メッセージが送信されたちょうどその頃――
清原介人はバスタオルで髪を拭いていた。
スマホの通知音が鳴り、彼が手に取ろうとしたその瞬間。
「私が見るね?」
青山遥が先にスマホを取って、にこっと微笑んだ。
彼は苦笑して「いいよ」と応じた。
彼のスマホには、すでに遥の指紋認証が登録されていた。
遥は慣れた手つきで夏目汐里とのトーク画面を開くと、そこには汐里からのメッセージが表示されていた。
彼女の瞳に、一瞬だけ軽蔑の色が浮かぶ。
そして、迷いなくそのメッセージを削除した。
――彼女は最初から知っていた。介人と夏目汐里の関係を。
だが、それはただの片想いだと信じていた。
世間の誰もが知っている。
清原介人は自分に夢中で、骨の髄まで自分を愛していると。
だから、他の女なんて、眼中にあるはずがない。
削除を終えると、今度は他の仕事関係のメールも目に入った。
彼女はそれらもまとめて削除した。
その頃、介人は髪を拭き終え、
ほのかにボディソープの香りを漂わせながら近づいてきた。
彼女を後ろから抱きしめて、耳元で尋ねた。
「さっきの通知、何だった?」
遥はくるりと振り返って彼を抱きしめ返し、スマホをそっとテーブルに置いた。
「迷惑メールよ。気にしないで? ねぇ……続きをしよう?」
そう言って笑う彼女のネグリジェの裾から、柔らかな肌がちらつく。
「……ああ」
それだけ呟き、彼は再び彼女をベッドへと押し倒した。
――夜は更けていった。
***
翌朝、まだベッドで眠っていた介人のスマホがけたたましく鳴り始めた。
彼は最初無視しようとしたが、あまりにもしつこく鳴り続ける。
「……今日は休日のはずだろ」
苛立ちを抑えながら、彼はスマホを取って出た。
電話の相手は、もう一人の秘書だった。焦った様子で声を上げる。
「昨日、取引先から会議の件でメールが届いてました!
今日、清原社長と打ち合わせの予定です! もう皆さん来てます!」
「……は?」
介人は一気に目が覚めた。
「そんなメール、俺には届いてないぞ!?」
彼はすぐに服を取りに立ち上がり、眉間にしわを寄せながら怒鳴った。
「大事な会議を、なんで夏目汐里が俺に伝えてないんだ!?何やってるんだアイツは! すぐに迎えに来させろ!」
彼の怒りはどんどん募っていた。
汐里がまだ自分に腹を立てているせいだと決めつけていた。
……まさか、その返答が――
「社長、夏目秘書は……もう退職されました」
まるで雷に打たれたかのように、彼は固まった。
「な……なんだって? 俺が許可した覚えはないぞ!?すぐに戻るように言え! 俺の許可がなきゃ退職なんて認めない!」
介人の怒鳴り声に、電話の向こうの秘書は震え上がる。
――彼の頭の中は混乱していた。
(汐里……本当に辞めたのか? あれだけのことで……?)
自分は、遥が一番大事だと言った。
だからこそ、汐里の気持ちは理解していたつもりだった。
彼女が受けた理不尽は、これから少しずつ償っていけばいい。
……そう思っていたのに。
なぜ、彼女は一言もなく――すべてを断ち切ったのか。
そのとき。
ベッドの中から、柔らかい声が聞こえた。
「……どうしたの、介人?」
青山遥が、まだ眠たそうに彼にしがみついてくる。
その様子に、彼は思わず語気を緩めた。
「なんでもない。仕事だ、君は気にしなくていい」
彼は会社へ行くつもりだった。
が、遥はお構いなしに腕を絡めてくる。
「一緒に寝てよ……まだ朝だよ? ね、行かないで」
彼女の甘えた声と、ふわりとした体温に
昨夜の記憶が蘇る。
――結局、彼はベッドに戻った。
再び彼女を寝かしつけた頃には、すでに30分以上が経過していた。
スマホを開くと、何件もの着信が並んでいた。
彼は短くメッセージを返す。
「今日の会議、午後に変更してくれ」
しかし返ってきた返信は、冷や水のような内容だった。
「社長、お客様はすでにお帰りになりました。……契約も、破談になりました」
彼の心が大きく揺れた。
だが、腕の中の遥の寝顔を見ると、すべてが報われたような気がした。
微かに口元を緩めた彼だったが――
次の瞬間、ある違和感が脳裏をよぎった。
(……メール、届いてなかった……?)
彼は慌ててスマホのメールアプリを開いた。
受信トレイには何もない。
……昨夜、遥がスマホを見たのを思い出す。
僅かな期待と不安を抱えながら、彼は「ゴミ箱」フォルダを開いた。
――そして。
顔がみるみる青ざめ、歯を強く食いしばった。