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第17話 立川奏音というヒューマン

 立川奏音がという存在を身をもって知ったのは小学生の時だった。小学校入学を果たした時、たまたま近所に男子が住んでいるということを知った。


 勿論、これが祐希であるわけなのだが、当時の奏音に男という存在の希少性は理解できなかった。やや内気だが、しかし話しかけるとちゃんと応えてくれる、ただのヒューマンだった。


 奏音が好きで、そして友達がみんな好きな「可愛いもの」に対する興味が薄かったことを不思議に思ったくらいで。本当にそれだけで何かを思ったことはなかった。


 しかしそれは、周りの友達より奏音がほんの少しピュアだったということらしい。友達は祐希に対して異なる反応を見せた。



 『春川くんのこと、狙ってるの?』



 ある時、クラスのリーダー格の女子にそう言われたことがあった。戸惑いながらも『違う』と言うが、そもそも小学生の奏音が『狙っている』という言葉に潜む背景を汲み取ることは出来なかった。


 奏音の他にも立場を同じくして、数人ほど祐希のことをただの友達と見ていた人間はいた。それは小学生という性的欲求への未熟さゆえなのだが。


 でも別に、リーダー格の女子に何か陰口を言われても周りからやっかみを言われても奏音は何も気にしなかった。自分の世界だけで十分に楽しかったからだ。


『なあ奏音、早く遊ぼうぜ』


 祐希はいつもそう言って奏音を遊びに誘った。逆に奏音が祐希を誘うこともしばしばあった。



『奏音って春川くんと仲良いんだよね!?』

『ま、まあそうだね』


 小学校高学年の時だった。ある日、ある女子がこうやって奏音に話題を振ってきた。彼女はクラスの中でもかなり可愛いと、そう評価されていた……確かヒューマンだったと思う。


『春川くんに今度一緒に遊びに行きませんかって誘いたいんだけどさ、春川くんって何が好きなのか、とか分かる!?』

『えー、なんだろ』


 このようなことは人生で何度もあった。そして絶対に答えてこなかった。言いたくなかった。この時も適当に誤魔化した。周りの怪訝な視線は感じるが、それで良かった。本当は、


『私の友達の祐希という男は、好きな漫画が皆大好きの恋愛モノではなくむしろアクション系のかっこいい雰囲気のもので。男子にしては珍しく体を動かすことも好きで。優柔不断だけど一緒にいると楽しい、そんなヒューマンだ』


 そんなことを言いたかった。でもそれをきっかけに祐希が自分から離れることが怖かった。その頃はまだ自分でも友達を取られたくないからそんなことを思っているのだと考えていた。




 でも、小学校を卒業する頃にはかつて祐希のことを友達、と言って一緒に遊んでいた友達は皆同じになった。皆、祐希のことを恋愛的な目で見るようになっていた。


 それに彼も困っているようだった。



『お、奏音だ! 久しぶり』

『あ……っ、うん、久しぶり!』


 中学生になって少し経った頃だろうか。祐希は別の、男子校に行った。その間に声変わりをしたらしい。


 久しぶりに、たまたま近所で鉢合わせた彼に少し邪な思いを抱いたことが奏音のの始まりだった。


『祐希……かっこいいな……』


 祐希と久しぶりに世間話を少ししたことを思い出しながら。一人、部屋でそんなことを呟いていた。自分がそんなことを呟いたことに驚いた。


 これまで自分が嫌だと思っていた行動をするような人間に、自分がなってしまったことへの嫌悪がきた。


 繰り返すが奏音は少しだけピュアだったのだ。他の女子よりも、恋愛ということへの解像度が粗いまま日々を過ごしてしまっただけだ。



『えっと、よろしくね。奏音』

『……よろしく。なんていうか、久しぶりね。あなたの顔を見るのも』


 高校生になった。また祐希と一緒になった。


 奏音はこの二、三年で自分への気持ちへの折り合いはついていた。祐希のことが好きだ。


 祐希のことが好きだと。彼こそが自分の初恋だと思った。


 小学生の時からずっと抱いてきた友情も親愛も、全てが恋愛感情に転化しうるモノ――あるいは転化していることにすら気づけていなかったモノ――だったのだ。


 だから、映画も誘った。彼の好きなアクション映画を一緒に見た。


 正直あまり自分の趣向ではなかったが、それでもカップルシートで椅子の隔たりすらない二人だけの空間で映画を見るという体験そのものに価値があった。




 『別に祐希とは仲良くしてくれるのはいいけどって感じだな。私としては』


 彼には姉がいる。姉や妹が居る男性は姉妹と結婚する例がほとんどだ。そのことを忘れていなかったわけではないが、現実を突きつけられた。


 凛の一言は恋人として彼のそばにいることを諦めろという通牒に聞こえた。これがただの恋敵であれば何くそ、と言えただろうが、少々事情が違った。凛の言うことが正しいと思ったからだ。それがこの貞操逆転世界の歴史的な伝統だから。



「はぁ……どんな顔して話せばいいんだろ」


 その翌日、遅刻ギリギリに教室に飛び込んできた祐希を横目に、話しかけられないままに授業が進んでいた。教師の声も今日は耳に入らない。


 そんな調子で一日が過ぎ、一言も会話がなく放課後になった。そんなことは高校生になってから初めてだった。ため息をついて席を立つ。


 もう教室には人はほぼいない。祐希もまだ帰っていないようだが、帰ろうと思った。帰りを誘うほどの気力は残っていなかった。




「奏音!!」


 教室の端っこで、唯一二人以外で教室に残っていたイリナと話していた祐希が奏音を呼び止めた。その声に心臓が高鳴る。何を言われるのかと思って思わず口の端がきゅっと結ばれた。


「ちょっと今からイリナに血吸われるから、監視してくれ! 前に吸われた時襲われそうになったから!」

「何言ってんの!?」


 暗い気持ちも一瞬で吹き飛ばすほどの大声が出た。

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