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第12話


出社すると同時に、社員たちが一斉に清原介人のもとへ駆け寄ってきた。


「社長、ようやくお越しになりました。こちらが先日お渡しした損益報告書です」

「取引中止を申し出てきた企業のリストです。いずれも緊急対応が必要です」

「こちらは最近の人事状況になります。ベテラン社員数名が、退職を検討しているとの報告がありました……」


たった数日会社を空けただけで、どうしてこんな事態になっているんだ……?


書類を受け取り、一瞥しただけで頭が痛くなり、彼は苛立ちを込めて地面に叩きつけた。

「……お前たちは一体何をしてたんだ! 数日俺がいないだけで、どうしてこんなに損失が出る!?取引先だって、俺が戻るまで待たせることぐらいできただろう!」


“バンッ”という音と共に、分厚いファイルが床に弾けた。

誰もが息を呑み、沈黙の中、秘書が小さな声で呟いた。

「……これらの業務は、普段は夏目秘書がすべて対応していましたので……」

「じゃあ夏……」

思わず呼びかけようとして、清原はようやく思い出す。

――夏目汐里は、もういない。


彼の顔がさらに陰りを増し、低く呟いた。

「夏目汐里にできて、お前たちにはできないっていうのか?」


誰も返す言葉がなかった。

この四年間、彼女がどれだけ真摯に職務を全うしてきたか、全員がよく知っていた。


そして、自分には到底真似できないことも。


静まり返った空気の中、青山遥の軽やかな笑い声が響いた。

「そんなに怒らないで、介人。たかが一人の秘書が辞めただけでしょう?私が代わりにやるから、きっと夏目さんより上手くやってみせるわ」


その言葉に、清原はやわらかく笑みを返す。

「頼りにしてるよ、遥。お前ら、これからは、遥の指示に従ってくれ」


そう言い残して、大事な資料を持ったままオフィスへ戻っていった。

残されたのは、青山遥と数人のみ。


清原が去った瞬間、彼女の笑顔は凍りついたように消えた。

彼女は鋭い目で一人の秘書をにらみつけ――次の瞬間、手が飛んだ。


パシンッ!


「さっき、社長にずいぶんと距離近かったけど……まさか、色目でも使ってたんじゃないでしょうね?」

低く冷ややかな声が放たれた瞬間、周囲の空気がぴたりと張り詰めた。

数人の女性が、驚きと戸惑いに目を見開き、凍りついたように顔をこわばらせる。「そ、そんなことありません! 私たちはただ、業務の説明をしていただけで……!」


だが、青山遥は聞く耳を持たず、即座にボディーガードを呼びつけた。

「この人たちをここから追い出して。二度と社内に入れないで」


その後、遥はわざわざセクシーなスーツ姿に着替えた。黒いストッキングが太腿にぴったりと張り付き、スカートはぎりぎりの丈。

ほんの少し腰を曲げれば、中まで見えてしまいそうな格好で――彼女は、社長室の扉をノックした。


「社長、お邪魔しますね」


媚びた声と視線。

しかし、清原介人は書類の山に目を落としたまま、顔をしかめて言った。


「……遥、今は忙しい。仕事中なんだから、そういう格好はやめてくれ」


だが遥はおかまいなし。

そのまま彼の膝に腰を下ろし、甘く囁いた。


「後でもいいじゃない、介人……ちょっとだけ、私に付き合ってよ?」


彼女の柔らかな体温と香りに、理性が少しずつ溶かされる。

喉が鳴り、気づけば彼は彼女を抱き上げ、デスクの上に押し倒していた――。


***


昼過ぎ、ようやくふたりは事を終えた。


遥のストッキングは破れ、首筋には紅い痕が点々と残る。

介人のシャツも乱れ、髪も少し崩れていた。


腕時計を見て、彼はようやく気づく。

――昼食が、来ていない。


「……まさか、こんなことも忘れるとは」

苛立ちをこらえながら、彼は秘書室に電話をかけた。


「どういうことだ、昼食も届けられないのか。もう仕事する気がないのか?」

「……社長、私たちは皆、青山様に追い出されました。それに、私たちは夏目秘書みたいに我慢強くありません。これ以上、続ける気にはなれません」


「……汐里が、どうしたって?」

言いかけたその時、秘書は深いため息をつきながら、一通のファイルを送ってきた。


「……全部、そこに書いてあります。では、失礼します」


清原は、ざわつく胸を抑えながら、そのファイルを開いた。

そして――愕然とする。


そこに記されていたのは、青山遥による虚偽と工作の数々。

彼女が清原に向けて語った汐里への非難は、すべて嘘だった。

最初から最後まで、自作自演だった。


目の前が、暗くなった。

あの夏目汐里が、どれほど傷ついて、耐えていたか。

――想像すらしていなかった。


体の中心が冷たくなり、言葉を失ったまま、画面を見つめる。


そんな彼の様子に気づかず、遥が無邪気に声をかける。

「介人、どうしたの? お昼まだ~? 私、もうお腹すいちゃった」


だが――

清原介人がゆっくりと顔を上げたそのとき、彼の瞳からは、もう甘さが消えていた。



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