澄信は、侍たちに乱暴に連れ出された。迎えに来たのは、他でもない安倍芙絵だった。
あのふたりは、まだしばらく互いを苦しめ合うのだろう。
けれど、もう私の目の前に現れることはない。
私が平安京に滞在するのは一年のうちわずか。
私と澄信の決別は誰もが知るところとなり、彼や橘彰忠の消息が私の耳に届くこともなくなった。
私は心置きなくあやめを育て、失われた五年の親子の時間を埋めていった。
長光はあやめより九つ年下。あやめは妹のような存在として、長光をとても可愛がってくれていた。
長光が歩けるようになった頃、壁に手をつきながらよちよちとあやめの後をついて歩き、姉様とたどたどしく呼ぶ姿は、見ていて微笑ましいものだった。
……そんな穏やかな日々が、静かに過ぎていった。
数年後
陛下は一部の親王から封国を削減なさったが、景久の領地には一切手を付けなかった。
景久はあらかじめ奏上し、長光とあやめに自らの封国を継がせる旨を願い出ていた。二人は歳禄を受け取り、一部の実権も与えられた。
もっとも、それは彼女たちの代限りの恩寵だったが、陛下は快くこれを許された。
あやめは、私と澄信の過去を知っているがゆえに、婚姻の話を頑なに拒んだ。私は無理に勧めることはしなかった。
内親王という立場があれば、生活に困ることもない。わざわざ男に頼らずとも、心穏やかに生きていけるのだから。
一方、長光には幼なじみがいた。
まさに竹馬の友というやつで、子どもの頃から共に過ごしていた。
私はそのことに干渉しなかった。長光は、あやめと景久に愛されて育ち、思慮深くもあったが、甘やかされた部分もあり、少しの理不尽にも耐えられないところがある。
とはいえ、皇族の娘。
誰も彼女に手出しできる者などいなかった。
彼女が好意を寄せている相手、その青年に、景久も何度か会っていた。
あまり多くを語らぬ景久が、ぽつりと言った。
「……あの子は、なかなかの人物だ。」
それを聞いて、私はようやく胸を撫で下ろした。
そして、橘彰忠は二十四歳で進士に合格し、数か月後には郡司、いわば地方の知事に任命された。
その赴任の途中、彼は出雲国に立ち寄った。
ちょうど冬至だったため、礼儀として親王府の門前に賀状を届けたのだった。そのとき、あやめは彼がひとりで訪ねてきたことに胸を痛め、弟として会ってやったという。
再会の場で、彼はあやめの前で声を上げて泣き崩れた。
あとであやめが語ってくれた。
「彰忠は父・澄信に対して、相当な恨みがあるようで……だから彼には、もう顔を見せたくもないのだと。だが、その態度が不孝だと非難されているらしくて……」
だからだろう、同年の進士たちは大学寮に進んだり、都で要職を得たりしているのに、彼だけが遠方で郡司を務めている。
あやめが三歳、彰忠が一歳だったあの谷底での事故。
あのときに比べれば、今の彼の職位は低いとはいえ、まだ救いがあるのかもしれない。
あやめは少し笑って、それ以上彼のことを語らなかった。
日が暮れ、灯がともされる。
厨房では、湯気の立つ熱々の料理が用意されていた。
長光は扉を閉め、あやめの隣に腰を下ろしながら、最近の出来事を話し出した。
「彼がね、昨日腕輪を贈ってくれたの。……ねえ、これってどういう意味だと思う?」
あやめは頬杖をついて、首をかしげる。
「さあね……もしかして……」
長光は恋愛に疎く、あやめも男との接点が少ない。このふたり、きっと一日かけても答えにたどり着けないだろう。
その様子に、景久が顔をしかめた。
「恋いのあかしだよ。」
その一言に、長光はたちまち顔を真っ赤にし、視線を伏せた。
私は、堪えきれず吹き出してしまう。
夜は長く、今宵はゆっくり語らえるだろう。
……ただ、願わくば。
明日もまた、春の兆しに満ちていますように。