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第10話 敵に気づかれず、小さな戦場へ

 リオンの微かに熱を帯びた小さな手。まだ油断できる状態ではない。

 それでも昨日よりは、少し顔色がいい気がする。


(大丈夫。きっと乗り越えられる……)


 自分に言い聞かせるように、私は心の中でそっと囁いた。


 部屋の隅で静かに待っていたマリネ、カイ、セスに視線を向ける。

 今日は彼らも、それぞれの手元に小さなノートと筆記具を用意していた。


 ここから始まるのは、私たちだけの小さな戦いだ。

 誰にも知られず静かに、けれど確実に――。リオンを守るための戦い。


 私は小さく息を吸い、そしてゆっくりと言った。


「これから、私たちだけで記録をつける。

 誰が、どんな食材や薬草を運んできたのか。どこから来たものなのか。全部細かく――」


 マリネが頷く。

 カイが緊張した面持ちでノートを握りしめる傍らで、セスは静かに立ち上がり、書き慣れた手つきで新しい帳簿を準備している。


(小さな手がかりでも。きっと……必ず、繋がる)


 静かに机を囲んだ私たちは、それぞれノートを開いた。

 部屋にはリオンの安らかな寝息と、紙をめくるわずかな音だけが響いている。


「まず、今日使われる予定の薬草と食材のリストを作るわよ?」


 私がそう言うと、セスが手際よく書き出し始めた。

 彼の几帳面な字が、白い紙の上に静かに並んでいく。


「このリストと、実際に納品されたものを照らし合わせて、違いがないか調べるの」

「はい!」


 カイが元気よく答えた。料理場で働く彼なら、食材の違和感にもいち早く気づけるはずだ。


「私は、厨房や薬草庫の整理と管理を担当します」


 マリネが落ち着いた声で申し出てくれた。


「ありがとう、マリネ。……みんな、本当にありがとう」


 私の言葉に、3人はそれぞれ小さく頷く。


 誰も、声高に誓いを立てたりはしない。けれどその眼差しには、確かな決意が宿っていた。

 私たちだけで、できることから始める。誰にも気づかれず、静かに確実に。


 ◆


 まず手をつけたのは、厨房と薬草庫だった。

 マリネが使用人たちに気づかれないように自然な掃除を装い、カイが食材の状態を細かくチェックする。


 部屋に戻った私達は、帳簿と突き合わせながら、ひとつひとつ確認を進めていった。


(焦らないで……。少しずつ、少しずつ)


 敵はまだ正体を見せていない。だからこそ、慎重に丁寧に進めなくては。

 作業を終えると、私はそっと溜息を吐いた。


 厨房も薬草庫も、目立った異変はまだ見つかっていない。

 けれどこの小さな積み重ねが、必ず未来に繋がるはずだ。


 リオンの眠るベッドに視線を向ける。

 頬はまだほんのり赤いけれど、呼吸は落ち着いているようだった。


 ふと、背後でカイが口を開く。


「奥様……。俺たちこれからずっと、この記録を続けるんですよね?」


 その言葉に、私は静かに頷いた。


「そうよ。これは、私たちだけの小さな戦いなの。……怖い?」

「いいえ! そういうことでは……」


 慌てて彼が否定する。マリネもセスも、真剣な顔で頷いた。


「あからさまに声を上げたり、大げさなことは今はまだできないの。私たちにできる、小さな手を積み重ねていくしかない」


 敵に気づかれることなく静かに、確実に――。


「たとえ誰も味方になってくれなくても、私ひとりでもリオンのために戦う……」


 つぶやいた私の声に、誰ひとりとして反論はなかった。

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