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第6話

北条信堅の家は、堺港にあった。


豊かな港町と聞いてはいたけれど、

彼の身なりや物腰を見るかぎり、とても裕福な家の育ちには思えなかった。


私は彼に助けられ、連れ出してもらった身だ。


何かしら、礼を尽くさねば。

そう思って、道すがら質屋に立ち寄り——

雾島清次から贈られた三味線と、密かに大切にしていた勾玉を手放した。


得た金銀を、すべて北条信堅に差し出した。


「私をこの地獄から救ってくれたお礼です。

あなたが私を遊女の身から解き放ってくれたこと、一生忘れません。

命を救われた恩は、金銀財宝では返しきれませんが…、いずれ、私にできることがあるなら、命を賭してもお応えします」


北条信堅は、何か言いかけては、喉の奥に飲み込んで。

そして、ぽつりと訊ねた。


「……これから、どこへ行くつもりだ?」

「わかりません。……けど、私は自由になりたい」


その言葉に、不安げに私を見つめる北条信堅。

私は一瞬、身構えた。


また誰かに囲い込まれるのかと、怯えてしまった。

けれど、彼の口から出たのは——


「……じゃあ、行き先が決まるまで。せめて、それまでの間だけでも……俺のそばに居てくれないか?」


その願いは、決して理不尽なものではなかった。

この先の人生をきちんと考える前に、

目の前のこの不器用な恩人の世話くらい、してもいいだろう。


私はうなずいた。

その瞬間、彼はふっと、大きく息を吐いた。

「……まずは着替えて、家で休もう。」


彼は、私が質に入れた勾玉を取り戻し、三味線のうち五十銭を手にして、私を連れて堺港一番の服屋へ。


その華美な店構えに、私は思わず口を開いた。

「ちょ、ちょっと……そんなに無駄遣いしなくても……」


けれど——

店内に入るなり、番頭が目を見開いた。


次の瞬間、大声で叫んだ。

「お、御館様が……御館様がご帰還だーっ!!」


私の中で、何かが音を立てて崩れた。

思っていた北条信堅と、目の前にいる彼は……まるで別人だった。

呉服屋で衣を仕立て、

高級料亭で食事をし、

金銀細工の店で一揃いの装飾を誂える。

——けれど、どれも彼が一文も払うことはなかった。


すべてが、北条家の所有する店だったのだ。

屋敷に着いて、ようやく私は理解した。

北条信堅の「北条」こそ、かつての関東豪族・北条家のそれ。


莫大な財を築き、その資産は代々の子孫に受け継がれていた。

——彼は、北条家当主その人だった。


屋敷の門に立つと、使用人たちが我先に駆け寄り、涙ぐんで出迎えた。

「……神よ、ありがとうございます……

 御館様が、無事にご帰還なさった……!」


そして彼らは、私の方へと視線を向けた。

「……この方は?」


北条信堅は、私の手首をそっと取り、

きっぱりと宣言した。


「……私が、正式に娶った奥方様だ」



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