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第3話 母しゃま、観察と記録を始めます!

 リオンは基本的に元気な子だ。朝はぱっちり目を開けて笑い、昼には「おひざ!」とねだってくる。

 マリネの話では、以前よりずっとよく笑うようになったらしい。


 けれど――。


 夜になると、決まって咳き込む。熱っぽい日もあれば、寝汗をかいてうなされることもある。


「日中はあんなに元気なのに、どうして……」


 私は寝顔のリオンにそっと手を当てた。額が、じんわりと熱い。


 スキルはたしかに体の異常を伝えてくれる。

 でもそれが何のせいか、どうしたらいいのかまでは教えてもらえない。


 ――は? 中途半端すぎ。


 そっと立ち上がり、机の片隅にあったノートと羽根ペンを手に取った。


 社畜時代。


 異動申請、出張費、備品管理にクレーム処理。常に記録、記録、記録。やってられないと思ってたはずなのに。

 嫌というほど『書く』ことを叩き込まれたあの日々。


「慣れって、こわいよね……」


 私は迷わずページを開き、日付と時間、リオンの体調を書き留め始めた。


 ○月×日

 昼:体温36.4℃、脈拍正常、呼吸正常、食欲良好、元気に走り回る

 夜:体温37.4℃、脈拍やや高め、呼吸少し早め、軽い咳と顔に紅潮


 ○月△日

 昼:体温36.5℃、脈拍正常、呼吸正常、食欲旺盛、少し疲れ気味

 夜:体温38.2℃、脈拍高め、呼吸早め、寝汗、寝つき悪い


 ○月□日

 昼:体温36.6℃、脈拍正常、呼吸正常、やや不機嫌、遊びに集中できない

 夜:体温37.9℃、脈拍やや高め、呼吸少し早め、咳多めで時々うなされる


 目の前に、彼の情報が浮かび上がる。……数値そのものは色が付いている。

 どうやら正常なら緑、注意が必要なときはオレンジ、危険なときは真っ赤になるらしい。


「これ体温も脈拍も、数字の色だけで今の状態が一目でわかるってわけ……」


 私は思わず苦笑する。


「なにこの仕様、ゲームのステータス画面か何かなの? ……便利そうだけど、どうせなら原因まで教えてよ」


 文句を言いながら書き連ねて、ふと気づく。


(……同じ時間帯に、症状が出てない?)


 少しずつ、パターンが見えてきた。

 まだ原因はわからないけれど、――何かがある、そんな気がしてならなかった。


「よし、やるだけやってみるか。母しゃまとして」


 私は小さく息を吐き、再びリオンのそばへ戻った。彼の寝息はまだ少し不安定だ。


「君の夜が、もう少し穏やかになりますように……」


 願うように、そっと背中を撫でた。


「奥様……? どうかなさいましたか?」


 マリネだった。夜の薄明かりの中、部屋の隅に控えめに立っている。


「わっ! ビックリした。……リオンの観察よ。母しゃまなりにね?」


 肩をすくめると、マリネはふっと目を細めた。


「坊ちゃまにとって、それが一番の特効薬かもしれませんね」


 その言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。

 リオンが寝返りを打ち、ふにゃりと甘えたような声を漏らした。小さな指が寝ぼけたまま、私の手首をぎゅっと掴む。


「おかあさんって……こういうことなのかもね?」


 ぽつりとこぼれた自分の声に、少しだけ驚く。でも、不思議と自然だった。

 リオンの髪をそっと撫でながら、私は静かに目を閉じる。


 ──明日も、この子の笑顔が見られますように。

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