京都の町に、北条家の屋敷がある。
帰路の馬車の中は、やけに静かだった。
北条信堅は、私の顔をじっと見つめ、
頭の先から足元まで視線を這わせるように確認した。
そして、やっと安堵したように微笑んだ。
「……無事でよかった。
明華内親王が、まだ本格的に手を下していなかったのは不幸中の幸いだ。」
私は小さく笑う。
「いえ、私、運はあまり良くないんです。
ただ……彼女の急所を、少しだけ突いただけ。」
内親王様は、式の時からずっと——
日々、雾島清次の動向を監視していた。
彼が誰と会ったか、誰を褒めたか。
些細なことにも敏感に反応し、
でも、それで彼の心が傾いたかと言えば——
むしろ逆。
日に日に、彼の視線は彼女から逸れていった。
——彼女は、内親王なのに。
本当に手に入れたいなら、
ただ一言「この男は私のもの」と言い切れば良かった。
けれど、雾島清次が周囲に気を向けていたのは、
彼にまだ自由があったからだ。
恋をする自由、選ぶ自由、背を向ける自由。
だから私は——彼女に言った。
「……その自由を、奪ってしまえばよいのです。
彼の“心”ごと閉じ込めれば、花も風も目に入らなくなりますよ。」
恐怖のほうが、恋よりも長続きする。
その一言に、内親王の目は一瞬、きらりと光った。
……もし、それを実行に移すつもりなら——
その矛先は、もう私ではない。
「君は……雾島清次を、憎んでいるのか?」
北条信堅が不意に尋ねた。
私は視線を落とし、静かに答える。
「いいえ。彼には感謝しています。
あの二年間、庇ってくれたのは事実です。」
「……けれど、私は生きたい。」
内親王の執着がいつか疲れ果てる時、
その時こそ、本当の地獄が始まる。
——私は、ただ少しだけ、その日を早めただけ。
生きるために。
勾玉の話に戻る。
北条信堅は、そのとき典当された勾玉の主を調べ、
絵師に似顔を描かせていた。
しかし、描き出された女性は——
義姉にしては、あまりに若く、顔立ちも違いすぎた。
私は肩を落とす。
「違ったのか……」
北条信堅はすぐに続けた。
「ただ、その者が何か知っている可能性はある。
人を増やして京都中を探している。——君の姉も、まだ見つかるはずだ。」
私の胸に、静かに、もう一度あの人の面影がよぎる。
——また、借りが増えた。
何もかもしてもらって、私ばかりが助けられている。
けれど北条信堅は、そんな私の心を読んだように、ふと口を開いた。
「君の姉を探す代わりに……俺の頼みを一つ、聞いてくれないか?」
その声音は、どこまでも穏やかで——
けれど、不思議と拒めないものだった。