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第8話前半 すり替えられた薬草、隠された違和感

 リオンはいまだ、浅い眠りの中にいた。熱にうなされながら、小さな手が時折私の腕を探すように動く。

 その手をそっと握った。


「すぐ戻るからね、リオン」


 小さく囁いて、起こさないように静かに立ち上がった。

 ドアの外には気遣わしげな顔をしたマリネと、見習い料理人の少年が待っている。


「エリシア様……」


 マリネが低く声をかけてくる。小さく頷いて周りに気を配りながら、私は声を潜めた。


「……少しだけ話せる?」


 マリネと料理見習いの少年は、すぐに応じてくれた。ふたりを部屋の奥の、小さな応接スペースに招き入れる。


「リオンのことよ……」


 迷わず切り出した。


「この熱……、ただの風邪じゃない気がするの。何か、ほかに原因があるかもしれないと思って」


 マリネは私の言葉に、深く頷いた。


「私も、以前から坊ちゃまの様子が気がかりでした。……ですが、もし違う原因があるとすれば――」

「調べたいの」


 声に力を込める。


「何か、見落としていることがないか。一緒に探してもらえない?」


 マリネは少しだけ目を見開いた後、柔らかく微笑んだ。


「もちろんです、エリシア様。坊ちゃまのためなら、何だっていたします」


 隣で料理見習いの少年も、きゅっと拳を握っている。


「あの……僕、ちょっと気になることがあって……」


 彼はおずおずと口を開く。


「最近坊ちゃまの食事に使う薬草が、前とちょっと違う気がするんです。匂いとか、味とか……。ほんの少しだけど」


 息を呑んだ――。やっぱり何かある。


(この子が気づくぐらい、何かが変えられてる……)


 ――ここからが始まりだ。私は唇をぎゅっと噛み締めた。何か、記録が残っていれば。


 マリネに促され、リオンの眠る部屋をそっと後にして、屋敷の一角にある書庫へ向かった。


 書庫はひんやりと静まりかえり、天井まで積み上げられた書物が並んでいる。

 以前ノートを持って来てくれた青年が、隅にいた。


 彼はちらりとこちらを見たが、一礼してすぐに視線を落とす。

 無愛想――。けれどいつも正確に仕事をこなす、頼れる存在だと記憶にあった。


 私は、1歩彼のほうに踏み出す。


「……少し、お願いしたいことがあるの」


 青年は手を止め、私を見つめる。無言――。けれど否定の色はなさそうだった。

 私は彼に向かって、深く頭を下げた。青年は驚いたのか、しばらく沈黙する。


「リオンのことです。……ずっと熱が下がらないの。

もし過去の薬草や、薬の記録。それに食事の記録もあるのなら調べさせて欲しいの」


 祈るように待った。そして――。


「……承知いたしました」


 ぽつりと、短く返事が返ってきた。

 顔を上げると、青年はため息をつきながらも、小さな鍵束を取り出している。


「管理記録は、鍵の付いた奥の棚に置いてあります。ただ持ち出しは禁止なことと、他の使用人達に見られないように。

……必ずこの場で見るとお約束ください」


「あ、ありがとう!」


 思わず弾んだ声が出てしまった。青年は、それに苦笑のような微笑を一瞬だけ見せる。


(この人も……味方になってくれるかもしれない)


 私の胸に、じんわりと小さな灯がともった。


 ◆


 書庫の奥へ――。埃をかぶった棚が連なる。

 びっしりと並ぶ帳簿や管理記録を前に、私は唇を引き結んだ。


「このあたりが、坊ちゃまの食事や薬草の記録が置いてあります」


 書庫係の青年が、無愛想ながらも私達をきっちり案内してくれる。


「ありがとう。……手伝ってもらえる?」


 彼は少しだけ驚いたような顔をしたが、無言で頷いた。

 隣ではマリネが、さっそく古い帳簿を開いている。料理見習いの少年も、小さな手で懸命にページをめくっていた。


 (できることから。焦らないで……、確実にいかないと)


 リオンのために。私は心の中で何度も唱えながら、記録を読み進めた。


 ──数十分後。


「エリシア様、こちらをご覧ください」


 マリネが差し出した帳簿に、私は目を落とした。


「……これは?」

「数週間前から、坊ちゃまのお食事に使われている薬草が、微妙に変わっております」


 彼女の指す先には、薬草の名前がいくつも記されている。

 確かにそれ以前の記録と比べると、少しだけ違うものが使われていた。


「この薬草……」


 料理見習いの少年も、そっと口を開く。


「俺、これを使うときに、少しだけ変だなって思ったんです。……ちょっと苦いっていうか、えぐみがあるっていうか」

「エルマ、医者が変更するように言っていたの?」


 私は帳簿を握りしめた。


「いいえ、私は何も聞いておりません」

「そう……」


(やっぱり何者かによって変えられているのは、確かなようね……)


 単なる在庫の都合で、似た薬効の物に変えられることもあるかもしれない。

 けれど今現在、リオンの体調不良は悪化している。無関係だと、どうして言い切れるだろう。


「もっと詳しく調べられない? この薬草について」


 私が問いかけるようにつぶやくと、書庫係の青年が静かに答えた。


「……薬草の資料なら、別室に保管されています。そちらも、許可を取れば閲覧できますが……」


「執事のエルマーでいい?」

「はい。今は旦那様が不在ですから」


 私は迷わず頷いた。


「わかった。許可を取ってくるから案内して。彼は味方になってくれると思う……?」

「奥様。エルマーでしたら問題ないかと思いますよ? 彼は無口ですが、昔から坊ちゃまを可愛がっておりますから」


 マリネの言葉は私の背中を押す。リオンの、あの小さな手を守るために。

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