領主の館は前の領主である元侯爵の館を、そのまま使っている。
広い侯爵領の行政を担ってきた建物だ。当然大きい。
内装は豪奢でもなく、質素すぎもせず、いい感じである。
「衛兵小屋より小さいですねー」
「たしかに」
クルスとティミショアラがそんなことを言って、代官はびくりとした。
ヴィヴィが俺の袖を引っ張る。
「元侯爵の現伯爵閣下は贅沢好きだったと聞いたのじゃが」
「前領主は王都で暮らしていたからな。こちらに住むのは代官だ。だから豪華じゃないんだろう」
クルスの前の領主は、侯爵だったが今は降格して伯爵になっている。
現領主のクルスと、前領主の今の爵位が同じ伯爵なので、非常に紛らわしい。
「なるほど。それで趣味のいい感じになっているのじゃな」
「過ごしやすそうだし、いいと思う」
クルスもヴィヴィの意見に同意する。
それを聞いて代官は頭を下げる。
「ありがとうございます」
「うん。いい感じだと思う」
代官は少しほっとした様子だ。
全面改修しろとか建て直せと言われるのを恐れていたのかもしれない。
小屋より小さいとクルスが言うせいだ。
代官の態度を見て、俺は少し安心した。
領主の無駄遣いを恐れる健全な代官に見えたからだ。
代官に応接室へと通された。
クルスが代官に向かって尋ねる。
「領民が陳情に来るときは、どの部屋を使うの?」
「この部屋でございます。伯爵閣下は応接室ではなく、貴賓室にお通しすべきなのでしょうが、あいにく用意ができておりません」
領主の館に貴族が来ることは滅多にない。
おそらく物置にでもしているのだろう。それでいいと思う。
「ぼくたちがこの部屋にいると、陳情に来る人を待たせることになっちゃわない?」
「ご安心ください。今日は陳情に来ているものはおりませんゆえ」
「へー。今日はいないんだ。いつもは一日に何人ぐらい陳情に来るの?」
「陳情は一週間に一度あれば多い方です」
検地はまだ始まったばかりだ。本格的な陳情はこれからなのだろう。
もしくは、代官所の支所で陳情を止めているかだ。
「今日は色々聞くことがあって来たんだよ」
「どのようなことでしょう」
「アルラ、お願い」
クルスに促されて、俺はうなずく。
難しいことは俺にふれと、クルスには言っておいた。その指示を忠実に守ってくれている。
「一部の村で税率が上がっているようだが、代官は把握しているか?」
「そのようなはずは……。むしろ伯爵閣下の指示通り、税率は下げております」
「実際に税率を上げられた村がある。至急調べるように」
「了解いたしました」
代官は部下に指示を出しに行く。
それからは代官から実務についての説明を受けた。
資料と記録を持ってこさせて、目を通す。
代官の方針自体には問題はないように思えた。
あとは実際に運営する代官補佐の問題だろう。それと監督方法の問題だ。
あっという間に2時間が経った。
「代官補佐が到着したようです」
「連れてきて」
クルスがそういうと、ヴィヴィがすかさず、牛の仮面をかぶった。
代官補佐とヴィヴィは面識があるからだ。
机の上で出されたおやつを食べていたシギショアラをティミショアラが抱き寄せる。
「りゃ?」
「大人しくしておくといいのだぞ」
すぐに代官補佐が入室してくる。痩せた男だ。俺よりも一回り年上に見える。
高そうな衣服を身につけている。
緊張していたが、少女であるクルスとティミショアラを見て少し笑みを見せた。
侮りの笑みだろう。
狼と牛の仮面をかぶっている俺とヴィヴィのことは、気にしていないようだ。
「伯爵閣下。お会いできて光栄でございます」
クルスが口を開こうとしたので、俺は念話を飛ばす
『クルスは黙っておいて』
『いいですけど、なんでですか?』
『貴人は、下賤の者に自ら口を開かないものだからな』
『下賤って、ひどくないです?』
『代官補佐の態度から判断するに、クルスのことを侮っている。最初に上下をわからせたほうがいい』
『なるほどー、確かに犬とかもそうですね!』
犬のしつけとは違うと言いたいが、基本は同じかもしれない。
俺はクルスの代わりに代官補佐にむけて語り掛ける。
「代官補佐。伯爵閣下はお怒りである」
「なにか不手際がありましたでしょうか」
補佐官は一瞬ぎょっとする。狼の仮面をかぶった男が話し始めたのだ。
仕方ない。
「伯爵閣下は、領主裁判権を行使なされる。そのつもりで受け答えするがよい」
「一体、わたくしは何の罪を問われているのでしょうか」
「ムルグ村において税率を不当に上げたこと、伯爵閣下はお怒りである。なにか申し開きはあるか?」
