思い出した。
モーズ侯爵が国家反逆罪に問われ、貴族裁判にかけられた。
その裁判には伯爵家以上のトラリア王国の全ての爵位持ち貴族の代表が参加させられた。
ルシアナも、ヴォーカス公爵家の代表として、陪審員の一人として、その裁判を見ていた。
確か、あれはルシアナが十三歳から十五歳、つまりいまから六年後から八年後の出来事だったと計算する。
貴族裁判にかけられるまで早くて一年程の期間が要するから、ルシアナが何をしなくても、バルシファルに協力しなかったとしても、七年以内にはモーズ侯爵の罪はすべて明るみになり、捕まり、そして――いずれ処刑される。アネッタと共に。
「……アネッタ様、マリアンヌというのは、誰ですか? 先ほど姉さまと仰いましたが」
「マリアンヌ姉さまは、お父様の実の娘、私にとっては従姉になります。会ったことはありませんが――」
「会ったことがないのに、わかるの?」
「お父様の家に、肖像画が飾られていたのを一度見せていただいたことがあります。その花のブローチを髪につけて、そのドレスを着ていました」
だから、アネッタは彼女がマリアンヌだと思った。
そして、恐らくはそれが正しいのだろう。
「何故、マリアンヌ姉さまがここに――」
アネッタの正しい答えはわからない。
だが、一つ、妙な気配をルシアナは感じていた。
恐らく、マリアンヌの魂は、今もこの部屋、この
何故、そんなことになっているのか?
そのヒントは、ここに来るまでの通路にあった。
「不老不死……死と再生……モーズ侯爵は、マリアンヌさんを生き返らせようとしているのかもしれませんね」
「お姉さまが生き返るのですかっ!?」
その問いに、ルシアナは首を横に振る。
その答えはわからない――だ。
死者が生き返ったと言われる伝承は数多あれども、それを確かめることはできないし、確かな方法も見つかっていない。
(あれ?)
人間が生き返るなんて事例は聞いたことがない。
ルシアナはそう思ったのだが、一人だけいたことを思い出す。
それは、ルシアナ自身である。
彼女は確かに、前世で一度死を体験し、気付けば時を遡っていた。
それは生き返ったと言えないことはない。
ただ、それを再現できるかと言われたら不可能である。
「ルシアナ様、どうなさったのですか?」
「いえ、死者を生き返らせる方法はありません。ただ、マリアンヌさんの魂を呪術で縛りつけ、苦しめているだけです」
ルシアナには見えていた。
骸の中でもがき、苦しむその姿を。
魂だけの状態なので、痛みというものはない。だが、魂を直接縛られる苦しみというものは、体を痛めつけられるより遥かに苦しいはずだ。
「今から、マリアンヌさんの魂を呼び起こした後、呪縛から解放し――」
その時、何が起こったのか、ルシアナはわからなかった。
突然、首に痛みが走ったかと思うと、彼女の身体は部屋の奥に飛ばされていた。
その時、体が回転し、直ぐに理由がわかった。
いつの間にか現れていたモーズ侯爵によって首を掴まれ、投げ飛ばされていたのだと。
そして、アネッタも振り返り、モーズ侯爵に気付く。
「……お父さ――キャっ」
モーズ侯爵は平手でアネッタの頬をはたき、倒れる彼女に向かって怒鳴りつける。
「マリアンヌに何をするっ!」
その視線はルシアナに向けられ、
「貴様か、ルシアナ嬢! 貴様がアネッタを唆し、ここに案内させたのか」
そう言われ、ルシアナは立ち上がる。
「ええ、そうです。モーズ侯爵、あなたのしたことは全てわかっています。レッドリザードマンを操り、海の民を襲わせたことも、その理由が香辛料の値上げによる利益だということも」
「香辛料の値上げだと? はっ、そんなの望んだ覚えはない」
「――え?」
ルシアナには、モーズ侯爵の言っていることが嘘とは思えなかった。
彼の目的は香辛料の値上げではないということになる。
それ以外に、海の民とトラリア王国を引き裂こうとする理由は一体?
