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第8話

私の幼い頃の記憶を知る者は、ほとんどいない。


死んだ母上でさえ、私がとうに忘れてしまったと思っていたに違いない。

けれど――私は、すべて覚えている。


あの日、母上の寝所に間違って入ってしまったとき、

目にしたのは、肌を重ね合う二つの影。


私を見つけた母上は、何の躊躇もなく、私を池に突き落とした。

氷のように冷たい水の中、頭を押さえつけられ――


水面から顔を上げることすら、許されなかった。


高熱にうなされる私の枕元で、母上は毎晩祈っていた。


「どうか……この子が、もう二度と目覚めませんように」


熱が引き、目を覚ました私は、まるで記憶を失った子どものように振る舞った。

母上は安堵し、長い間隠していた毒薬をそっと捨てた。


……けれど、私は知っていた。

彼女は、私を決して許していなかった。


母上の愛人は、ただ触れるだけで血を噴き出して死ぬという、

世にも恐ろしい毒を持っていた。


その毒を母上は漆箸に少しずつ塗り、

私を「病で死んだ」ように偽装しようとしていた。


だがある日、毒が忽然と消えた。


母上は怯え、探し回り――

ついには、私を疑った。


半殺しになるまで殴られ、問い詰められたが、

私は一言も喋らなかった。


そして、彼女たちは私を殺す計画を立てた。


だが――私は、その前に動いた。


私は、母上が使っていた毒と、

彼女が私を殺そうとした方法を、そのまま使って――

母上と、その愛人を殺した。


泣いてみようと思った。

「母を亡くした可哀想な子」を演じようとした。


けれど、涙は一滴も出なかった。


むしろ、胸の中の憎しみは、燃え広がる炎のように私を満たしていった。


私は笄を抜き、母上の身体に突き立てた。


血が飛び散るたびに、

どこか快感に近いものが、私の中で広がっていった。


――私は、生まれながらの“悪”だった。


母上は、よく言っていた。


「お前は人間じゃない。心なんて持ってない。

 もしあったとしても、それは真っ黒な塊だ」


ええ、きっとその通り。

だって、昼も夜も――私は、父と母を殺すことだけを考えていたのだから。


でも、私は知っていた。

そういう自分を隠して生きなければ、この世界では生きていけない。


私は毒の粉を袖の裏地に縫い付け、

母上の死体はきれいに縫い直して清らかな衣を着せ、

よろよろと泣きながら外へ飛び出した。


そして、皆の前で叫んだ。

「母上が……母上が死んだ……!」


寵を失っていた母上は、誰からも惜しまれず、

あっさりと土に葬られた。


でも――私は、生きねばならなかった。


母上の愛人の死体を、八日かけて丁寧に解体し、

各地に埋めていった。


最後の一本の脚を、冷宮のけやきの木の下に埋めようとしたところで――

血の匂いを嗅ぎつけた忍犬たちに見つかり、追い詰められた。


そのとき、偶然出会ったのが――

人質として差し出されていた、賀蘭狼主だった。


私は噂で聞いていた。


「狼に育てられ、言葉も通じぬ野獣のような蝦夷の王子」――

そんな使えぬ男に、関心などなかった。


けれど――


あまりにも長く“純真な姫君”を演じていたせいか、

その日、私は自分の昼食だった塩漬けの鮭を、

思わず彼に差し出してしまった。


それが、すべての始まりだった。


彼が突然姿を消しても、私は気に留めなかった。

この宮では、誰かが消えるなど、日常茶飯事だから。


だが、彼が父を殺し、王として即位し、

大和の姫を娶ろうとしていると聞いたとき。


ちょうどその頃――

三の姫が和親を拒み、中宮様が私を訪ねてきたとき。


私は、運命が道を開いたことを悟った。


……ただの嫁入りで、終わらせはしない。


私はもう、二度と誰にも頭を下げない。


誰にも蔑まれない。


誰にも、嘲られない。


私は三歳で読み書きを覚え、七歳で文章を作った。

白鏡少傅の講義も、きちんと理解できていた。


才では、男になど負けていない。


なのに私は、捨てられた姫でいなければならなかった――


それが、悔しくて悔しくて。

私は何も言えず、ただ着物の裏地に、こう書いた。


「露の世は 露の世ながら さりながら」



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