「久瀬社長、奥様の行方はどこにも見当たりません……身分情報もすべて抹消されています」
「……私が彼女の立場なら、同じようにすべてを捨てて、二度と戻らないだろうな」
久瀬隼人は眉をひそめ、自嘲気味に笑った。あれほどまでに彼女を傷つけておきながら、理解しろ、従えと求めていたのだ。
霧島栖が本当に自分の元を去ったと気付いた瞬間から、彼の心臓は引き裂かれたように痛み続けていた。血を流しながら、ただ惰性で動き続けているような感覚。
「……引き続き探してくれ」
その痛みにも、もう慣れ切っていた。今できることは、彼女を探し出し、そして許しを乞うことだけ。
「ご依頼いただいた調査、すべて完了しました。証拠映像はこのUSBメモリに入っております」
秘書が差し出した掌には、冷たい光を帯びたUSBメモリ。久瀬隼人はその先端をわずかに震える指で受け取り、PCへ差し込んだ。
予感はあった。
霧島栖が誰かを傷つけるような人間ではないことは、心のどこかで理解していた。だが、彼はそれを自分の目で確かめる必要があった。自分を罰するためにも。
悔しさと怒りに身を震わせながら、映像の一秒一秒を目を逸らさず見届けた。
あの時、白鳥瑶を抱いて語りかけていた最中、栖ちゃんは熱を出して床で苦しみ、水を倒し、血を流していた。
あの乗馬場で、自分が白鳥瑶の世話ばかり焼いていた時、栖ちゃんはすぐそばでずっと見ていた。挑発を受け、馬にぶつかり、地面に叩きつけられ、馬蹄に踏まれそうになっても、自分は……
見もしなかった。手を差し伸べるどころか、ただ白鳥瑶を庇っていた。
そしてあのスープ。
無実だった。霧島栖は何もしていない。白鳥瑶が勝手に流産薬を混ぜ、すべての罪を霧島栖になすりつけようとした。
なのに、自分は彼女を信じることなく、雪が降る中に突き出し、雪崩の下に埋めたのだ。
「俺は……一体何をしてしまったんだ……」
久瀬隼人は頭を抱え、肩を震わせた。
「栖ちゃん、どうして……俺が、そんなことを……」
『霧島栖、この命に誓って君を裏切ったなら、私は一生、幸福にはなれないだろう』
「栖ちゃん……君を失ったことで、俺はすべての幸福を失ったんだ……」
彼は呟き、冷たい涙が手の甲に落ちた。
その時だった。
「た、助けてぇぇっ!!」
久瀬邸の中に響き渡る、凄絶な悲鳴。
「白鳥瑶……お前は、自分の行いの代償を払う時だ」
隼人が振り返ると、血に染まった白鳥瑶が床に倒れていた。
「隼人……もうしない……許して……」
彼女は涙を流しながら、すがりつこうとした。
「あなたは私を愛してたでしょう……お願い、許して……もう二度と、栖の前には現れないから……」
隼人は彼女の首を掴んだ。
「愛してるだと?」
その言葉は彼の胸に深く刺さった。霧島栖の目には、自分のすべての過ちがどう映っていたのだろう。そう、あの時、自分は確かに一瞬、心を白鳥瑶に揺らいだ。
「離婚届……あれもお前の仕業か?」
「ちがっ!栖が、栖がお願いしてきたのよ!あなたに署名させてって!」
白鳥瑶が絶叫したその瞬間、彼女の身体から血が溢れ、床に落ちる音が響いた。
「隼人っ……!これ、私たちの子供なのにっ……!」
彼女は錯乱し、血まみれの胎児を拾い上げ、必死に身体に戻そうとした。
「この期に及んで、まだ久瀬家を欺こうとは!」
怒号が響き渡る。久瀬祖母が怒りを露わにした。
「水に放り込め!医者は付き添え!この女を死なせてはならん!」
「ハハハハハハッ!」
白鳥瑶は血に染まった腕で胎児を抱き、狂気に満ちた笑い声を上げた。
「久瀬隼人……!あなたたちが霧島栖を見捨てたから、だから彼女は出て行ったんじゃないか!」
「なのに全部、私のせいだって!?アハハハハハハッ!」
狂ったように笑いながら、白鳥瑶は警備に引きずられていき、床には血の跡が残った。
「隼人……栖は、本当に戻らないのかね?」
久瀬祖母が、そっと彼の手に何かを握らせた。冷たい感触に、彼ははっと我に返った。
それは、あの日霧島栖が叩き落とした宝石のブレスレットだった。誰かが欠片を拾い集め、修復されていた。
「聞いた話じゃ……浜市にいるらしいよ……私が悪かった。謝るためにも……帰ってきてほしい」
久瀬隼人は祖母を見つめた。その顔は、かつての気品を失い、年老いたひとりの女性の姿だった。
「……俺が連れて帰ってきます」
彼は宝石のブレスレットをぎゅっと握りしめ、決意を胸に刻んだ。
「必ず……栖ちゃんを迎えに行く」