……痛い——
夜更け、太ももの傷の痛みで目を覚ました。
熱っぽい。
このままだと良くない気がする。
霧島清次に薬を乞うなど、決してしたくない。
けれど、幼い頃に屋敷の薬堂に出入りしていたおかげで、薬草の知識は少しある。
身体を引きずるようにして、陣幕の外へ出ようと帷を捲ると——
そこに立っていた人影に、思わず息を呑んだ。
……北条信堅だった。
彼もまた、予想外だったのか、一瞬目を見開いた。
そして私の薄着に気づくと、何も言わず服を脱いで私に掛けた。
そのまま無言で、手にしていた薬の瓶を私の掌に押し込み、踵を返そうとする。
「……待って」
思わず声をかけた。
彼の背に、斜めに走る生々しい傷が見えた。
今日、彼の隊は敵軍の掃討に出ていたと聞いた。
戻ったばかりなのか。
きっと、昼間のことを耳にして——
私に薬を届けようとしたのだろう。
けれど、帳の中に入る理由が見つからず、ずっと外に立っていたに違いない。
「入って、……薬、塗ってくれませんか?」
彼は私を見返しながらも、目を合わせようとはしなかった。
「……まだ、君は俺の嫁じゃない。それは、よくない」
「……」
不意に、胸が詰まった。
私は“遊女”として、ここに二年もいた。
霧島清次でさえ、私をあの衣で人前に踊らせようとしたというのに。
……それでも、なお私の「女としての誇り」に触れてはいけないと、
そう言う人が、いた。
まるで夢のようで、少し——奇妙だった。
何かを言おうとした瞬間、帳の向こうから声が聞こえた。
「聞いたか? 霧島少将様、あの女を島原の遊郭に送るらしい」
「そんな美人を島原に流すなんてもったいねぇよな。 明日からは好きにできるってわけか」
「少将様が出発した後は、誰にも止められねぇよな。……なぁ、お楽しみは平等に、順番守れよ?」
「ひひひ、まずは俺からだ。お前ら、後でな……」
……!!
拳をぎゅっと握りしめた。
背中にはじっとりと冷や汗が滲んでいた。
——あの時、私に暴力を振るいながらも罰されなかった男。
……まだ、諦めていなかったのだ。
「——怖がるな。」
北条信堅が私を見て、そして帳の向こうを睨んだ。
その眼差しは、氷のように冷たく鋭かった。
彼の言葉は少ない。
けれど、なぜだろう。
……不思議と、心が落ち着いた。
翌朝——
太鼓と笛の音が鳴り響く。
霧島清次を筆頭に、将たちが京への帰還に向けて出発する。
私は黙って荷をまとめ、
最後に、あの脇差を手に取った。
……あの男たちが、いつ来るかわからない。
緊張したまま時が過ぎる。
帷が揺れた。
思わず身を固くする——が、
入ってきたのは、北条信堅だった。
彼は旅装に身を包み、背中には荷を背負い、
頬に飛んだ血を袖でぬぐったばかりの様子だった。
「……行くぞ」
彼の手には、霧島清次の私印が押された婚姻誓約書があった。
それがあれば、軍営を出るのに何の障害もない。
二人で軍営を抜けようとした、そのときだった——
「川のほとりで、遺体が!」
「越後の奴らの仕業だ! この傷跡、あの短刀のものだ!」
「早く報告を!!」
混乱の声が飛び交う。
……私の胸がざわつく。
何か、感じた。
無意識のうちに、川の方へ足を向けようとした。
だが、北条信堅がそっと袖を引いた。
「……行くな。汚れる」
私の動きが止まる。
気づいてしまった。
——あの男たちの末路だと。
「……あなたが、やったの?」
北条信堅は、何も言わなかった。
私が袖を振り解くと、
彼はわずかに戸惑ったような表情を浮かべた。
「怖がるな。俺は……」
そのとき。
私は静かに手巾を取り出し、彼の頬に残っていた血をそっと拭った。
そして、微笑んで言った。
「ありがとう。……行きま…、帰ろう」
北条信堅は、私を見つめた。
深く、長く、まっすぐに。
そして一言だけ、静かに——
「……帰ろう」