大飢饉のときに援助の手を差し出さなかったオーシャ海洋国家への復讐? いや、最終的に手を差し伸べたトラリア王国に害を成しているのだし、
「ここを見られたからには、生かして返すことはできないな」
モーズ侯爵は、護身用として持っていたと思われる短剣を抜く。
「待ってください! ルシアナ様はヴォーカス公爵家のご息女です! 彼女の身に何かあったら当家の信用に関わります」
「アネッタは黙っていろ。貴様は私の言うことさえ聞いていればそれでいいのだ! それに、そうなったらそうなったで構わない。その時は領地共々あの方に捧げるまでのことだ」
「あの方――あの方とはどなたなのですかっ! もしかしたら、その方がお父様を唆し――」
「ええい、黙れと言っているだろっ!」
モーズ侯爵が怒鳴りつけ、ルシアナを見た。
そして、ゆっくりと彼女に近付いてくる。
何度目かの死の足音に、ルシアナは逃げようとするが、しかし、逃げられるような場所はどこにもない。
(助けて……ファル様……)
ルシアナが願ったとき、モーズ侯爵のナイフが突き出され――
「え?」
彼女の目の前で、アネッタが刺された。
「アネッタっ!」
「大丈夫ですか……ルシアナ様」
モーズ侯爵が短剣を放し、「アネッタ……お前、なんてことを――」とアネッタを責めるような、だが、自分のしでかしたことを悔いるような目で彼女を見下ろす。
「アネッタ、なんで――」
「……だって、お友達を守るのは当然じゃない……」
アネッタが吐血し、意識を失った。
「そんな……私はあなたを――」
ルシアナは涙を流す。
しかし、泣いている場合ではないと思った。
今ならまだ間に合うと。
何故なら、ルシアナも誓っていたのだ。
アネッタのことをは何をしても治すと。
(この傷、心臓にまで達している。ナイフを抜くのは危険――上級回復魔法でも治せる確率は一割未満。だったら――)
思い出す。
アーノルが賊に襲われたとき、上級回復魔法エクストラヒールを使ったときも、まだ魔力に余裕があった。ならば――できるはずだ。
成功どころか、試したこともない魔法。
どのような怪我人であっても、死者でない限り治療できると言われている特級回復魔法。
ルシアナの体内から魔力が溢れる。
そして、一度放出させた魔力を、再度体の中に取り込む。
外部からと内部から、両方の圧力により魔力を圧縮、凝縮させ、より高濃度の魔力を作り出す。
血の臭いがした。
どうやら、魔力が濃くなりすぎて血圧が上がり、鼻血が出たらしい。
これが鼻の血管でよかったとルシアナは思った。もしも重要な臓器や脳の血管が破れていたら、彼女は無事では済まなかっただろう。
そして、限界まで高まった魔力を彼女は一気に放出させた。
「フルヒールっ!」
眩い光が、アネッタを包み込む。
変化は直ぐには現れなかった。
だが、アネッタに刺さった短剣が僅かに動いたかと思うと、修復されている臓器や血管、皮膚に押し出されるように抜けていき、乾いた音とともに床に落ちた。
短剣や服に染み込んだはずの血も消えている。
フルヒールの修復効果により、純粋な血液のみ彼女の中に戻されていった。
「バカなっ! フルヒール――初代聖女にしか使えなかったと言われる伝説の回復魔法を、こんな娘がっ!」
狼狽するモーズ侯爵をよそに、ルシアナはアネッタに声をかける。
「アネッタ、大丈夫ですか! アネッタ!」
「……ルシアナ様――? あれ? 私は?」
「大丈夫です。アネッタ、もう大丈夫」
意識を取り戻したアネッタをルシアナは抱きしめるように言った。
そして、ルシアナはモーズ侯爵を見て言った。
「モーズ侯爵、あなたはこんな優しい子を殺そうとした。私だけなら絶対にあなたを許せはしない。でも、きっとアネッタはあなたを許してしまう。だから、もしもあなたがこの子の声を聴いて、それでもあなたが悪事をやめないというのであれば、私は何も見なかった、聞かなかったことにして、この場を去る。ヴォーカス公爵家のルシアナ・フォン・マクラスの名に於いて約束します」
「この子の話を聞いてだとっ!? アネッタが何を言おうと、私の意見は――」
「いいえ、アネッタではありません。私が言っているこの子とは――」
ルシアナはベッドの骸を見て、魔法を唱える。
すると、骸がアネッタに少し似ている、ルシアナと同じ年くらいの少女の姿になった。
「マリアンヌっ! これは一体っ!」
「それは、マリアンヌさんの霊体です。モーズ侯爵、どうか彼女の話を聞いてください」
モーズ侯爵は、マリアンヌに近付く。マリアンヌはモーズ侯爵に気付き手を伸ばす。
『……お父様』
「おぉ、マリアンヌ。どれだけ君に会いたかったことか――」
そう言ってモーズ侯爵はマリアンヌの手を握ろうとするが、その手を握る事はできない。
その身体はあくまで幽体。本物のマリアンヌの手は、骨となっていて動くことはなく、ベッドの上に置かれたままになっている。
生き返ったわけではない。
そのことをモーズ侯爵は理解していたが、しかし、再確認したことで、より悔しさが溢れる。
『お父様――お願いがあります』
「なんだ、言ってみろ。なんでも望みを叶える。マリアンヌ、君の幸せが私の唯一の望みなのだ」
『私を……解放してください』