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第11話

母と共に宮中に参内した折、私は一度だけ、東宮様を遠くから拝見したことがある。

あの頃に比べて——

お顔色はさらに優れないように見えた。


けれど、正装の直衣で御座につく姿には、やはり人を圧する威厳があった。


……だが、私の目が最初に捉えたのは——

その左隣に控える、北条信堅の姿だった。


深い黒の裃に身を包み、

背筋を伸ばして立つ彼は、東宮よりもなお目を引く存在だった。


私と視線が合うと、彼はふっと微笑み、こう言った。


「だから言ったでしょう。——奥方様は、内親王様のところにご滞在中だと」


東宮が私を見て、柔らかく声をかける。


「北条侯の奥方様と、明華とは旧知の仲だったのですね?」


内親王は一段高い座に座りながら、

その表情は読み取れぬものだった。


——困惑とも、敵意とも取れる、

ぴりりと張り詰めた空気を纏っていた。


そして、視線を雾島清次へと移す。


雾島清次は、私を見まいと必死だった。

この場で目立ってはならぬと、礼儀正しく振る舞おうとしていたその最中——

東宮の隣にいた、威厳ある男が、じっと私を見据えて言った。


——私は明華内親王に命を脅かされながらも、北条信堅の名を出さず、

この婚姻が“形式的なもの”に過ぎないと、そう扱っていた。


彼の名に泥を塗りたくなかった。


だからこそ、今、この場で——

彼が堂々と「奥方様」と呼んだことに、戸惑いが走る。


……この先、私たちが別れることになったら。

どうやって説明するの?


——まさか、本当に「一生、他に妻を娶らないつもり」なの……?


私は心を押し隠し、前へ出て礼をとった。


「幼き頃、母に連れられて参内し、内親王様とはご縁をいただきました。

お話も合い、言葉を交わすことも幾度かございました。」


「奥方様は、京都のご出身とか。どちらのご家門です?」


「罪臣・櫻庭の娘でございます」


「なっ……!」


東宮が、驚愕したように身を起こした。


「櫻庭といえば……」


「結党不忠により家を断たれ、父と兄は処刑されました。

 一族百四十人のうち、生き残ったのは私ひとり。

その後、軍中にて遊女として過ごしましたが、戦の大勝をもって、

 陛下のご慈悲により、遊女たちにも帰属の自由が与えられ——」


私は、雾島清次に向かって一礼する。


「北条侯との婚姻の誓約書は、清次様が自ら裁可されたものです。」


「……君が、嫁いだ……?」


雾島清次は、信じられないという顔で私に歩み寄った。


「——清次さん?」


内親王が声を発し、ぴしゃりと止めた。

「東宮の御前ですよ。礼節をお忘れなく」


雾島清次は唇を噛みしめ、拳を握りしめたまま、

内親王の傍らに腰を下ろした。


けれど、その目は——

未だに、私をじっと見つめたままだった。

……まるで、次に瞬きをしたら、私が霧の中に消えてしまうとでも言いたげに。


東宮は微妙な表情で、苦笑まじりに口を開いた。


「北条侯は……なかなかに風変わりな方ですね。」


それは、婉曲な皮肉だった。

「権門の男が、かつて遊女だった女を娶る」ことに対しての、宮中ならではの蔑み。


けれど北条信堅は、穏やかに微笑んでこう言った。


「この方を娶ることができたのは、私の人生最大の幸運です」


——その声はまっすぐで、静かで、澄んでいた。

目を逸らさず、ただ私を見つめながら。


その一言があまりにも真っ直ぐすぎて、

一瞬、私は言葉を失った。

……視界が、少しだけ滲んだ気がした。


——この人は、本当に私を妻として、

胸を張って紹介してくれたんだ。



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