上裸の祐希のことが目に焼きついてから数日。奏音は放課後に一人、目的の場所のために廊下を歩いていた。
人と人との距離というのは様々である。例えば幼い頃からずっと過ごしてきた親兄弟というのはもっぱら、自身のテリトリーにかなりの割合で、そして比較的遠慮がなく踏み込んでくる。
しかしこれが恋人、親友、部活で毎日のように会う友達、週に二、三回会う塾の友達……と降りていくにつれて、普通はだんだんとその距離というのは遠くなっていく。
これは決してお互い不仲だということを表しているわけではない。単に、踏み込んで良いと合意しているテリトリーの範囲が狭いだけなのだ。
「やっぱり、あんまり祐希に積極的になったらダメなのかな」
そう奏音が廊下を歩きながらぼやく。彼にアプローチしても、それが成就する気が全くしていなかった。というか、
祐希というヒューマンは掴みどころのない男だが、その分だけ奏音には彼を落とすチャンスがあるように見えていた。しかし、彼女はもうすでにそのチャンスも全て潰れたと、そう思った。
「とりあえず部活探さないとなあ……」
彼女も恋する乙女である以前に一人の学生である。学校生活を送るために、何か大きな思い出が作れて、熱中できるところに所属したいと思っていた。
繰り返すが彼女らの通う学校はその自由な校風を裏付けるように、多種多様な部活動が存在する。奏音もそのいくつかに興味を持ってはいたが……
「中学の時はバレーだったし、あれも楽しかったけど……」
どうせなら、新しいことにチャレンジしてみたいと思った。これまで自分が全く飛び込んでこなかった新しい世界――
〜〜〜〜
「なんで祐希がここに居るの!?」
「あれ、奏音だ」
奏音が辿り着いたのは生徒会室であった。部活動名は生徒会。つまるところ、何も意図していないのにも関わらず本当にたまたま祐希と同じ思考をして生徒会に流れ着いたようだった。
祐希は生徒会室に一人、なんとなく暇していたようだ。ちょうど、何かを買いに行くと先輩たちが出かけて行った時だった。
「なんでって言われても……生徒会って楽しそうだなあって思って」
「だとしても、なんでこのタイミング――いや、これは祐希には関係ないよね。分かった、じゃあ私は別のとこ行くから」
人と人との距離というのは様々である。決して無闇に縮めれば良いというわけではない。そして縮めるべきじゃない関係もある。
奏音にとっての
「ちょっと待ってよ」
踵を返し始めていた奏音の腕を思わず祐希が掴んだ。祐希にその柔らかい腕の感触が伝わると同時に、奏音にがっしりとした彼の手のひらの感触がダイレクトに伝わった。
奏音のセミロングの髪から形作られているツインテールが浮き上がり、祐希のそれは彼女を振り返させることに成功した。
「……つぁ、て、なに!?」
「あ、ごめん!」
その過剰な反応に祐希は思わず手を引っ込める。それと同時に、ラブホテルで前にも同じことをやらかして怒られたことを思い出した。
「いや、ほんと、反射的なアレで出たから」
「びっくりするから、ね? もう……」
そう奏音はため息をついて祐希の方を改めて見る。この数日、まともに見れていなかった気がする。やっぱり間近で見るとカッコいいって思える。愛しい人、という言葉にふさわしい。
「そういえば、生徒会のことを教えてくれたのも奏音だったな。元々入ろうって思ってたの?」
「あれ? いつ祐希と生徒会の話なんてしたっけ?」
「ほら、あのラブホ――」
「思い出した! 思い出したから!」
今度はさすがに、ちょっとからかうつもりで祐希も言葉に出した。それに面白いように反応する奏音に少し微笑んで、話が続く。
「別にあの時は生徒会に入ろうと思ってたわけじゃないよ。あれでしょ? あのエンジェルの……」
「お呼びですか?」
「びっくりしたぁ!」
祐希が声を張りあげる。それに呼応するように奏音もびくりと身体を反応させる。いや、これは祐希の声にびっくりしたと言った方がいい。
祐希の後ろから驚かすように出てきたのはエンジェルのテオ――テオフォネイアだった。
「え、いつからいました? っていうか今、どこにいました? ……奏音、さっきからずっといた?」
「いや……多分、いなかった、と思う」
祐希は生徒会室に一人だった。奏音が生徒会室に入ってきたため、祐希は生徒会室の内部側にいて奏音がドア側にいた。つまり、祐希は会話をしている間は奏音の方を見ていたのでドアが開けば絶対に視界に入ったはずだ。
「さっきからずっといましたよ」
それっていつから、と祐希がさらに質問を重ねようとしたところで。今度はちゃんとドアが開く音がして一体、入ってきた。
「あれ? その女子誰にゃ?」
髪はショートカット、それに碧眼を蓄えたワーキャットが手元に幾らかのお菓子袋を抱えて戻ってきたのだ。
「あれ? それ何買ったんですか?」
「生徒会室用の食べられる備品にゃ」
そう言いながらこつこつ、と足を進める。奏音の姿を見て「その子、新入りにゃね?」と祐希に確認をとりながら、生徒会室の一番奥に据えられている椅子に座った。
「え、あ! もしかして……」
奏音は察したようだった。
「私の名前はミャフィ・フェリナ! このチャーミングな耳と尻尾でわかると思うけど、ワーキャットにゃ。そしてこの学校の生徒会長にゃ! よろしく〜にゃ!」