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ふと、眩惑的な響きを有する
【
瑠璃紺色の
月光が照らす庭園の中心には、グランドピアノが置かれていた。
それを演奏する女性は、あまりにも呆気なく、ロレンツォのすべてを奪い去った――。
彼女が
悪魔――いや、もっと
彼女の演奏は、ここに聴衆が居るのならば、彼らすべての
彼女は、それらすべてを自身の糧として
聴衆が抱くあらゆる感情はすべて、彼らが率先して、彼女への
その一瞬は永遠のように、永遠はこの一瞬のために。
二人だけの夜会の幕は突如上がり、雲が月を隠すように静かに下りた。
「
ロレンツォの賛辞と拍手を受けた女性が、ゆっくりと振り返った。
儚げな瞳には、わずかな驚きの色が浮かんでいるようにも見える。
ロレンツォが
彼は口元に悪戯っぽい微笑を浮かべると、その薔薇を彼女へと、うやうやしく差し出す。
「
「
女性は優美な微笑みを口元にたたえて、花を受け取ると、静かに立ち上がった。
「こんばんは、
「こんばんは、
「あぁ、スミスです」
「ふふふ、あはたはどう見ても、この国の人に見えますが。いいわ、ロレンツォ・スミスさんね。私はアンジェリカ・ヴィヴァルディです」
女性は瑠璃色のドレスを摘んで、綺麗なお辞儀をしてみせる。
「素敵な花を感謝します」
「あなたの演奏への対価としてはあまりにも、ささやかですが。それにしても、ルカトーニの音楽が似合う見事な月夜です。このような特別な夜は、二人の音楽好きが親交を深めるのに申し分ないと思いませんか?」
「ふふ、そうですね。私も、いくつか訪れたいと思っていたところがあるのですが、何分にもこの街にはまだ不慣れなものでして。ご案内してくださる新しい友人が居るのならば、心強いですわ」
◆◇◆◇
月明かりと街灯が照らす、
肉料理や甘味から装飾品まで、ありとあらゆる露店が立ち並ぶ通りは、一日の最後の活気に満ちていた。
まだ、少年少女と呼べる年代の
パシャリ、という音が響き、二人は同時に振り返る。
若い恋人達が走り去る様子を、
顔を見合わせた三人は自然と口角を上げると、ともに会釈を交わした。
そこには同じ思い出を共有した者たちだけが持ち得る、確かな繋がりがあった。
日常の一瞬に生まれた奇跡のような、魔法のような時間――。
これだけは、
ロレンツォは苦笑を浮かべると、少年達が走り去った方へと視線を向ける。
その姿は、既にそこにはなかった。
「
「
女性に別れを告げると、二人は再び通りを歩いてゆく。
「先ほど演奏されていた曲は、ルカトーニのピアノソナタ第十一番ですね」
「えぇ、今では愛称で呼ばれる方が多いですが」
「あぁ、――〝
「買い被り過ぎです」
「そうでしょうか。最も、僕は悪魔というよりは、〝女王〟という方が相応しいと思いますけどね」
「なぜでしょうか?」
彼女はロレンツォが、露店にて購入したソフトクリームを受け取ると、一言、感謝を伝えた。
ロレンツォはチョコ、彼女は
「多くの演奏家は、この曲を弾く時に相手の心を自分の世界へと引き込み奪おうとする。まさに〝悪魔〟のようにね。そして、その弾き手の気持ちは、演奏に大なり小なり現れるものです」
「私は違うと?」
「えぇ、あなたの演奏は、あくまで相手に捧げさせるものです。心をね」
「ですが、それは悪魔よりも、もっとタチの悪いものかもしれませんよ?」
彼女はロレンツォの顔を
「なぜです?」
「相手に選ばせるということは、
溶けかけた木苺のソフト。
その最後の一口を食べた終えた彼女に、ロレンツォはシルクのハンカチを差し出した。