畳に置かれた四つの膳の上で、湯気が揺れていた。
炊き立てのご飯と、薄く切った焼き魚。食卓は、いつも通りの形をしている。
けれど、その場の空気は、張り詰めた絹のように繊細で、今にも裂けそうだった。
義父の康晴は黙って湯呑みに口をつけている。
義母の篤子は箸を持ちながら、一口も食べていなかった。
「……なんで、この話を今する必要があるのか、俺にはわからん」
康晴の声は低く、荒れていた。
誰も返事をしない。重たい沈黙。綾芽は正座したまま、視線を膝に落とした。
蒼が横に座っている。
その背筋は伸びていた。まるで、責めを受け入れる覚悟のように。
篤子が、ついに口を開いた。
「蒼。あなた、玲奈さんとはどうするの? あの子、あなたを本気で——」
「破談にします」
言い切った。
誰も息を呑む音すら出せなかった。
空気が一瞬、凍ったようだった。
「……何を言っているの?」
「嘘はつけません。綾芽を、好きなんです。……昔から」
康晴の掌が、机を叩いた。
「馬鹿を言うな!」
怒声が部屋に響いた。茶碗が跳ね、湯呑みの中身がこぼれる。
蒼は動じなかった。
「綾芽は家族だろう! 姉だぞ!」
「血はつながっていません」
「血の問題じゃない! 倫理の問題だ!」
篤子は声を出せず、目を見開いたまま唇を押さえていた。
その沈黙が、逆に怒りの温度を上げた。
康晴が、綾芽の方を睨む。
「お前は姉だろう? どうして止めなかった!」
綾芽は、そのとき、やっと顔を上げた。
そして、まっすぐ言った。
「……私も、蒼が好きです」
言葉が落ちた瞬間、時間が止まったようだった。
それは告白というより、告発だった。
自分自身への、そしてこの場の全員への。
「綺麗な想いじゃありません。正しいとも思っていません。……でも、嘘をつき続けて生きるのは、もう限界なんです」
康晴の拳が震えた。怒りなのか、失望なのか、それは判別できなかった。
篤子は泣き出した。小さく、息を詰めるように、嗚咽が漏れた。
「……出ていきなさい。二人とも。家の名を汚すなら、もう他人です」
それが、宣告だった。
蒼は立ち上がり、綾芽の手を取った。
この手は、漆と銀の匂いが微かに染みついている。震えていたが、力はこもっていた。
「じゃあ、出ていきます。僕たちは罪を選びます。でも、それでも一緒にいます」
食卓の湯気が、ゆっくりと消えていく。
その中心で、ふたりの影だけが静かに重なっていた。
(第7章 完)