春川祐希は生粋の童貞である。そして世間知らずだ。
それはヴァンパイアの誘いに簡単に乗るところもそうであるし――。前世の記憶が戻ったことで、この世界の常識とかそう言うのが丸っきり元のものに上書きされてしまっていた、と言う方が正しい。
「この後一緒に晩御飯食べて、ラブホテルに行きませんか?」
だから、今、奏音の口から発せられた言葉が信じられなかった。
もしこれが「好きです。だから私と付き合ってくれませんか」だったとしたら、祐希はそこまで動揺していなかった。奏音が自分のことを恋愛的な目で見てきていることは、どれだけ疎い祐希ですら察せられたからである。
「ラブホテルって……あの? えっと、男女で共に夜を過ごす、あの?」
「そう、です」
しかし持ちかけられたのは同衾のお誘いである。もう映画を見ていた人は全員出て行ったホールの、二人だけのカップルシート。奏音はウブな性格であるが、その言い方や雰囲気から性行為の意味を含ませていることに何の疑いもない。
「だめ、ですか?」
これは多分答えないと離してもらえないやつだ、と思った。ここで誘いを断ったらどうなるか。断ること自体は簡単だ。しかし奏音の心に深い傷を負わせることになる。
前の世界なら、付き合ってもいない男一人に振られてそれが一生引きずる傷になることはほぼない。ただ、この世界ではそれがあり得る。自分を求められなかったことが原因で、二人の関係性が壊れるのは非常に良くないと思った。
なら、ここで誘いを受けたら? どうなる? 祐希は直感的にこちらの方がよく感じた。元の世界でも付き合ってない男女が夜を過ごすことはよくあった。別にいいんじゃないか、ってそう思った。
「……ダメなわけない」
後正直に、祐希は本能に逆らえなかった。可愛い女子に夜を誘われて断る男がいないのだろうか、と。
〜〜〜
二人の間に緊張が走っていることがわかる。晩御飯はファミレスで済ませたが、あまり会話も弾まなかった。奏音もいろんなことを考えているのだろう。
祐希はカラスの行水をすませ、奏音が「お風呂に入るね」とこれまた緊張しいな声で水を浴びに行ったところで、祐希はラブホテルの部屋を探索していた。
「……あれ? 何だこれ……コンドームだよな?」
祐希の乏しい童貞知識によると、ラブホにはコンドームが置いてあるらしい。しかしその場所にあったのはとてもサイズが小さいソレだった。見た目はゴムそのものなのだが、中身を開けると大きさが明らかに違う。
「これ着ける……いやあ、そんなわけがねえよな。それともこの世界の男はちいさ……いや、もっとそんなわけねえだろ、俺もこの世界でずっと過ごしてんだぞ」
「出たよ――何持ってんのそれ」
奏音が焦った顔をして祐希からソレを奪い取る。
「こういうのは触っちゃダメ」
「これって……どう使うの?」
そう問うと奏音は顔を赤らめて答えにくそうにする。それに構うことなく話してくれと言ったらしぶしぶ口を開き始めた。
「ほら、女の子同士のカップルとかが、一緒に寝るとき指にはめてイチャイチャするのに
祐希はそう言うことか、と合点がいく。どうやらフィンドムというらしい。
そして、その次に目がいったのは奏音の服装だ。
「奏音の服、めちゃくちゃ可愛い」
「本当に?」
風呂から出てきた奏音は白いネグリジェを身に纏い、そのかっちりとしながらも、ふんわりとした雰囲気に引き込まれる。
奏音が部屋のベッドに上がる。「じゃあ……」と声を漏らし、祐希にも何を促しているのかがわかった。二人の間の緊張が最高潮に高まっていることがわかる。アイコンタクトの後、祐希はベッドの上に上がる。
そこで祐希に一つの思考が浮かぶ。先ほどのブツは指用だと奏音が言っていた。ならば自分がイメージしているよく使われるソレは――
「… …え?」
祐希がベッドに上がり、奏音に身を寄せた瞬間、お互いの体に布団が覆い被さる。奏音からも身が寄せられ、「ふふっ」と小さな声が彼女から漏れる。
そして「おやすみ」と言ったきり奏音はベッドの上に寝転がる。
「は?」
「え?」
「えっと、何かしないの?」
「ね、寝るけど……」
「は?」
「え?」
「一緒に寝るだけ?」
「寝るだけって、やっぱり祐希って女の子とたくさんそういうことやってるんだ……」
「違うけど!?」
どうも二人の話が噛み合わない。そこで祐希は察した。彼女は決して冗談を言っているのでもなく、なんでもなく、この世界では
「まあ確かに元の世界でも、同年代の女子と一緒に寝たことってないけども……」
祐希からしたら拍子抜けである。しかし、奏音はこれまで一度も性行為なんて言っていない。「ラブホテルに行きませんか」と言われたから一緒にきた、ただし想定用途とは違うが。「男女で共に夜を過ごす」、これも間違っていない。
「奏音ってこうやって添い寝みたいなの好きなの?」
「何言ってんの、ヒューマンの女子でこれが嫌いな子なんていないでしょ……私も、うーん、恥ずかしいんだけど『ボーイッシュ女子と添い寝するASMR』みたいなのよく聞くしぃ?」
「もし祐希が嫌だったら言ってね」
別に嫌ではないが、少々、こう、残念である。恐らく祐希が想定するような性行為というのはかなり遠いところにあるのだ。
「普通の男って彼女とかとも、こうやって一緒に寝るの?」
もうこうなったら気になったことは全部聞いてやろうと奏音に質問を投げかける。
「そうだと……思うよ。そもそも男子と添い寝できる子なんてほぼいないけど。まあでもやっぱり、男の子は彼女がいる子が多いから実際のところはわからないなあ」
「彼女? やっぱり男って彼女作ってるの?」
奏音がその言葉に首肯する。
「男子のほとんどは、
「八人? は?」
そこから奏音によってこの世界の男女交際の基本が語られることになる。祐希が思っていたより、もっと歪な価値観の男女交際が。