リオンはいまだ、浅い眠りの中にいた。熱にうなされながら、小さな手が時折私の腕を探すように動く。
その手をそっと握った。
「すぐ戻るからね、リオン」
小さく囁いて、起こさないように静かに立ち上がった。
ドアの外には気遣わしげな顔をしたマリネと、見習い料理人の少年が待っている。
「エリシア様……」
マリネが低く声をかけてくる。小さく頷いて周りに気を配りながら、私は声を潜めた。
「……少しだけ話せる?」
マリネと料理見習いの少年は、すぐに応じてくれた。ふたりを部屋の奥の、小さな応接スペースに招き入れる。
「リオンのことよ……」
迷わず切り出した。
「この熱……、ただの風邪じゃない気がするの。何か、ほかに原因があるかもしれないと思って」
マリネは私の言葉に、深く頷いた。
「私も、以前から坊ちゃまの様子が気がかりでした。……ですが、もし違う原因があるとすれば――」
「調べたいの」
声に力を込める。
「何か、見落としていることがないか。一緒に探してもらえない?」
マリネは少しだけ目を見開いた後、柔らかく微笑んだ。
「もちろんです、エリシア様。坊ちゃまのためなら、何だっていたします」
隣で料理見習いの少年も、きゅっと拳を握っている。
「あの……僕、ちょっと気になることがあって……」
彼はおずおずと口を開く。
「最近坊ちゃまの食事に使う薬草が、前とちょっと違う気がするんです。匂いとか、味とか……。ほんの少しだけど」
息を呑んだ――。やっぱり何かある。
(この子が気づくぐらい、何かが変えられてる……)
――ここからが始まりだ。私は唇をぎゅっと噛み締めた。何か、記録が残っていれば。
マリネに促され、リオンの眠る部屋をそっと後にして、屋敷の一角にある書庫へ向かった。
書庫はひんやりと静まりかえり、天井まで積み上げられた書物が並んでいる。
以前ノートを持って来てくれた青年が、隅にいた。
彼はちらりとこちらを見たが、一礼してすぐに視線を落とす。
無愛想――。けれどいつも正確に仕事をこなす、頼れる存在だと記憶にあった。
私は、1歩彼のほうに踏み出す。
「……少し、お願いしたいことがあるの」
青年は手を止め、私を見つめる。無言――。けれど否定の色はなさそうだった。
私は彼に向かって、深く頭を下げた。青年は驚いたのか、しばらく沈黙する。
「リオンのことです。……ずっと熱が下がらないの。
もし過去の薬草や、薬の記録。それに食事の記録もあるのなら調べさせて欲しいの」
祈るように待った。そして――。
「……承知いたしました」
ぽつりと、短く返事が返ってきた。
顔を上げると、青年はため息をつきながらも、小さな鍵束を取り出している。
「管理記録は、鍵の付いた奥の棚に置いてあります。ただ持ち出しは禁止なことと、他の使用人達に見られないように。
……必ずこの場で見るとお約束ください」
「あ、ありがとう!」
思わず弾んだ声が出てしまった。青年は、それに苦笑のような微笑を一瞬だけ見せる。
(この人も……味方になってくれるかもしれない)
私の胸に、じんわりと小さな灯がともった。
◆
書庫の奥へ――。埃をかぶった棚が連なる。
びっしりと並ぶ帳簿や管理記録を前に、私は唇を引き結んだ。
「このあたりが、坊ちゃまの食事や薬草の記録が置いてあります」
書庫係の青年が、無愛想ながらも私達をきっちり案内してくれる。
「ありがとう。……手伝ってもらえる?」
彼は少しだけ驚いたような顔をしたが、無言で頷いた。
隣ではマリネが、さっそく古い帳簿を開いている。料理見習いの少年も、小さな手で懸命にページをめくっていた。
(できることから。焦らないで……、確実にいかないと)
リオンのために。私は心の中で何度も唱えながら、記録を読み進めた。
──数十分後。
「エリシア様、こちらをご覧ください」
マリネが差し出した帳簿に、私は目を落とした。
「……これは?」
「数週間前から、坊ちゃまのお食事に使われている薬草が、微妙に変わっております」
彼女の指す先には、薬草の名前がいくつも記されている。
確かにそれ以前の記録と比べると、少しだけ違うものが使われていた。
「この薬草……」
料理見習いの少年も、そっと口を開く。
「俺、これを使うときに、少しだけ変だなって思ったんです。……ちょっと苦いっていうか、えぐみがあるっていうか」
「エルマ、医者が変更するように言っていたの?」
私は帳簿を握りしめた。
「いいえ、私は何も聞いておりません」
「そう……」
(やっぱり何者かによって変えられているのは、確かなようね……)
単なる在庫の都合で、似た薬効の物に変えられることもあるかもしれない。
けれど今現在、リオンの体調不良は悪化している。無関係だと、どうして言い切れるだろう。
「もっと詳しく調べられない? この薬草について」
私が問いかけるようにつぶやくと、書庫係の青年が静かに答えた。
「……薬草の資料なら、別室に保管されています。そちらも、許可を取れば閲覧できますが……」
「執事のエルマーでいい?」
「はい。今は旦那様が不在ですから」
私は迷わず頷いた。
「わかった。許可を取ってくるから案内して。彼は味方になってくれると思う……?」
「奥様。エルマーでしたら問題ないかと思いますよ? 彼は無口ですが、昔から坊ちゃまを可愛がっておりますから」
マリネの言葉は私の背中を押す。リオンの、あの小さな手を守るために。