「ちょっと、話さない?」
奏音が玄関のドアを開けるとそこに一人の女が立っている。奏音はその姿にとてつもなく、見覚えがあった。
「祐希、のお姉さんですよね?」
大きく泣き腫らした目をした凛が立っていたのだ。彼女はその問いかけに小さく頷いた。奏音にも、ただ事ではない何かが起こったことは伝わった。
心臓の鼓動が速くなる。
『ともかく。別に祐希とは仲良くしてくれるのはいいけどって感じだな、私としては』
そう得意気に話す凛の姿をフラッシュバックする。奏音を縛りつけた言葉を言い放った張本人だ。正直に言うと、恋敵であることも相まって、奏音にとってあまり会いたい人物ではない。
しかしここで追い返すわけにもいかない。そう思って背筋を正した奏音が、声が震えるのを必死に隠しながら言う。
「と、とりあえず上がりますか?」
「……ええ」
凛もそれに頷いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
奏音は凛を自室に招いた。凛が部屋に入ると、まず目に入ったのは、少しファンシーさも感じる部屋のレイアウトだ。可愛いぬいぐるみがいくつも置かれている。
「あなた、こう言うの好きなんだね……こう言っちゃ悪いけどすごく意外」
「確かに、昔はそんなに好きじゃなかったかも。意外って言うのは?」
凛の脳裏に、祐希と一緒に遊ぶ奏音が思い起こされる。凛にとっての彼女の印象は、良い意味でも悪い意味でも
「別に深い意味はないよ。ただ、昔は祐希と性別のことなんか気にせずに遊んでいたほどだったのに、こういう女の子らしい感じのモノは好きなんだなって……」
「今の私は……昔とはちょっと違うかもしれません。でも、こういうのが好きになったのも中学からなので、お姉さんの言うことは間違ってないと思います」
そう言って手近にあるぬいぐるみをギュッと抱きしめる奏音。
「お姉さんって言うのやめてほしいな。私は春川凛って名前だから」
「あ、ごめんなさい」
恐らく凛の中では奏音の言う「お姉さん」が「お義姉さん」に聞こえているんだろう。それを察して凛も即座に呼び方を変える。
「凛さん、突然……なんでうちに?」
奏音からするととにかく意味がわからない。なぜ彼女が家に来ているのか、そしてその表情の理由も。
「……私からしたらめちゃくちゃ信じ難くて、そして最悪なことだけどね。さっき祐希にフラれたの。『別に凛と結婚したいと思ってない』ってね」
「え?」
へへっ、と自暴自棄気味な凛のため息混じりの声を聞いて、奏音はそれを疑った。そんなはずがないと思ったからだ。
「フラれたってのは、その、恋愛的な意味で、ですか?」
「ええ、そう。あなた……立川さんのことが好きなんですって」
「はあ!?」
両者を隔たっていた机を奏音がバンっと叩いて一気に身を乗り出した。あまりにも凛の言うことが信じられなかったからだ。
「近い……近いって。とにかく、私は今し方人生の目標を失ったとこなの」
「は、はあ……」
奏音の脳内はまさに混乱だ。まず、彼が自分のことを好きだと言うことが信じられない。それに、わざわざ報告してきたこの姉のこともよく分からない。
「な、なんで私が……?」
「知るわけないでしょ! そんなこと。立川さんですら不思議に思ってるんでしょ?」
もし、祐樹が自分を選ぶというならば。それは本当に嬉しいことであるし、自分は舞い上がるだろう。
「ねえ、姉の私が祐樹と結婚した方がいいと思わない?」
「それは……」
否定できない。奏音もこの貞操逆転世界の常識で生まれてから生きてきた。それを考えると、弟がいる姉が弟を娶るというのは当たり前のことだ。
「私、祐樹のためなら何してもいいと思ってる。正直立川さんに弟を渡すなんて絶対嫌って思ってるし、私より祐樹に尽くして、祐樹のために動けるヒューマンなんていないと胸を張って言える」
「それは、そうかもしれません」
奏音は反論できない。まず、過ごした時間が二人の間では桁違いだ。祐樹のことを奏音は完全に理解しているわけでもない。
しかし、凛に同じ質問をすると「理解してる」と言ってきすらしそうである。
「ねえ、明日うち来るんでしょ?」
「あ……い、行きます」
どうやら訪問の話は凛の耳にも入っていたらしいと、奏音が息を呑む。
「多分さ、そこで祐樹は君に告白してくると思うんだよね」
「……え!? ホントに!?」
思わずまた、奏音の身が机の上を乗り上げる。男からの告白を受ける、なんてこと聞いたことがなかった。
「なんでそんなこと分かったんですか?」
「私が世界で一番祐樹のことを理解してるから」
「……よく分かんないです」
奏音が首を傾げる。しかし、その凛の勘は結果的に当たっている。しかし、ここに来て奏音は一つの疑念を捨てきれずにいた。
「その話って、どこまで本当なんですか?」
奏音はポツリポツリと凛が語り始めた時から、その疑いを持っていた。もしかしたらこれは凛が仕掛けた策略の一環ではないかと。それがどう機能するかまで、奏音の中では分からなかったけれど。
しかし、悲しいことに凛の言っていることは全て本当である。
「私だって、こんなタチの悪い冗談話したくないに決まってるでしょ」
「じ、じゃあなんで今日はうちに来たんですか?」
それを奏音が聞くと凛が、恋敵に到底向けるとは考えられないほどに頭を下げて言った。
「明日、もし祐樹から告白を受けることがあれば……断って欲しい」
凛ができる最後の足掻きだ。