事務局長は動かない。完全に気を失っていた。
心優しいステフは不安そうにする。
「だ、大丈夫なのです?」
「大丈夫だよー」
クルスは笑顔で返事をした。
遠目からでも事務局長が息をしているのはわかる。外傷もない。
だから、戦闘慣れしたクルスには気を失っているだけだとわかるのだ。
クルスは会長に向かって、改めて言う。
「会長。今度こそ、ステフちゃんの勝利でいいですか?」
「……そのようですね」
しぶしぶといった表情で、会長は敗北を認めた。
「ステフちゃん、おめでとー」
「あ、ありがとうなのです」
クルスがステフのもとに駆け寄っていく。
俺は念のために事務局長のもとに駆け寄る。脈や呼吸を調べた。
ヴィヴィもついてきてくれる。
「どうなのじゃ?」
「気絶しているだけだな」
「そうか。まるで断末魔のような悲鳴だったのじゃ。肝が冷えたのじゃぞ」
「こんな奴でも死んだら寝覚めが悪いからな」
「うむうむ。そうなのじゃ」
俺は事務局長の顔に、魔法で冷たい水をかけた。
「ふわあ…………、あああああああ」
気絶から立ち直ると、すぐに変な声を出した。
そして、俺とヴィヴィをみてまた変な声を出して後ずさる。
目覚めたばかりのところに、狼と牛の被り物が目に入ったのだ。
化け物に見えたのかもしれない。
「元気そうで何よりだな」
皮肉を言って、俺はクルスたちの元へ戻った。
クルスは会長に笑顔で話しかけていた。
「あまりにも勝負にならなかったですね。まだ試合しますか?」
「そうですね……」
会長はあまり乗り気ではないようだ。
だが、見物していたギルドの魔導士の一人が叫ぶ。
「事務局長は偉大な魔導士だったが、現役を退いて、数年経っておられるのだ」
事務局長は魔導士としての能力は未だ衰えていないと、会長が言っていた。
ただの負け惜しみだろう。
「どうりで。弱すぎると思ったぞ」
だから俺は煽る。途端に、その魔導士は顔を真っ赤にする。
「我が兄弟子たる事務局長を侮辱するのはやめていただきたい」
「先に俺たちの仲間を侮辱したのはそっちだろうが」
「獣人が出来損ないなのは事実だ! 侮辱ではない!」
「……その獣人の魔導士に負けた魔導士は、どれだけ出来損ないなんだろうな?」
「事務局長は油断しただけだ! 詠唱途中で攻撃を仕掛けるなど」
「ははは。実戦でも、そんな言い訳をするのか? 随分とぬるい環境で戦ってきたんだな」
俺の言葉で、魔導士はいきり立つ。
「俺と戦え獣人!」
ステフは困ったような表情で俺の方を見た。俺は頷き返す。
「わかったのです。お相手するのです」
「よくぞ、試合を受けたものよ。卑怯な奇襲は、二度と通用しないと知れ!」
そして、次の試合が始まった。
奇襲は通じない。そう宣言した魔導士の対策は魔法障壁を張ることだった。
「これで、お前の攻撃は俺に通じない!」
魔導士はどや顔だが、魔法障壁が薄い。普通に撃てば壊せるだろう。
それに小さい。軌道を変えれば、難なく当てることができるだろう。
それを見て、ステフは困惑する。
罠かもしれないと警戒しているのだ。
ヴィヴィも困ったような顔でこちらを見る。
「アル、アル。あれは、なんの冗談じゃ?」
だが、魔導士ギルドの魔導士たちの感想は違うらしい。
「さすが! 隙の無い作戦だ」
などと言っている。
軍務卿が会長に尋ねた。
「彼は優秀な魔導士なのですか?」
「もちろんです。若手でもトップクラスに優秀な魔導士ですよ」
「トップクラスですか? それはすごい」
「王宮の宮廷魔導士に近々推薦しようと考えています。その際はよろしくお願いいたします」
王宮の宮廷魔導士になるには魔導士ギルドの推薦が必要だ。
大貴族のお抱え魔導士などもそうだ。
一応、王宮の方でも審査することにはなっている。
王宮側の審査の中心は魔法の専門家である宮廷魔導士たちだ。
だが、魔導士ギルドの会長や副会長、専務理事は、歴代の宮廷魔導士長などばかり。
その魔導士ギルドから推薦された人材を、現役の宮廷魔導士が拒否することはまずない。
現役の宮廷魔導士たちにとって、魔導士ギルドの幹部は先輩なのだ。
そして、魔導士ギルドは定年後の就職先でもある。
「優秀な魔導士が宮廷魔導士になってくださるのは、国家のためになります。歓迎ですよ」
「ありがとうございます」
軍務卿と会長が話していると、ステフが尋ねる。
「もう、はじめてもいいのです?」
「ふん、手も足もでまい」
——ドガガガ……
「ぎゃああああああああああああああ」
ステフは軌道を変えて、障壁を避ける方法を選んだようだ。
障壁を避けた火炎弾が、魔導士を襲った。
魔導士は全身火だるまになって絶叫する。
「あー、あれは痛いんだ」
ステフを馬鹿にした魔導士でないのなら、同情していたところだ。
「熱いのではなく、痛いのじゃな?」
「もちろん熱いが、熱い以上に痛いぞ」
俺も火炎魔法で火傷したことがある。とても痛かった。
「そうなのじゃな」
ヴィヴィがうんうんと頷いていた。
そんなことを話している間に、魔導士は気絶していた。
それを見てクルスが会長に言う。
「今回もこっちの勝ちでいいですよね?」
「……そうですね」
二連敗したことが、受け入れられないのだろう。
観客の魔導士から、ヤジが飛んでくる。
「最強の魔導士を出したんだろう、卑怯だぞ!」
「なにが、最強だ! 獣人は魔導士として出来損ないといったのはお前らだろうが!」
俺が怒鳴りつけると、大人しくなった。