母と共に宮中に参内した折、私は一度だけ、東宮様を遠くから拝見したことがある。
あの頃に比べて——
お顔色はさらに優れないように見えた。
けれど、正装の直衣で御座につく姿には、やはり人を圧する威厳があった。
……だが、私の目が最初に捉えたのは——
その左隣に控える、北条信堅の姿だった。
深い黒の裃に身を包み、
背筋を伸ばして立つ彼は、東宮よりもなお目を引く存在だった。
私と視線が合うと、彼はふっと微笑み、こう言った。
「だから言ったでしょう。——奥方様は、内親王様のところにご滞在中だと」
東宮が私を見て、柔らかく声をかける。
「北条侯の奥方様と、明華とは旧知の仲だったのですね?」
内親王は一段高い座に座りながら、
その表情は読み取れぬものだった。
——困惑とも、敵意とも取れる、
ぴりりと張り詰めた空気を纏っていた。
そして、視線を雾島清次へと移す。
雾島清次は、私を見まいと必死だった。
この場で目立ってはならぬと、礼儀正しく振る舞おうとしていたその最中——
東宮の隣にいた、威厳ある男が、じっと私を見据えて言った。
——私は明華内親王に命を脅かされながらも、北条信堅の名を出さず、
この婚姻が“形式的なもの”に過ぎないと、そう扱っていた。
彼の名に泥を塗りたくなかった。
だからこそ、今、この場で——
彼が堂々と「奥方様」と呼んだことに、戸惑いが走る。
……この先、私たちが別れることになったら。
どうやって説明するの?
——まさか、本当に「一生、他に妻を娶らないつもり」なの……?
私は心を押し隠し、前へ出て礼をとった。
「幼き頃、母に連れられて参内し、内親王様とはご縁をいただきました。
お話も合い、言葉を交わすことも幾度かございました。」
「奥方様は、京都のご出身とか。どちらのご家門です?」
「罪臣・櫻庭の娘でございます」
「なっ……!」
東宮が、驚愕したように身を起こした。
「櫻庭といえば……」
「結党不忠により家を断たれ、父と兄は処刑されました。
一族百四十人のうち、生き残ったのは私ひとり。
その後、軍中にて遊女として過ごしましたが、戦の大勝をもって、
陛下のご慈悲により、遊女たちにも帰属の自由が与えられ——」
私は、雾島清次に向かって一礼する。
「北条侯との婚姻の誓約書は、清次様が自ら裁可されたものです。」
「……君が、嫁いだ……?」
雾島清次は、信じられないという顔で私に歩み寄った。
「——清次さん?」
内親王が声を発し、ぴしゃりと止めた。
「東宮の御前ですよ。礼節をお忘れなく」
雾島清次は唇を噛みしめ、拳を握りしめたまま、
内親王の傍らに腰を下ろした。
けれど、その目は——
未だに、私をじっと見つめたままだった。
……まるで、次に瞬きをしたら、私が霧の中に消えてしまうとでも言いたげに。
東宮は微妙な表情で、苦笑まじりに口を開いた。
「北条侯は……なかなかに風変わりな方ですね。」
それは、婉曲な皮肉だった。
「権門の男が、かつて遊女だった女を娶る」ことに対しての、宮中ならではの蔑み。
けれど北条信堅は、穏やかに微笑んでこう言った。
「この方を娶ることができたのは、私の人生最大の幸運です」
——その声はまっすぐで、静かで、澄んでいた。
目を逸らさず、ただ私を見つめながら。
その一言があまりにも真っ直ぐすぎて、
一瞬、私は言葉を失った。
……視界が、少しだけ滲んだ気がした。
——この人は、本当に私を妻として、
胸を張って紹介してくれたんだ。