別室の資料庫に、紙の擦れる音だけが静かに響いている。
私たちは、薬草や薬品に関する資料を一心に読み込んでいた。
リオンに使われていた薬草――。
それが、体力のない幼児に対して禁忌とされるものだったこと。
それは、偶然なんかじゃない。誰かが、意図的に……リオンを弱らせようとしている。
(あんな小さな子に……許せない。絶対に見つけてやるから)
ページをめくる指先に、自然と力がこもった。
ふと隣でカイが、小声で「うーん」と唸っているのに気付く。
「カイ、どうしたの?」
私が顔を上げると、彼は資料を指さして説明を始めた。
「この薬草なんですけど……、見た目が、貴族向けの高級薬草とすごく似てるんですよ。ご存じですか?」
私は首を傾げた。
「似てる? どんな風に?」
「ぱっと見だと、普通の人は区別つかないかもしれないです。でも……使ったらわかります。匂いと味が、微妙に違うんです」
カイの言葉に、マリネも頷いた。
「確かに最近の坊ちゃまのお食事、以前に比べてほんの少し苦味が強いと感じておりました」
「そうなの!? 私は大人だから多少の苦みに慣れているせいか、それ程気にならなかったわ」
側に寄ってきたセスも、無言で資料を指し示す。そこには、両者の見分け方について簡単に記されていた。
『外見は酷似するが、香りと味で区別可能』。
(誰かが意図的に、似た薬草にすり替えたってこと……?)
胸の奥で、不穏な考えが芽生える。
普通の使用人なら、間違えたふりをしてすり替えることが可能だろう。
それくらい、ふたつの薬草はそっくりだった。
(誰が……? どうしてあんな無力な子どもを狙うの?)
私はそっと資料を閉じた。
そろそろ、エルマーにも聞いてみよう。この屋敷で過去に何か――、今の私が知らない不審な事件がなかったか。
私は静かに立ち上がった。資料庫を出てエルマーのもとへ向かう。
廊下を歩きながら、ざわつく胸の奥を誤魔化すように必死に頭を働かせた。
(エルマーは、何か知っているかもしれない……)
控えめに執務室の扉を叩くと、すぐに「どうぞ」という低い声が返ってきた。
また訪ねてきたと嫌な顔も見せずに、エルマーは静かに立ち上がり私を迎える。
「何か、ございましたか?」
私が小さく頷くと、彼は目を細める。
「エルマー……。ひとつ、聞かせて」
私はゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。
「リオンがこうして体調を崩したのは、今回が初めて?」
エルマーはその質問に、一瞬眉をひそめた。それから、彼は言葉を探すように答える。
「……坊ちゃまは、元々あまり体が強い方ではございませんでした。しかしここまで長引く熱は、確かに記憶にありません」
息が詰まりそうになる。
「以前にも……。少しでも、似たようなことがあった?」
問いかけると、エルマーはしばらく考え込んだ。
「……そういえば、半年ほど前。坊ちゃまが、食後に原因不明の蕁麻疹を出されたことがありました」
「蕁麻疹……?」
「当時は、単なる体調不良と診断されました。ですが――」
エルマーは言葉を切り、私をまっすぐに見る。
「今思えば、あれは何者かの意図が絡んでいたのかもしれません」
「まさか……。アナフィラキシーショックを起こすつもりで?」
「……失礼ですが、それはどのような症状でしょうか?」
静かに問い返されて、私ははっとした。
(しまった……。この世界には、そんな医学用語なんてないんだった)
「……ごめんなさい。ただ、すごく危険な状態になるかもしれないって思って。
……リオンは食べられない食材はある?」
「多少の好き嫌いはございますが、特にはございません。ただ蕁麻疹がでた際に使われた材料は、以後使用しないように注意しております」
(対策はしてるんだ。……やっぱり、リオンは狙われている)
けれど誰が、何のために? まだ答えにはたどり着けない。
でも、確かに1歩は踏み出している。
私はエルマーに頭を下げた。
「教えてくれて、ありがとう。エルマー」
エルマーは無言で、しかしほんの少しだけ表情を柔らかくした。
彼も、リオンを大切に思っているのは確かだと思いたい――。そのことが、何より私の心の支えになった。
◆
執務室を後にすると、誰かに見られてはいけないような気がして、私はそっと廊下の端を歩いた。
細く差し込む光が、磨かれた床に静かに伸びている。
何者かが、リオンに害を与えようとしている。しかも薬草をすり替えるなんて、外部の者では難しい。
(この屋敷のどこかに、敵がいる――)
あちらの世界では、およそ関わることのない出来事に、胸の奥が冷たくなる。
それでも急くように、私の足は動き続けた。
部屋に戻ると、マリネとカイ、セスが静かに待っていてくれた。
「エリシア様……」
マリネが心配そうに私の顔を覗き込む。確信するように、彼女に微笑んで頷いた。
「エルマーに確認してきた。……まだ、全部はわかっていないけど」
ベッドで眠るリオンの寝顔を、そっと見やる。
わずかに聞こえてくる小さな寝息。顔にはまだ微かな熱が残っているように、頬がほんのり赤い。
側に近づいて、私は彼の手をそっと包み込んだ。
「絶対に守るから。……どんなことがあっても」
なぜ、この子にこんなに執着してしまうのか。私自身もわからない。私の後ろで、小さく頷く気配がした。
確かに、彼らと志をひとつにできた瞬間だった。
敵の正体も目的も、まだわからない。けれど、リオンのためなら立ち向かう勇気が出せる。
(この小さな命を、絶対に誰にも奪わせない……)