現実世界での記録に残る巨大熊は、先史時代の南アメリカに生息していたという「アルクトテリウム・アングスティデンス(Arctotherium angustidens)」。
体重が約1.6トン、立ち上がったときの身長が3.5メートルほどの熊だったらしい、と化石研究記録に残されている。
「グァルルル……」
唸り声と共にこちらへ突進してくる異世界の熊は、それに匹敵するサイズだ。
しかしその大きさ故に、走る速度はクリムゾンボアよりもずっと遅い。
俺はサッと横へ移動して突っ込んでくる奴を躱し、その首を爪つきナックルで切り裂いた。
「グァオォォォ!」
周囲の空気をビリビリ震わせる叫び声を上げた熊の首から、吹き出したのは黒い血液。
攻撃してすぐ跳んで離れた俺がそれを浴びることは無かったが、黒い血がコールタールのように熊の体表や地面に広がっていく。
「イリの神様、あれは邪神デュマリフィの眷属です」
俺をここまで案内してきた星の精霊が言う。
デュマリフィというのは元々この世界に居たものではなく、彗星と共に飛来する神だ。
【過去見の水鏡】の記録によれば、デュマリフィは5百年に一度の周期で現れて、世界に災厄をもたらすという。
「あの熊を倒さないと、同族間で眷属化が拡大してしまいます」
星の精霊は、眷属化は同じ種族の間でウイルスのように広がるものだと言う。
どちらにしろ村を壊滅させたアレを放置しておけないので、俺は巨熊を倒すことにした。
俺、猫を飼うためだけに異世界転移した筈なんだが。
猫拳を学んだり、凶暴な巨大生物を狩ったり、神の力を付与されたりしたおかげで、俺には熊の咆哮にも怯まない度胸がついていた。
しかし、クリムゾンボアやオラオラ鳥よりも巨大で防御力の高い熊は、回避からの一撃では仕留められなかった。
じゃあどうするか?
そんなの決まってる。
敵が斃れるまで攻撃あるのみ!
「グァオッ!」
巨大熊が再び襲ってくる。
知能はあまり高くないのか、直線的な攻撃だ。
しかしパワーは凄い。
俺が躱した直後、大木に突っ込んだ熊は、太い幹を粉砕してしまった。
木の幹が粉々になるなんて、初めて見たよ。
大木の上半分が、だるま落としみたいに真下に落下した後、地響きをたてて倒れた。
熊は周囲を見回して、攻撃目標を探している。
その隙に、俺は身体強化魔法を起動した。
無属性魔法:攻撃力増加、攻撃速度上昇
強化が終わるのと、熊が俺を見つけるのは、ほぼ同時だった。
俺がいるのは、熊の背後。
振り返った熊は、丸太のように太い前足を振り上げた。
「グァオゥッ!」
振り下ろされた熊爪が、地面を大きく抉る。
土の塊や小石や草が、宙を舞う。
それらの動きが、俺にはスローモーションのようにゆっくりした動きに見えた。
「?!」
「食らえ!」
再び攻撃目標を見失った熊がギョッとする。
そのときには、俺は敵を捉えていた。
猫拳奥義:流星百裂斬
百の流星の如く、爪つきナックルの連撃が巨熊を切り裂く。
日頃の鍛錬に加えて、身体強化魔法と神の力があればこそ出せる技だ。
巨大な熊は肉片と化した後、蒸発するように消えた。
「イリの神様、邪神の眷属は消滅しました」
周囲を探るように飛び回った後、星の精霊が言う。
俺も確認するため周囲を見回すと、熊は肉片も残らず消え去り、地面を汚していた黒い血も消えていた。
「願い主は?!」
「生きてます!」
俺は女性の安否を確認するため、壁に大穴が開いた家屋に目を向ける。
女性は床に倒れて目を閉じている。
星の精霊がそちらへスッ飛んで行き、女性の顔を覗き込んで状態を確認すると告げた。