。


後ろから私を抱きしめながら、彼が問いかける。

「俺が明華内親王と結婚することに……妬いてるのか?」


少し間を置いて、彼は続けた。

「お前に、明華内親王に嫉妬する資格なんてあるか? ——樱庭紅葉。お前はもう、あの頃の“京都のさくら”じゃない。」


懐かしい名で呼ばれ、忘れかけていた記憶が不意に胸を刺した。

……かつて、私は京都で少しばかり名の知れた存在だった。


公家の若者たちの憧れの的で、その中には霧島清次の姿もあった。


あの頃、彼の求愛はどこか突飛で、けれど真っ直ぐだった。

ある日には、父に怒鳴られるのも顧みず、庭の塀を乗り越えて、私の縁側に露の残る桜の枝をそっと置いていった。


祇園祭の日には、遊女たちに金を渡し、私が友人たちと通りを歩くのを見計らって、楼上から色とりどりの手拭いを振らせた。

それが一文字、「葉」と読めるように。


両親も兄も、「なんて無礼な男だ」と怒っていた。

でもあの夜、私が見上げた先にいた彼は、遊女たちの間から白い歯を見せて笑っていた。


星の光を受けて、どこまでも自由に、どこまでも魅力的に。

——そのとき、私の心臓は確かに一度、止まったのだった。


当時、甲斐の武田家と越後の上杉家が戦を始めたばかりで、多くの名家の子弟が「武勲を立てに」前線に送られていった。

霧島清次もその一人だった。


私は彼を見送る立場にはなかったし、見送ることもできなかった。

けれど、その翌朝、縁側にまた桜の枝が置かれていた。


その下に、小さな短冊が添えられていた。

その筆跡は、彼そのもののように自由で奔放。

——「立身出世して、迎えに行く。」


でも、彼は戻ってこなかった。

父は戦で誤った側に与し、家は没収され、

兄と父は処刑され、母は自害した。


残った私は、軍営に連行され、遊女にされた。


その初夜、数十人の男たちが獣のように私を囲んだ。

逃げ場もなく、角に追いやられて震えるしかなかった。


「これが“京都のさくら”、高嶺の花の樱庭紅葉か!」

「聞いたぞ。京の若者どもが争って嫁に欲しがってたってな。納得の美しさだ」

「まずは俺たちがその体を味わってやろうじゃねぇか……!」


絶望の闇に包まれて、私は身体を震わせながら、

「ああ、もういいや。死んでもいいかも」——そう思っていた。


その瞬間、鎧を纏った誰かが血塗れの槍を手に、陣幕に駆け込んできた。

「……俺の女に手ェ出すな。殺されてぇのか?」


その声に、男たちの顔が青ざめる。


三年ぶりに現れた霧島清次は、日焼けし、痩せ、顔には一本の傷跡が刻まれていた。


けれど私を見つけたその瞬間、彼は何も言わず私を抱きしめた。

宝物のように、大切そうに。


「よかった……無事で……」


その手は、小刻みに震えていた。

彼は私が病気にならないか心配し、自分の陣幕に私を移した。

暇があれば近くの渓流や野原に連れ出し、心を癒してくれた。


私が三味線を好きだと知って、どこで見つけてきたのか、粗末ながら一丁の三味線を床に置いていた。

私は彼のために一曲奏でた。


彼は、満開の春のように笑ってこう言った。

「紅葉の三味線を聴けたんだ。……もう、思い残すことはないな。」


——そのとき、私は本気で思った。

この人に、すべてを預けてもいいと。


霧島清次は、優れた男だった。

一年足らずで数々の戦功を立て、出世街道を突き進んだ。


彼の庇護のもと、誰一人として私に手を出そうとはしなかった。

けれど、宴が増え、付き合いが深くなるにつれて、


主陣幕には若く美しい遊女たちが呼び寄せられ、夜ごとに騒ぐ声が聞こえてきた。


私はそれでも、彼が違うことを信じたかった。


だがある夜、彼は突然、私をうつ伏せに押し倒し、辱めるような体勢に取らせようとした。


「そんなの嫌……」と思わず手で拒むと、彼は不快げに眉をしかめた。


「……それも駄目? ——ああ、もういい。寝る。」

彼は不機嫌そうに風呂へ向かい、戻るといつものように私を抱いて眠った。

けれど私の頭の中には、彼が途中で止めたあの言葉だけが響いていた。

——「……彼女たちは平気だったのに」


……他の遊女なら平気なのに、なんでお前だけダメなんだ、という。


その夜、私の心は底へと落ちた。


戦況は激しさを増し、彼が私のもとに来る時間はどんどん減っていった。


ある夜、兵のひとりが陣幕に忍び込んできた。

「捨てられた女」と思われたのだろう。


口と鼻を押さえつけられ、悪臭のする口元が迫ってきた。

必死に抵抗した私の頬に、容赦ない平手打ちが飛んだ。


耳鳴りと頭の空白。


けれどその直後、霧島清次が駆け戻ってきた。

怒りに任せてその兵を蹴り飛ばし、私を抱きしめた。


私はてっきり、その男を厳しく処罰したものと思っていた。

——だが数日後、彼は何事もなかったように焼き鳥屋で笑っていた。


「霧島少将様が、たかが遊女ひとりのために俺と仲違いするわけねぇだろ? 逆に酒まで奢ってもらったよ。『女は着替えと一緒、命を預けるのは兄弟だけ』だってさ」

「いやぁ、あの娘……若くていい体だったなぁ。今度こそ、絶対いただくぜ」


私と目が合うと、やつは舌なめずりをした。

吐き気がした。


恐ろしくて、霧島清次に問いただした。

彼は帳面を読みながら、僅かに眉をしかめ、


私を膝の上に座らせた。

そして、私のうなじを撫でながら、優しく告げた。


「……紅葉。私情では無理なんだ。奴の親父は俺の副将で、命の恩人だ。罰することなんてできない。

公的にって? 遊女を襲った、なんて理由になると思うか?」


私は呆然と彼を見つめた。

彼の手は、私の着物の奥へ滑り込み、いつものように軽く、馴れた手つきで私を触れた。


「お前は俺のものだ。他の誰にも指一本触れさせはしない。——だから、陣幕の外へ出るときはもっと着込め」


私はそのとき、ようやく目が覚めた。

——この男は、私のすべてじゃない。


地獄から抜け出すには、私自身の力でしか道は拓けない。



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