エルマーのいる執務室に向かう途中、私は深呼吸を繰り返した。
(大丈夫。エルマーなら、きっと力になってくれるはず)
何の確証もなかったけど、そう信じるしかなかった。彼の普段の行動が、私にそう感じさせていた。
控えめに扉をノックすると、すぐに「どうぞ」と低い声が返ってくる。
重厚な扉を開き、私は中へと足を踏み入れる。
執務机に座るエルマーは、相変わらず無表情だったが、私を見るとほんの少しだけ目を細めた。
「これはエリシア様。ご用件は?」
「……お願いがあるの」
私は真っ直ぐに彼の目を見つめた。
リオンの体調が悪化していること。食事に使われている薬草に、すり替えられたような違和感があること。
そして、薬草資料を閲覧したいこと――。
全てを短く、けれど包み隠さず話した。
エルマーは黙って聞き終えると、ゆっくりと立ち上がる。
「……承知致しました。旦那様が戻られましたら、私からお伝え致しましょうか?」
「いいえ。私から話してみる」
それだけ聞くと、彼は執務机の引き出しから別室の鍵を取り出して手渡してくる。
「ありがとう、エルマー」
(こんな私を信じてくれる……。以前とは雰囲気も変わっているのに)
信頼も何もお互いになかった私に、彼はほんのわずかに微笑んだ気がした。
それだけで、心がふわりと軽くなる。
◆
別室――普段は使用人も立ち入らない、小さな資料庫。私達は連れ立って、鍵が開かれた扉を静かにくぐる。
モワッと埃の匂いが鼻をかすめた。棚には薬草や薬品について書かれた、古びた資料がずらりと並んでいる。
「たしかこのあたりに、記録があったはず……」
書庫の青年が、手慣れた様子で棚を探り始めた。
「僕、こっちも見てみます!」
料理見習いの少年が、張り切って手近な資料に飛びつく。
マリネと私は顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
今までひとりで心細かったけど、こうして一緒に動いてくれる仲間を見つけた。
「そういえばあなた、名前は?」
「僕はカイです!」
「私はセスと申します……」
ふたりとも、少し怪訝な表情をして私を見る。それもそうだろう、この屋敷の使用人の名前を知らないなんて。
最終的に雇い入れる決定を下したのは、過去のエリシアなのだから。
「ごめんなさいね。最近記憶が曖昧なのよ」
あれから少しずつ記憶は混じり合うけど、全て思い出せてはいなかった。
(とにかく、今は全部リオンのためだけに……)
──数十分後。
「エリシア様、これを……」
セスが静かに差し出してきたのは、薬草に関する記録だった。
「最近使用され始めた薬草について、注意書きが書いてあります」
私は資料を受け取り、ページをめくった。そこにはこう記されている。
『体力のない幼児・病弱者への使用は控えること』。
「……!」
目の奥がじん、と熱くなる。あれはリオンには、使ってはいけない薬草だった。
(だとすると、一体誰が何のために……?)
胸の奥で静かに怒りが芽生える。
(必ず……、見つけ出してやるから)
私は資料に跡が残るほど、両手で強く握りしめた。
小さいけど、でも確かな第1歩。リオンを守るための戦いが、確実に始まろうとしていた。