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第9話

……私は、決して“露の世”で終わりたくなかった。




だから私は、自ら申し出て和親し、


御学問所の門前で、御父様の袖口に密書を忍ばせた。




「十六姫こと李昭、願わくは遠嫁に名を借り、


 虜の王を生け捕り、皇父と内外呼応し、逆賊を討たん」




――すべてはこの“宴”のためだった。




賀蘭狼主は気づいていた。


それでも、私と共に帰ってきた。


あらゆる備えをし、警戒していた。


ただ一つ。


私が彼の杯に睡眠薬を仕込むとは、思っていなかった。




私は彼に訊いた。


「騙したの。利用したの。――ねえ、恨まないの?」




彼は、静かに首を振った。


「石榴は、それでいい。


 そうして自分を守れるなら……それが一番いい」




父を手にかけたあの瞬間でさえ、


彼は私を、“あの日の少女”だと信じていた。




私は、彼を見つめながら冷たい声で告げた。


「――賀蘭狼主。


 この私を、天皇にする手助けをするなら、命は助けてあげる」




彼は伏せた睫毛をわずかに震わせ、答えた。


「ほしいものがあるなら、俺が取ってこよう。


 ……だから、お願いだ。


 もう一度だけ、狼と呼んでくれるか?」




私は、絶対の利益の前では、どんな愛情でも演じられる女。


だから彼に近づき、氷のような唇に軽く口づけし、囁いた。




「狼。私、あの天皇の玉座が欲しいの」


「――いい。君に、あげるよ」




彼は素直に頭を垂れ、忠犬のように跪いた。




私は、鎖を解きながら薬丸を唇にあてた。


「これは、腸を裂く毒だよ」




彼は抵抗せず、ただ舌でそれを受け取った。


指先に、彼の舌が一瞬触れ、私は思わず肩をすくめた。


彼はそのまま、私の掌に、そして指先に口づけを落とす。


低く、穏やかな声で囁いた。




「狼の命は、初めから石榴のもの」




あまりに真っ直ぐなその想いに、


私は返す言葉を見つけられず、静かに目を伏せた。




…………




大和王朝は、すでに中から腐っていた。


白く美しい外皮の下に、虫が巣喰い、空洞だらけの巨木。


賀蘭狼主は、長年かけて平安京の各地に虞夷の兵を潜ませていた。




彼が合図を出すと、朱雀大門が静かに内側から開かれた。


血の匂いに飢えた狼のように、兵たちは一斉に雪崩れ込んだ。




私は、偽造した勅令を手に、宮城の高い壁に立った。


風に髪をなびかせ、声を張る。




「我こそは先帝の十六女、李昭である!


 今より、先帝の遺命により皇位を継承し、ここに勅を下す!


 逆らう者は、斬る!――ひれ伏せ、新しき帝に!」




城壁の下、賀蘭狼主がまず片膝をつき、天に届くような声で叫んだ。




「臣・賀蘭帰、陛下に謁す!」




彼の背後にいた虞夷の兵たちは、驚愕した。


――彼らの王が、大和の姫に跪いた。




だが、誰も口には出せなかった。


彼の軍律は厳しく、命令違反は即死刑。




やがて全軍が地に伏し、


ひとつの声が、雷鳴のように都を覆った。




「陛下万歳! 陛下万歳!」




大和の禁軍も、公卿たちも、


その剣と蹄の音に呑まれ、混乱の中で、


血に染まった勅令を見て――


跪くしかなかった。




――その日を境に、


私はもはや、痴れ姫でもなければ、冷宮の影でもなく、


虞夷の王の妃ですらなかった。




私は李昭。


昭らかにして日月のごとく。


天と並び輝く、天下唯一の女帝。




この手に、すべての力を握る。


万人を、跪かせる。


この地に、未だかつてない昭元の世を築く。




永く、永く、歴史の頂に名を刻む――


この私が、この国の、新たな太陽となる。



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