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第9話 内部に潜む敵――静かなる決意

 別室の資料庫に、紙の擦れる音だけが静かに響いている。

 私たちは、薬草や薬品に関する資料を一心に読み込んでいた。


 リオンに使われていた薬草――。

 それが、体力のない幼児に対して禁忌とされるものだったこと。


 それは、偶然なんかじゃない。誰かが、意図的に……リオンを弱らせようとしている。


(あんな小さな子に……許せない。絶対に見つけてやるから)


 ページをめくる指先に、自然と力がこもった。

 ふと隣でカイが、小声で「うーん」と唸っているのに気付く。


「カイ、どうしたの?」


 私が顔を上げると、彼は資料を指さして説明を始めた。


「この薬草なんですけど……、見た目が、貴族向けの高級薬草とすごく似てるんですよ。ご存じですか?」


 私は首を傾げた。


「似てる? どんな風に?」

「ぱっと見だと、普通の人は区別つかないかもしれないです。でも……使ったらわかります。匂いと味が、微妙に違うんです」


 カイの言葉に、マリネも頷いた。


「確かに最近の坊ちゃまのお食事、以前に比べてほんの少し苦味が強いと感じておりました」

「そうなの!? 私は大人だから多少の苦みに慣れているせいか、それ程気にならなかったわ」 


 側に寄ってきたセスも、無言で資料を指し示す。そこには、両者の見分け方について簡単に記されていた。


『外見は酷似するが、香りと味で区別可能』。


(誰かが意図的に、似た薬草にすり替えたってこと……?)


 胸の奥で、不穏な考えが芽生える。


 普通の使用人なら、間違えたふりをしてすり替えることが可能だろう。

 それくらい、ふたつの薬草はそっくりだった。


(誰が……? どうしてあんな無力な子どもを狙うの?)


 私はそっと資料を閉じた。

 そろそろ、エルマーにも聞いてみよう。この屋敷で過去に何か――、今の私が知らない不審な事件がなかったか。


 私は静かに立ち上がった。資料庫を出てエルマーのもとへ向かう。

 廊下を歩きながら、ざわつく胸の奥を誤魔化すように必死に頭を働かせた。


(エルマーは、何か知っているかもしれない……)


 控えめに執務室の扉を叩くと、すぐに「どうぞ」という低い声が返ってきた。

 また訪ねてきたと嫌な顔も見せずに、エルマーは静かに立ち上がり私を迎える。


「何か、ございましたか?」


 私が小さく頷くと、彼は目を細める。


「エルマー……。ひとつ、聞かせて」


 私はゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。


「リオンがこうして体調を崩したのは、今回が初めて?」


 エルマーはその質問に、一瞬眉をひそめた。それから、彼は言葉を探すように答える。


「……坊ちゃまは、元々あまり体が強い方ではございませんでした。しかしここまで長引く熱は、確かに記憶にありません」


 息が詰まりそうになる。


「以前にも……。少しでも、似たようなことがあった?」


 問いかけると、エルマーはしばらく考え込んだ。


「……そういえば、半年ほど前。坊ちゃまが、食後に原因不明の蕁麻疹を出されたことがありました」

「蕁麻疹……?」


「当時は、単なる体調不良と診断されました。ですが――」


 エルマーは言葉を切り、私をまっすぐに見る。


「今思えば、あれは何者かの意図が絡んでいたのかもしれません」


「まさか……。アナフィラキシーショックを起こすつもりで?」

「……失礼ですが、それはどのような症状でしょうか?」


 静かに問い返されて、私ははっとした。


(しまった……。この世界には、そんな医学用語なんてないんだった)


「……ごめんなさい。ただ、すごく危険な状態になるかもしれないって思って。

……リオンは食べられない食材はある?」


「多少の好き嫌いはございますが、特にはございません。ただ蕁麻疹がでた際に使われた材料は、以後使用しないように注意しております」


(対策はしてるんだ。……やっぱり、リオンは狙われている)


 けれど誰が、何のために? まだ答えにはたどり着けない。

 でも、確かに1歩は踏み出している。


 私はエルマーに頭を下げた。


「教えてくれて、ありがとう。エルマー」


 エルマーは無言で、しかしほんの少しだけ表情を柔らかくした。

 彼も、リオンを大切に思っているのは確かだと思いたい――。そのことが、何より私の心の支えになった。


 ◆


 執務室を後にすると、誰かに見られてはいけないような気がして、私はそっと廊下の端を歩いた。

 細く差し込む光が、磨かれた床に静かに伸びている。


 何者かが、リオンに害を与えようとしている。しかも薬草をすり替えるなんて、外部の者では難しい。


(この屋敷のどこかに、敵がいる――)


 あちらの世界では、およそ関わることのない出来事に、胸の奥が冷たくなる。

 それでも急くように、私の足は動き続けた。


 部屋に戻ると、マリネとカイ、セスが静かに待っていてくれた。


「エリシア様……」


 マリネが心配そうに私の顔を覗き込む。確信するように、彼女に微笑んで頷いた。


「エルマーに確認してきた。……まだ、全部はわかっていないけど」


 ベッドで眠るリオンの寝顔を、そっと見やる。

 わずかに聞こえてくる小さな寝息。顔にはまだ微かな熱が残っているように、頬がほんのり赤い。


 側に近づいて、私は彼の手をそっと包み込んだ。


「絶対に守るから。……どんなことがあっても」


 なぜ、この子にこんなに執着してしまうのか。私自身もわからない。私の後ろで、小さく頷く気配がした。

 確かに、彼らと志をひとつにできた瞬間だった。


 敵の正体も目的も、まだわからない。けれど、リオンのためなら立ち向かう勇気が出せる。


(この小さな命を、絶対に誰にも奪わせない……)

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