「わたくしは適正に職務を行っております。税が高いと申すは庶民の常」
代官補佐は冷静だ。領主であるクルスを舐めているのだろう。
「痩せた土地しかないムルグ村の畑が最上ランクに位置付けられていた。これが不正でなくてなんであろうか」
「ムルグ村の畑は痩せてはおりません。実際に見た私がそう判断いたしました」
代官補佐は口元にいやらしい笑みを浮かべていた。
所詮、クルスは小娘。丸め込めると考えているのだろう。
「伯爵閣下も実際に見ていただければおわかりになるでしょう」
辺境の村に伯爵が実際に来るわけがない。そう侮っているのだ。
「実際に見てみればわかると」
「はい。その通りです」
「それでは、その件については後で確かめよう」
俺がそういうと、代官補佐は一瞬眉をひそめた。確かめるの意味が分からなかったのかもしれない。
それから忙しい勇者クルスがムルグ村に行くわけがないと判断したのだろう。
代官補佐は一瞬だけ頬を緩めた。
「さて、続いてだが、ムルグ村から盾を窃盗したこと。代官補佐の要職にあるものにあるまじき非道。伯爵閣下はお怒りである」
「お待ちを。それも私は適正に職務を実行したにすぎません」
「どのような職務か」
代官補佐は弁明をはじめる。領主裁判でも弁明の機会は与えられるのだ。
「魔族が怪しげな魔術を行っていたため、没収したにすぎません。前領主、侯爵閣下のころから、魔族からの呪具の没収は適法であります」
「いまの領主はコンラディン伯爵閣下である。そして閣下はそのようは行為は認めていない」
「そうでありましたか。それはわたくしの手違いです。盾の代金をムルグ村にお送りいたしましょう」
「なぜ現物を返さぬ」
「魔族の呪具は危険だからです。鉄の盾の代金を支払えば、村人も文句はいいますまい」
オリハルコンの盾を鉄の盾だと言いはじめた。もう売ったのではないだろうかと一瞬不安になった。
いや、オリハルコンは値が張るため、簡単には売りさばけない。大丈夫だろう。
「あれは鉄ではない。オリハルコンである」
「まさか。痩せた畑しかないのでしょう? オリハルコンの盾があるわけないではありませんか」
ティミショアラが不機嫌そうに口を開いた。
「こいつはよく舌が回るな。切り落とせばどうか」
「閣下。しばしお待ちください。裁判である以上、一応弁解も聞いておかねばなりませんので」
ティミショアラは代官補佐に向かって言う。
「そこの代官補佐。まさか売り飛ばしてはおらぬであろうな?」
「はい、そのようなことは」
「それは運がよかったな。盾を売り飛ばしていれば、そなたの首も飛んでいたところだ」
代官補佐は怪訝な顔をする。
「代官補佐。あれは伯爵閣下が、古代竜の大公家にお贈りするため、ムルグ村の魔導士に細工を依頼したものである」
「そ、それは」
「おぬしは伯爵閣下の所有物。それも古代竜の大公家への贈り物を奪い取ったのだ。手違いで済むわけがなかろう」
「まったく、存じ上げず、大変失礼いたしました」
そのとき、ヴィヴィが牛の仮面を脱ぎ捨てる。
ヴィヴィの顔を見て、代官補佐は一瞬表情をなくした。
「存じ上げず、じゃと? よくもまあぬけぬけと申せたものじゃ。あれほど、この盾はクルスのものだといったではないか」
「あ……、まさか閣下のことだとは思わず」
クルスが魔族に頼みごとをするわけがないと思い込んでいたのかもしれない。
だがオリハルコンの盾なのだ。依頼人がいるならばそれなりの地位にいる人物だと推測できるだろう。
魔族だと思って甘く見すぎである。
「伯爵閣下の所有物だと知りながら奪い取った。それも大公家への贈り物をだ。これは主君に対する明らかな反逆である」
俺がそう告げると、初めて代官補佐の顔に焦りが浮かぶ。
それを見てティミは立ち上がる。
「必要な供述は取れたか? 強奪に関しては有罪と決まったが、検地に関してはこれから答え合わせといこうではないか。クルスかまわぬな?」
ちらりとクルスは俺の方を見たので、俺はうなずいた。
俺のうなずきをうけて、クルスはやっと口を開く。
「はい、それでは行きましょうか。代官も行きますよ」
「ど、どこにでしょう?」
「どこって決まっているでしょう」
戸惑う代官と、顔面蒼白な代官補佐を連れて領主の館を出る。
すぐにティミショアラは元の姿に戻る。
足がしびれていたのか、空中で羽ばたきながら、全身で伸びをする。
それだけで風が吹きあれた。
「あっ……ああ……」
ティミの本来の姿をはじめた見た代官補佐は腰を抜かしていた。
まともに言葉も出せていない。
