リオンの微かに熱を帯びた小さな手。まだ油断できる状態ではない。
それでも昨日よりは、少し顔色がいい気がする。
(大丈夫。きっと乗り越えられる……)
自分に言い聞かせるように、私は心の中でそっと囁いた。
部屋の隅で静かに待っていたマリネ、カイ、セスに視線を向ける。
今日は彼らも、それぞれの手元に小さなノートと筆記具を用意していた。
ここから始まるのは、私たちだけの小さな戦いだ。
誰にも知られず静かに、けれど確実に――。リオンを守るための戦い。
私は小さく息を吸い、そしてゆっくりと言った。
「これから、私たちだけで記録をつける。
誰が、どんな食材や薬草を運んできたのか。どこから来たものなのか。全部細かく――」
マリネが頷く。
カイが緊張した面持ちでノートを握りしめる傍らで、セスは静かに立ち上がり、書き慣れた手つきで新しい帳簿を準備している。
(小さな手がかりでも。きっと……必ず、繋がる)
静かに机を囲んだ私たちは、それぞれノートを開いた。
部屋にはリオンの安らかな寝息と、紙をめくるわずかな音だけが響いている。
「まず、今日使われる予定の薬草と食材のリストを作るわよ?」
私がそう言うと、セスが手際よく書き出し始めた。
彼の几帳面な字が、白い紙の上に静かに並んでいく。
「このリストと、実際に納品されたものを照らし合わせて、違いがないか調べるの」
「はい!」
カイが元気よく答えた。料理場で働く彼なら、食材の違和感にもいち早く気づけるはずだ。
「私は、厨房や薬草庫の整理と管理を担当します」
マリネが落ち着いた声で申し出てくれた。
「ありがとう、マリネ。……みんな、本当にありがとう」
私の言葉に、3人はそれぞれ小さく頷く。
誰も、声高に誓いを立てたりはしない。けれどその眼差しには、確かな決意が宿っていた。
私たちだけで、できることから始める。誰にも気づかれず、静かに確実に。
◆
まず手をつけたのは、厨房と薬草庫だった。
マリネが使用人たちに気づかれないように自然な掃除を装い、カイが食材の状態を細かくチェックする。
部屋に戻った私達は、帳簿と突き合わせながら、ひとつひとつ確認を進めていった。
(焦らないで……。少しずつ、少しずつ)
敵はまだ正体を見せていない。だからこそ、慎重に丁寧に進めなくては。
作業を終えると、私はそっと溜息を吐いた。
厨房も薬草庫も、目立った異変はまだ見つかっていない。
けれどこの小さな積み重ねが、必ず未来に繋がるはずだ。
リオンの眠るベッドに視線を向ける。
頬はまだほんのり赤いけれど、呼吸は落ち着いているようだった。
ふと、背後でカイが口を開く。
「奥様……。俺たちこれからずっと、この記録を続けるんですよね?」
その言葉に、私は静かに頷いた。
「そうよ。これは、私たちだけの小さな戦いなの。……怖い?」
「いいえ! そういうことでは……」
慌てて彼が否定する。マリネもセスも、真剣な顔で頷いた。
「あからさまに声を上げたり、大げさなことは今はまだできないの。私たちにできる、小さな手を積み重ねていくしかない」
敵に気づかれることなく静かに、確実に――。
「たとえ誰も味方になってくれなくても、私ひとりでもリオンのために戦う……」
つぶやいた私の声に、誰ひとりとして反論はなかった。