景久は出雲国に戻るとすぐ、再び平安京へ上奏し、あやめを内親王として封じるよう願い出た。
あやめは彼の実子ではなく継娘であるため、この請願は困難を極めるはずだった。
だが、彼は奏上にこう記した、あやめの歳禄はすべて出雲国より支給する、と。
この一文が決め手となったのか、陛下は間もなくその請願をお許しになり、あやめは正式に内親王に封じられた。その後、橘家のことを耳にしたのは、私が親王府で身ごもった子を養っていた頃のことだった。
その時すでに、澄信は投獄されていた。
私は驚かなかった。
その裏には、おそらく安倍芙絵の影があったのだろう。
一見、澄信に深い愛情を注いでいるように見えて、実のところ、彼女は巧妙に彼を追い詰めていた。
彼の子を歪んだ方向へ導き、「妻を妾にした非道な男」と世間から非難されるよう仕向け、さらには、私が親王妃を騙っているとまで匂わせた。
厳密な計略のようでありながら、こうも露骨に行動に移したことには、何か理由があるに違いない。
その日の夕刻、景久が府に戻った。
私は彼に問いかけた。
「……澄信の件、やはり安倍芙絵が関わっているのですか?」
景久はしばし沈黙し、やがて静かに答えた。
「彼のことは少し複雑で……一言では語りきれぬな。」
澄信は式部大輔の職にあり、橘家の傍系の者を幾人か登用していた。
その中の一人が任務に失態を犯したことから、
本来なら、処分は軽く、数日間の謹慎で済むはずだった。陛下も旧恩に免じて、あくまで軽く罰する程度のご処置を望んでおられた。
だが、この案件を担当していた役人が、澄信による官職売買の証拠を掘り出してしまったのだ。
実際に人を推薦したのは澄信だったが、金銭を受け取っていたのは安倍芙絵だった。
それを知った澄信は激怒し、安倍芙絵と対峙したという。しかしm彼女は涙を流し、「澄信様もご存じのはず」と、責任の一端を彼に押し付けた。
結果、澄信は獄中で鞭打ち刑を受け、官位を剥奪され、ただの平民に落とされた。
それ以降、彼は安倍芙絵の支えなしには生きられない身となった。
幸い、安倍芙絵が受け取った賄賂は大金ではなかったため、陛下は寛大なお心を以て、彰忠の科挙受験を禁止されることはなかった。
とはいえ、彼の未来もまた、決して平坦ではないだろう。