「代官。お主は老齢ゆえ、特別に我の背に乗ることを許そう」
「あ、ありがたきしあわせ」
代官をつかんで、クルスは飛びのる。ぴょんとティミの背に乗った。
俺とヴィヴィは魔法でふわりとティミの背に乗る。
「代官補佐。お前のような奴は、我が背に乗ることを許さぬ」
そういって、ティミは代官補佐を指先、ほんの爪の先でつまんだ。
すぐに上空へと舞い上がる。
「ひぃ」
「正直に話すなら今のうちだ」
ティミはそういうと、一気に加速する。
背に乗っている俺も少し怖いぐらいだ。
「ま、まって……まってくれ! あああ」
代官補佐は叫んでいるが、ティミは気にした様子もない。
爪の先だけでぶら下げられた代官補佐はぶらんぶらんと大きく揺れている。
「あっ」
「ぎゃあああああああああ」
代官補佐が爪の先から外れて、落下する。ティミは急降下して空中で捕まえる。
「失敗、失敗」
悪びれた様子もなくティミは言う。
急降下の加速はすごかった。
背に乗っている俺たちもふわりと浮きかけた。
「すごいすごい!」
「りゃっりゃーー」
クルスとシギは大喜びだ。
だが、ヴィヴィは必死に俺にしがみついている。
「死ぬ、死ぬのじゃ」
その姿を大げさだと笑うことはできない。
実際に落ちたら死ぬだろう。それに俺も死ぬかと思った。
代官は必死になって鱗にしがみついていた。
その代官をクルスはさりげなく支えてやっている。落ちないように気を付けているのだ。
10分ほどで、代官補佐の拠点たる、代官所の支所に到着する。
補佐が2時間かけた距離を10分だ。2時間は純粋な移動時間ではない。色々な準備の時間も含まれる。
だが、それでも、やはりティミは速い。
地面におろされた代官補佐は、魂が抜けたようにぼーっとしていた。
あらゆるものが全身から出ていたが、それを気にする様子もない。
「盾と、すべての検地の記録を持ってこい」
俺は支所の役人にそう告げる。
役人たちは戸惑っていた。狼の仮面をかぶっている奴に言われて戸惑っているのだろう。
その後、代官が身分を明かして大声で指示を飛ばして、やっと役人たちは動き始める。
その間、代官補佐はずっと、呆けた顔で地面に座っていた。反論も何もない。
ティミにつままれての10分の高速移動は余程怖かったのだろう。
出張所に置いてあった盾を回収し、検地帳を没収する。かなりの量があったが、魔法の鞄に余裕で入る。
「さて、次だ」
「ひぃいい。ゆるしてゆるして」
ティミがつまみ上げると、いままで呆けていた代官補佐が泣いて懇願した。
俺は笑顔で告げる。
「いまから、お前が検地した村を全部回るんだ。そして適正に検地が行われたか確認してまわる」
「もういやだぁ。せめて背に……」
代官補佐は哀願するが、ティミは冷たく言い放つ。
「我はこいつを乗せるのは嫌だぞ。絶対に嫌だぞ」
俺がティミでも嫌である。フェムやモーフィでも嫌がるだろう。
今の代官補佐は臭い。代官補佐があらゆるものを垂れ流しているからだ。
「ということだ。我慢しろ」
代官補佐は泣きながら、語り始める。
「ごめんなさい。不当に税を上げてました……みとめますからぁ」
「なぜそのようなことを?」
「差額分を儲けようと思って……」
「なぜ、今年から税率を急に上げた?」
「代官は新人だし騙せると思って……」
「盾は?」
「高そうだったので、売れば……金になるとおもって……。魔族だし財産を奪っても誤魔化せると……」
クルスとヴィヴィがため息をついた。
「クズ過ぎてびっくりした」
「お前本当にクズじゃな」
俺はクルスやヴィヴィ、ティミとシギも互いに念話で話せるように魔法をかけた。
そうしておいてから、クルスたちに念話を飛ばす。
『クルスどうする? 村を回って帳面との差を突き付ける予定だったけど。自白しちゃったね』
『うーん。適正に税率を決めるのは必要なので、検地は後でやり直すとして……。先に代官補佐をどうすべきかですよね?』
『処罰なしというわけにはいかないのじゃ』
『古代竜なら死刑だぞ』
『りゃっりゃ』
『そうか、シギも死刑がいいか』
『りゃあ』
ティミとシギが念話で会話している。
だが、絶対シギはそんなこと言ってない。
『普通に懲役刑でいいんじゃない? 不正蓄財は没収で』
『そうですね。それぐらいでいいかも』
懲役刑はしんどい。鉱山など過酷な環境で働かされるのだ。
代官補佐のような、金持ちの息子で労働を大してやってこなかった者には特に厳しいだろう。
その後、クルスが判決を言い渡した。
懲役10年。財産没収。
判決を聞いた代官補佐は顔を真っ青にしていた。