清原寧々は、夏目汐里に連絡を入れた。
だが日本と海外では時差がある。
彼女は兄に「今日は一度帰って休んで」と諭したが、清原介人はどうしてもその場を離れようとしなかった。
「……ここにいる。何があっても、汐里の返事を待つ」
ソファに身体を横たえても、彼の目は冴えていた。
わずかな物音にもすぐに目を覚まし、スマートフォンを何度も確認する。
そうして、ようやく――
次の日の夜、ようやく画面に通知が届いた。
「……分かりました。会って話しましょう」
たったそれだけの短い返事だった。
だが、清原介人にとっては、それだけで十分すぎるほどだった。
夏目汐里が、自分に会うことを拒まなかった。
それだけで、希望の光が胸を照らした。
「まだ、終わっていない……!」
弾かれるように立ち上がった彼は、すぐさま最短の国際便を手配する。
だが、清原寧々が慌てて彼の腕を掴んだ。
「……ちょっと待って! お兄ちゃん、もう何日もまともに寝てないでしょ。今日くらいはちゃんと休んで。汐里が“会う”って言ってくれたんだから、焦らなくても――」
けれど、介人はその手をそっと振りほどいた。
「……俺は、もう待てないんだ」
その瞳には、過去の彼にはなかった光が宿っていた。
「汐里がいなくなってから、毎日空っぽだった。朝も夜も、頭の中は彼女のことでいっぱいだった。……今すぐ、彼女に会いたいんだ」
彼の言葉に、寧々は思わず息を呑む。
そして、背中を向けて走っていく兄を見送ると、小さく呟いた。
「……そんなふうに想ってたなら、どうして、どうしてもっと早く気づかなかったのよ……」
けれど、その呟きは、もう彼には届かない。
清原介人の心は、すでに夏目汐里のもとへと飛んでいた。
飛行機に乗っても、彼は目を閉じようともしなかった。
頭の中には、彼女の姿が途切れなく浮かんでいた。
海外での生活はどうだろうか。
身体は無事だろうか。
食べ物は合っているか、寝る場所はちゃんとあるか――。
そんな思いが胸をかき乱し、眠気など一瞬で吹き飛んでいった。
彼女と出会った日のことが、ふと浮かぶ。
控えめな笑顔、素直な仕草、不器用な優しさ――
あのときは、ただの部下のひとりだと思っていた。
けれど、青山遥ばかりを追いかける自分の背中に、
いつも何も言わず、影のように寄り添ってくれていたのは、夏目汐里だった。
初めて彼女の告白を聞いたとき、彼はそれを断った。
けれど、身体だけは受け入れていた。
彼女が何も求めず、ただ静かに彼の傍にいたからこそ、
都合のいい関係を許してしまっていた。
その優しさが、彼にとっては心地よかった。
――もし、青山遥が現れなければ、
もしかしたら、このまま曖昧な関係で、彼女を繋ぎ止めていたかもしれない。
けれど、今は違う。
夏目汐里が、自分の人生にとってどれほど大きな存在だったのか、離れて初めて痛感した。
彼女の笑顔が好きだった。
淹れてくれるコーヒーの香りが、今でも恋しい。
何気ないやり取りの一つ一つが、宝物のように胸に残っていた。
「……絶対に、やり直す。今度こそ、彼女を迎えに行く」
清原介人の表情には、強い決意が刻まれていた。
彼女を愛している。
これからの人生をかけて、その気持ちを伝えるつもりだった。
八時間後――
ついに飛行機は、目的の地に着陸した。
空港を飛び出した清原介人は、息を切らしながら、汐里が指定した住所へと向かった。
「汐里……今すぐ、会いたい」
彼の足は、迷いもなく、まっすぐに愛する人のもとへと進んでいくのだった――。