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第32話 春川凛というヒューマン

 凛が男という存在を知覚したのは弟の存在によってだった。というか、祐希が生まれた時に3歳だったことを考えると、彼の誕生は凛にとっての最初期の記憶でもあった。


「かわいい……」


 すやすやと眠っている祐希を見て、凛はそう呟いていた。


 まず、男とは何なのか。そのことを真に理解することはこの年では無理だったが、しかし周りや両親の反応から、彼が祝福された存在であることは明確だった。



「私、祐希と結婚する!」


 気づいたら、そう喧伝するようになっていた。それに周りも賛同してくれた。今思えば幼児特有の「仲が良い=好き」理論であったわけだが、凛は本気で思っていた。


 凛はお姉ちゃん、という称号にとにかくこだわった。それが自分が祐希の側にいられる免罪符のようなものでもあった。彼を導くのが自分の役目だとも思っていた。


「私と結婚してくれる?」

「凛姉ちゃんといっしょ?」

「うん!」


 そんな誓いをしたこともあったか。別にその約束が今でも有効なんてことは今更思っていないけれど。でも、それほどに盲目的に彼と結婚すると、漠然に思っていた。


 当たり前ではあるが、二人は側から見ても仲が良かったし、そこを否定する者はいなかった。




「ん……ぁっ……ゆうき……ぃ」


 小学校高学年になると、彼を性的に知覚することを覚えた。凛にとって祐希というのは自身の本能を構成する一部分のようにすら思えた。


 そして、それはとても幸せなことに思えた。


 空き時間に、彼のことを考えながら慰めた。ちょうどその時、祐希は小学三年生だか二年生か。


 〜〜〜


「ちなみにさ、どの種族の子と一緒に寝たの? やっぱりドワーフとか?」

「いや。ヒューマンの子だよ」


 祐希から奏音の存在が知らされた時、凛は目の前が真っ暗になった気持ちになった。


 これまで、祐希はずっと自分についてきてたし中学で男子校に通っていた彼にとっての、一番身近な異性は自分であったはずなのだ。


 彼と結婚するヒューマンは凛であるはずで、つまり彼のことを一番理解しているのは自分であるはずだ。


 しかし、その牙城が崩れる音を予兆した。


「祐樹が女遊びしてても寛容に許す正妻ポジションになるつもりだったの!! ヒューマンとして祐希の隣にいるのは私になるはずなのにぃ……」


 なぜ自身ではなく他人が選ばれそうなのか。


 色々と考えたが、結局のところ凛が祐樹に向けている気持ちを知ってくれていないからだと思った。



 〜〜〜


 「今日、祐希のベッドで一緒に寝てもいい? 私もちょっと寂しいっていうか」


 だから取った施策は一緒に寝ることだった。


 この貞操逆転世界において、一緒に寝ること、そしてそれを許可することすらもかなり相当に親しい関係でなければならない。


 祐樹は安易に首を縦に振った。だから凛も、まだ自分は祐樹にとって必要な存在なのだと誤解した。


「祐樹、あったかいね。こうやって抱きしめてると、本当に祐樹の体温を感じる」

「……まあね」


 祐樹は祐樹で、凛の誘いを無碍にすることはなかった。それは、この世界の慣習がどのように動いているかを理解していなかったから。


 そして祐樹自身ですら、この世界に生きる自分の行くべき道を見定められなかった。だから、自分から「もうやめよう」と言うことはできなかった。




「祐樹のことを一番分かってるのは私なんだよ。他の女の子のところに行ったりなんかしても、きっとその子は君のことを理解しない。しょせんは君の性別に対する価値を勝手に決めつけて、君という人間を全く見ずに、だから祐樹はきっと辛い目にあう。だからさ、私とこうやって、毎日寝ていよう。別に私は身体の関係が欲しいわけじゃない……まあ祐樹がそれを望むなら勿論やぶさかじゃないけれど……そんなことはいいんだ。毎日君を抱き寄せて、寝ることができれば。祐樹が他の種族の女の子をいくら連れてきてもいいよ。そいつら全部私がまとめるから。でも、普通男の人って性欲少ない人が多いっていうしね……祐樹がどうなのか、詳しくは知らないけどそういうことを知れるようになったら嬉しい。とにかく、どうなってもいい。どうなってもいいからさ、祐樹の人生の少しだけ私にちょうだい。おねがい。だからさ」


 一緒になるに限っては、祐樹の子守唄は常に凛の誘惑であった。別に求められることに悪い気はしない。しかし、祐樹の中にそれとは違う、圧倒的な違和感を持っていた。


 だから、彼女は振られた。


〜〜〜〜


 奏音は頭を悩ませていた。いかに、凛を崩すか。決戦は翌日なんだ、と。


 きっと正面衝突で行こうとしても上手くはいかない。しかし、なにか他のものになびくような人物でもないし。


 喧嘩の一回でも交えてみるべきなのだろうか、とすら。


「……ん?」


 インターホンが鳴った。親は今はいない。宅配便だろうか。そう思って、扉を開けた。


「な……っ!?」


 奏音の目が大きく見開かれた。


「ちょっと、話さない?」


 扉の前には、大きく泣き腫らした目をした凛が立っていたのだ。


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