このところの青山遥は、地獄のような日々を送っていた。
食事も満足に与えられず、眠ることすら許されない。
かつて夏目汐里に浴びせた仕打ちは、すべて何倍にもなって自分に返ってきた。
地下室の隅で身をすくませ、震える青山遥のもとに、光が差し込む。
扉が開かれたのだと気づくのに、しばし時間がかかった。
そして、そこに現れたのは――清原介人。
その姿を目にした途端、彼女は何かに取り憑かれたように這い寄り、男の足にすがりついた。
「介人……ごめんなさい! 本当に悪かったの、だから許して……!
お願い、もうあなたたちの邪魔はしない。汐里さんの前にも、二度と現れない。
私、遠くに行くから、だから、もう……見逃して……!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、青山遥は懇願した。
だが――
清原介人は何も言わず、ただ彼女の顔をじっと見つめた。
その顔に、かつての“清純”や“美しさ”はなかった。
そこにあるのは、欲望と執着だけ。
こんな女のために、自分は――大切な人を、失ってしまったのだ。
怒りがふつふつと湧き上がる。
だが、寧々も、汐里も言っていた。
本質的な過ちは、自分自身にあるのだと。
青山遥は、ただ“利用した”だけ。
愚かなのは、それを許した自分なのだ。
深く息を吐いて気持ちを整えると、彼は手にしていた封筒を彼女の足元に落とした。
中身を目にした青山遥の瞳が、一瞬で見開かれる。
そこにあったのは――自分の“過去”だった。
国外での素行の悪さ。
中絶の記録。
複数の男性との関係。
すべてが暴かれていた。
「違うっ……違う違う違う! これ、私じゃない! 介人、信じて……これは合成よ、誰かが仕組んだの!」
彼女は狼狽し、顔を両手で覆いながら叫んだ。
「夏目汐里ね、あの女が私を陥れようとして……そうよ、全部あの女がやったのよ!」
まるで狂人のように喚き散らす青山遥。
「私はそんなことしてない! 私はちゃんと海外の名門大学に通って、良い仕事をして、素敵な恋人がいたのよ!こんな人生、私のじゃない……こんなはずじゃなかったのに!」
叫びは、次第にすすり泣きへと変わっていく。
最初こそ、海外での生活は楽しかった。
持ち前の容姿で男を手玉に取り、金も地位も思うままだった。
だが、やがて誰もが去っていき、学位も得られず、仕事も見つからず――
最後には、自分の身体を差し出すしかなかった。
そんな生活が破綻した先に、彼女が帰る場所はただ一つ、清原介人の元だけだった。
――けれど今、その“最後の砦”すら、崩れようとしている。
彼女はなおも土下座し、頭を打ちつけて謝罪を続けた。
介人は何も言わず、その姿を冷ややかに見下ろしていた。
やがて、彼女が力尽き、声を失った頃。
ようやく、彼は口を開いた。
「……出てけ」
その一言に、青山遥の肩が震える。
「……え?」
「出ていけ、青山遥。
今日限りで、俺たちは何の関係もない。
確かに昔は、お前を愛していた時期もあった。
でも……もう、その気持ちはとっくになくなった。
今、俺の心にいるのは、別の人間だ」
その言葉に、彼女は笑えばいいのか、泣けばいいのか分からなかった。
それとも、自分がどこへ向かえばいいのか――それすら分からなかった。
扉は開かれている。
もう、誰も彼女を縛る者はいない。
だが、自由になったその瞬間――
青山遥は、未来という名の“恐怖”に震えた。
長い時間をかけて、ようやく、彼女はよろよろと立ち上がる。
ふらつく足取りで、扉の外へ――闇の向こうへと姿を消した。
それから、誰も彼女の行方を知らない。
誰も、気に留める者もいなかった。
一方その頃、十分な休息をとった清原介人は、会社の経営に再び戻っていた。
経営権の返上に安堵した清原寧々は、小さく息を吐いた。
――もともと、彼女の夢は家業を継ぐことではなかったのだから。
彼女には、彼女自身の人生がある。