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第14話


ドアの向こうから現れたのは、彼が心から待ち望んだ人ではなかった。

――入ってきたのは、青山遥だった。


その瞬間、彼女の耳にも届いてしまったのだ。

「汐里」という、男の口から漏れたその名前が。


遥の胸に、抑えきれない嫉妬が込み上げる。

彼女にはわからなかった。ただの秘書に過ぎないはずの女が、なぜ何度も彼女の前に立ちはだかるのか。


目の前で落胆した様子の清原介人を見るのが、何よりも耐えられなかった。

「……また汐里なの? ねえ、介人……あなた、本当にあの女が好きなの!?」


詰め寄る彼女に、清原介人は答えなかった。

目の前にいるのが汐里でないと気づいた時点で、彼の意識はすでにここにはなかった。


その態度がさらに遥を逆上させる。

涙を滲ませながら、ヒステリックな声で叫び出した。


「彼女なんて、ただの秘書でしょ!? ただの下僕よ!?私には最初から分かってた! あの女、あなたに色目使ってたもの!だから出て行って正解だったのよ!

……それとも、介人……本当にあの女に恋してるの!?」


絶え間なく投げつけられる問いかけに、介人は黙したまま、ただ黙っていた。

――しかし、青山遥は甘やかされることに慣れすぎていた。

冷たくあしらわれることなど、耐えられない。


怒りに駆られ、彼女は机の上の書類を手当たり次第に叩き落とす。


「さっき聞こえたのよ! “汐里、どこにいるんだ”って!

探すつもりなの!? 連れ戻すつもり!? やっぱり好きなんでしょ、あの女のこと!」


限界だった。


彼の瞳に、もはや遥への愛情は残っていなかった。

どうして、自分はこんな女を愛していたのか――そのことすら理解できなかった。

理不尽で、自己中心的で、夏目汐里を苦しめ、追い出した張本人。


その瞬間、怒りが爆発した。

「そうだ! 俺は夏目汐里が好きなんだ、好きになったんだよ! 何が悪い!」


口火を切ったその一言から、堰を切ったように怒りが噴き出す。

清原介人は一歩一歩、遥に近づきながら吐き捨てた。


「お前は、俺の秘書たちを勝手に辞めさせた。それだけじゃない。俺のスマホから重要なメールを無断で削除して、いくつもの取引先が契約を破棄してきたんだ。

社内じゃ、社員に威圧的に振る舞って……みんな、お前と働くのが嫌で辞めたがってる。

そのせいで、会社は莫大な損失を出した。……それでも、俺は目をつぶってきた。

だけど――なんで、汐里まで追い出す必要があった!?

……そうだ、俺は夏目汐里を愛してる!

お前がいなかったあの数年間――ずっとそばにいてくれたのは、彼女だ!

青山遥……お前に、彼女を貶める資格なんか、微塵もない!」


その目は、冷酷で、暗く燃えていた。

遥はその視線に怯え、涙が目に滲んだ。だが、口だけは止まらなかった。

「でも……でも、彼女はただの秘書よ!? どうせ安っぽい女じゃない!」


――パチンッ!


その言葉が終わる前に、乾いた音が部屋に響いた。

清原介人の手が、青山遥の頬を強く打っていた。


想像すらしていなかった衝撃に、遥はその場に凍りついた。

次の瞬間、溜まっていた涙が一気に頬を伝い、彼女は取り乱して男に掴みかかる。


「ひどい……っ! 介人、あなた……私を叩いたの!? “愛してる”って言ってくれてたのに……! どうして……どうしてあんな女なんかを選ぶのよ!」


だが、彼女の暴れる手は、あまりにも軽かった。


気づいてしまった後の男の目は、遥を見下すような軽蔑に満ちていた。

その手をぐっと掴むと、再び――今度は容赦なく、もう一度、平手が飛んだ。


――バチン!


遥の顔がぐいと横を向き、頬はみるみる腫れあがった。


それでも、彼の怒りは冷めることはなかった。

そして、その声は氷より冷たく突き刺さった。


「……夏目汐里が受けた苦しみに比べれば、お前に与えたこの程度の痛みなんて、何でもない。

お前は……汐里に謝罪しろ。地に頭を擦りつけてでも、償え」




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