【レオニスside】
仮設陣地の奥で、夜風が軍旗をパタパタと小さく揺らしていた。
「ヴァルトライン公爵閣下、こちらが本日の報告書でございます」
部下のひとりが
「他にはもうないのか?」
「はい?」
「いや、なんでもない。……下がっていいぞ」
俺は帳簿と渡された戦況報告を手にしたまま、深く息を吐く。心待ちにしている手紙は、いまだ届いていなかった。
「レオニスの旦那! お待ちかねの手紙がきたみたいっすよ?」
「なに!? どこにあるんだ?」
別の部下が持って来た手紙を、引っ手繰るように奪った。
「……」
「旦那、何て書いてあったんです?」
カイルは俺の肩越しに手紙を覗く。コイツは戦場では頼りになるが、身体と態度だけは人一倍デカい。
お調子者だが、皆を笑わせることで場の空気を軽くする存在だった。
丁寧に折りたたんである1枚の手紙を開くと、そこには見慣れた文字でたった一言書いてある。
『こちらは特に問題ございませんので、お気になさらず』
指先がかすかに震えているのに、自分でも気づいていた。
呆然としていたからか、手に持っていた手紙は、いつの間にか机の端に置かれた報告書の上にハラリと落ちる。
(また今日もこれだけなのか? エリシア……)
横でカイルが手紙を盗み見て、頭を抱えていた。これが、ここ最近のエリシアからの返事のすべてだった。
「閣下。その……、指示はどう致しましょうか?」
傍らに立つ副官が俺の様子を気にして、恐る恐る声をかけてくる。
「あ、ああ……。お前に任せる」
「……は?」
「任せる……。すべて、だ」
副官の顔が引きつり、周囲の兵士たちもヒソヒソと小声で言葉を交わしている。
それは目に入っていたが、今はそんな些細なことに構っている暇なんて、俺にはないんだ。
(最近の旦那……、様子がおかしくないか?)
(いや、なんか……。人相も変わったような気がするが……)
「くそっ……!」
俺が発した言葉に、叱責されるとでも思ったのか、周囲にいた部下達は黙り込む。
何通送ってみても、返事はいつも冷たい――。もっと言えば、あれはエリシアの字ですらないはずだ。
(やはり俺は最初から間違えていたのだ……。今更どの面下げて……、と思われているんだろう)
当たり前だ。不安そうに見つめる彼女に、随分と酷く当たってしまった。
……彼女にまとわりつく噂のことを、何も調べず。あれは、王子の嘘だったというのに。
どうして、あのとき少しでもエリシアに寄り添わなかったのか。
頭を抱えて俯くと、胸の奥が締めつけられるように息が詰まる。今更後悔しても遅いのか――。
何度も思い出すのは、ふとした瞬間にリオンに見せる、エリシアの優しい笑顔だった。
あれは、夢ではなかったのか。今はまるで遠い幻のような気もする。
――なぜあの時、すぐに屋敷を発ってしまったんだ。
(今すぐにでも、彼女の元に帰りたい。……そうだ。帰ってエリシアとリオンに、許しを請えばいい!)
俺はすぐさま立ち上がり、机の端を力いっぱい手の平で叩く。
「閣下……?」
「旦那、どうしたんです?」
「もう、いい。……俺がこの戦いを、全て終わらせてやる」
ポカンと見ていた副官の顔色が、サッと青ざめた。
「か、閣下!? 今、なんと仰いました……!?」
「戦争を! この手で全て終わらせる! ……俺はふたりのところに帰るんだ!」
◆
数日後の夜明け前、鳥たちがさえずる時間よりももっと早く、吹きさらしの戦場を風が冷たく吹き抜ける。
部下たちが必死に止めてきたが、俺は栗毛色の愛馬を引き寄せた。
「閣下! ……お、お待ちください!! まずは城へご報告を!」
「俺は急ぐんだ!! ……一緒に帰りたい奴は、勝手について来い!」
「だ、旦那!? 俺も一緒に行きますよ」
慌てて馬に飛び乗る数名の部下を引き連れ、まっすぐに屋敷の方向へと駆け出した。
(今すぐ君の元に帰る。待っていてくれ、エリシア。
……そしてリオン、待っていろ。父さんが帰るからな。どうか俺に許しを請う機会を与えてくれ。……こんな馬鹿な俺に)
夜明け前の空に数頭の馬が