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第16話 頼れる!……のか?不器用公爵様

「また来た……!」 


 屋敷の廊下を歩く足音が、何度目かの往復を終えたところで止まった。

 私は資料室の机に広げた書類から目を離し、そっと顔を上げる。


 案の定、扉の向こう――。廊下に立つ背の高い影。レオニスだ。


「……何か手伝うことはないか?」


 低く響く声が、半ば気まずそうに聞こえてくる。私は小さくため息をつき、書類を彼の方に見せた。


「レオニス……、何もないから。ここは私たちで進めるから、安心して」

「……そうか」


 少し寂しそうに肩を落とす彼から、短い返事が返ってくる。

 やっといなくなってくれると思ったが、レオニスはその場を離れようとしなかった。


 扉の横でじっと立ったまま、気配だけをこちらに向けている。

 資料室で一緒に調べ物をしている3人が、背後で小さな笑いを漏らした。


「……旦那様、また奥様の近くをうろついておられますね」


 聞こえないふりをして、再び書類に目を落とす。しかし胸の奥では、どうにも落ち着かなかった。


「そんなに……気になるなら、手伝えばいいじゃない」


 はね除けたのは自分なのに、随分都合のいい独り言が、誰に届くでもなく空中に消えた。


 ◆


「……レオニス、少しいい?」


 資料を抱えたまま立ち上がる。廊下の彼がわずかに目を見開き、すぐに真面目な顔に戻った。


「なんだ?」

「この件なんだけど……原因の物質はわかったの。でもどこまで私が手出ししていいか、わからなくて」


 資料室の隅のテーブルへ向かい、ふたりで並んで腰掛ける。マリネたちは気を利かせて、そっと席を外していた。

 資料の束を広げ、指先でとんとんとページを指し示す。


「これが体内で見つかった成分と、怪しい搬入経路。でも毒や薬に詳しい人じゃないと……」

「見せてみろ」


「資料で調べたけど、詳しく載っていなかったの……。どうしてかわかる?」


 隣に座ったレオニスが、資料のページを覗き込む――。思ったよりもずっと近い。

 わずかに体を引いたけどその気配を察したのか、彼はぐっと身を乗り出してさらに距離を詰めてきた。


「なぜ離れる? 君が頼んだんだろう?」

「え? 距離が近かったからだけど。……もしかして、目が悪いの?」


 この世界にも眼鏡ってあったっけ、なんて考えが頭をよぎる。レオニスは少し、残念そうな顔をした。


(……変な人)


 彼は真剣な表情で資料に目を落とすと、指で1箇所を軽く叩く。


「これは……戦場で使われた薬に似ているな。俺の知り合いに当たってみよう」


 私は、ぱっと顔を上げた。


「戦場!? 一般にも出回っているの?」

「いや、普通は軍隊で使用する物だ。それだけに流通経路が限定されるし、資料も少ない」


 以前感じた恐怖を思い出して、息を呑んだ。


「もしかして、手伝ってくれるの……?」

「当然だろう。自分の子どもの命がかかっているんだ」


 その声色は落ち着いているのに、手元の資料を握る指先はわずかに力がこもっている。


(この人、一体どうしちゃったの……?)


 淡々と答えるその横顔を、思わずじっと見つめてしまった。


 私達が調べ物に集中している間に、レオニスはすでに兵士のひとりを呼び寄せていた。

 軍の貯蔵庫から、毒となる素材を持ち出された可能性が高かったためだ。


 軍服を着た青年が資料室の扉を軽くノックする。


「公爵閣下、ルディ殿とカイル殿に連絡を入れました。

それと、兵士達の中でも信頼できる者を何名か、秘密裏に調査に当たらせています」


「よし、頼む」


 淡々と指示を出すその横顔に、少し驚く。

 さっきまでの、私のすぐそばをうろうろしていた姿とは、まるで別人のようだった。


(……さすが、軍の指揮官ね)


 一方で、屋敷の中では別の動きも始まっていた。マリネが厨房から戻り、薬草の在庫と納入記録をまとめ始める。

 カイは小走りで書庫から古い帳簿を抱えてきて、セスとともに記録の照合を始めた。


 レオニスがいるからと、おおっぴらに屋敷内を調査できない。証拠を隠されてしまう可能性もあったから。

 ただ、セスはお休みをもらっていた時、彼なりに危険な薬草の解毒方法を調べてくれていたそうだ。


 前回のように、後れは取らない。


「この納品書、日付がずれてますね?」

「こっちは前と内容が微妙に違う……。細かいところまで調べないといけないな」


 真面目な顔で作業を進める3人に、私は小さな笑みをこぼす。


「みんな、ありがとう。セスもわざわざ実家に帰って、専門書で調べてくれたんでしょ? 凄く役に立ってる」

「何を仰ってるんですか、当然のことをしているだけです」


 セスは顔を背ける。その耳元がほんのり赤くなっているのを、私はしっかりと見逃さなかった。


(……ほんと、頼りになる。みんなが力を貸してくれてる)


 軍側と屋敷側、両方の調査が同時に走り出す。私は立ち上がり、拳を握りしめ宣言した。


「これは……。もうみんなで、解決するしかないわね!」


 鼻息の荒い私の横で、レオニスがふと口を開く。


「そういえばセス」

「……はい。何でしょう、旦那様」 


「お前、手紙を代筆していただろう?」

「えっ? ……ああ、そうでしたねぇ」


(まずい! バレてる……!)


「あ、あれは私が彼にお願いしたのよ! リオンのお世話があったから!」

「そうなのか……?」


「貴方だって、手紙を送りすぎなのよ! 返事を書くのだって大変なんだから!」

「それは……悪かった」


(謝った――!?)


 今までの彼からは想像もできない態度に、私はただ、ぽかんと彼を見つめることしかできなかった。


 ──そして、長い夜が始まる。

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