【レオニスside】
数日後の夜遅く。
戦地の仮設陣地には、兵士達が周りを囲む、静かな焚き火の灯りが揺れていた。
部隊の面々は簡素な食事をとりながら、くだらない雑談で盛り上がっている。
「なあ。こないだの魔物討伐の話、聞いたぞ? あれ、絶対大げさに言ってるだろ!」
「いやいや、本当に三匹まとめて一撃だったって!」
「嘘つけ、あんた片足怪我してるって言ってたじゃねぇかよ!」
火花がぱちぱちとはじけるたびに、ワハハハと笑い声が広がる。
その輪から少し離れた場所で、俺は黙って空を見上げていた。
「……レオニスの旦那!」
ひょこっと近づいてきたのは、明るい茶髪に快活な笑顔を浮かべた部下、カイルだった。
彼の後ろからもうひとり、おっとりした青年――ルディもついてくる。
「たまには俺達と一緒に、酒でもどうっすか? ほら、怖い顔してないで」
カイルが笑いながら隣に腰を下ろした。
ふたりの方をちらっと見ると、自分の眉が自然に寄るのがわかった。そのまま何も言わずに焚き火を見つめる。
「そういやぁ、旦那……」
「何だ?」
「奥様とは、あれからどうなんすか? 滅多に屋敷には帰らないんですから、たまには手紙でも出したらどうです?」
ぱちり、と焚き火が弾ける音がやたら大きく聞こえた。周囲の兵士たちが一斉に耳をそばだてる。
「お、きたきた」
「動いたのは、やっぱりカイルか……」
「誰が最初にいくのか、賭けてたんだよな?」
彼らは、コソコソと囁きあっている。
(あいつら……、もう少し気を使えないのか?)
俺は言葉を飲み込み、ただ火を見つめ続けた。
「だって旦那この前帰ったとき、奥様と坊ちゃまの様子がおかしいって言ってたじゃないっすか!」
「そうですよ。いい意味で」
「たしかに、屋敷の雰囲気は良くなってはいたが……」
カイルがニヤニヤしながら肘で小突いてくる。
「……べ、別にたいしたことじゃない。少し様子が変わっただけだ」
「その『変わった』って、今まで一度も無かったことなんでしょう?」
「……」
ルディの言葉に、ぐうの音も出ない。
「いやもう、先妻の子どもに慕われて優しく微笑む奥様とか、普通惚れ直すって!」
カイルが腕を組んで、やたらと真剣な顔をする。ルディも、隣で小さく笑いながら言った。
「まあでも、最初に冷たくしたの、旦那ですもんね?」
「……ぐっ」
不躾な言葉に、喉が小さく鳴った。焚き火の光が、ふたりの横顔を照らしている。
「……俺は、彼女のことを知ろうとしなかった。あの子――、リオンからも逃げていた」
ぽつりと呟いた。
「でも奥様には、変な噂があったんでしょう?」
「……ああ」
「男を取っ替え引っ替えしてるって。それで王子との婚約も解消されたって聞きましたよ?」
「それ、俺も聞いたことがある。でもそんな風には見えなかったがなぁ……」
「……俺はどこかで、対応を間違えたんだろうか?」
カイルはしばらく黙っていたが、やがて少しだけ真面目な声で言った。
「なら、今から彼女のことを知ればいいんじゃないっすか?」
「そうですよ、旦那。奥様も坊ちゃまも、本当は帰りを待っているかもしれないですから。
──今ならまだ、間に合いますよ。きっと」
「そうだろうか……? 受け入れてくれるだろうか」
俺はそれ以上は何も言えず、夜空を見上げた。
「良ければ、調べてみましょうか?」
「できるのか?」
「ええ、私の妹のリディアはすでに社交界にデビューしてますから。ああ見えて交友関係が結構広いんですよ。
こういう裏事情は、女性の方が詳しいですから」
ルディは子爵家の次男だ。家は継げないので、本人は軍に志願してきた。
ちらちらとまたたく星々が、まるで誰かの声のように胸に小さな火を灯す。その火は、まだ頼りない。
──今からでも間に合うのなら。もう一度やり直せるのなら。俺は拳を強く握りしめた。まだ、遅くないのかもしれない。
◇ 幕間 ◇
【兵士たちの焚き火 side】
「……いや、もう無理じゃね?」
誰かのヒソヒソ話す声が聞こえる。
「えらい冷たく奥様に当たったんだろ? 俺ぁ、無理だと思うね?」
「だよなぁ。……また、賭けるか?」
「いいね。俺は『奥様に冷たくされる』に1票」
「じゃ、俺は『空回りして余計嫌われる』だな」
ぱち、と焚き火が弾ける。
「お前ら、上手くいかねぇのが前提かよ……」
「ハハハ! 確かにそうだ」
兵士たちは肩をすくめ、笑いながらまた酒を回し始めた。誰ひとり『きっとうまくいく』、とは言わなかった。
「俺は『奥様に笑顔で流される』に1票……」
ボソッと誰かが呟いた。
「お前それ、希望がありそうに見えて1番キツイやつだろ!」
騒がしい兵士達の夜は更けていった――。