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第35話

「ということで、トーマスさん。この素材を揃えてもらえないでしょうか?」

「どういうことって、何も説明をされていないのですが……えっと、ドーシの実に、シロミツ草の根。また随分と懐かしい物を」

「トーマスさんも知っているのですか?」

「ええ、別名、種の実に貧者の砂糖ですよね」


 ドーシの実は、非常に種が多く食べ辛い果実。しかも、食べられる実の部分が少ないため、市場に出回ることもほとんどない。

 シロミツ草は根の部分から砂糖を精製することができるのだが、これも非常に手間がかかるうえ、できる砂糖の色も黒く、僅かに苦みも含まれている。

 そのため、価格も低く、砂糖を買えない人が砂糖の代替品に使うことがある。


 ルシアナが作る質素なスコーンを作るためには、これらが必要であった。


「ドーシの実ならなんとかなりますが、シロミツ草は少し厄介ですね。既に精製済みの貧者の砂糖ではダメなのですか?」

「はい、自分で精製したいので。何故厄介なのですか? この時期なら近くの森に生えているではありませんか」

「詳しいですね、お嬢様。ですが、その近くの森に魔物が出まして――」

「トーマスさんにも倒せない魔物なのですか?」

「ゴーストです」

「え、それって低級の不死生物アンデッドではありませんか。何の問題が?」


 ゴーストと言っても、その大半は狩りで殺された動物や魔物などの人に恨みを持つ霊の集合体である。

 と言っても、できることはせいぜい驚かしたりする程度。

 浄化魔法を使えば一発で成仏してしまう。

 何故、問題があるのかがわからない。


「それが、数が非常に多いそうなのです。それと、現在、司教様が多くの神官を伴い、西の砦に慰問に行かれていますので」

「西の砦に? 何かあったのですか?」

「流行り病のようです」


 それを聞いたルシアナは、そんなことがあっただろうか? と不思議に思った。

 前世の彼女はこの時、シャルド殿下のことしか考えておらず、町の噂話は耳にしていてもほとんど意識していなかった。

 そんな前世のルシアナがシャルド殿下に会えなかったのに、シャルド殿下のことをほとんど忘れていたらこうして会えてしまうことに、現世のルシアナやはり皮肉を感じてしまう。


「わかりました。では、ドーシの実だけで結構です。それと、トーマスさん、もう一つお願いがあります」

「なんですか、お嬢様」

「そこを通してください」


 ルシアナは修道服を着たまま、笑顔で言った。

 トーマスは笑顔で首を横に振った。


「今日は侍従長より、絶対にお嬢様を外に出さないようにと言われています。昨日、勝手に抜け出そうとした罰だそうです」

「これでどうでしょうか?」


 ルシアナは金貨一枚を取りだす。

 修道服を着ている七歳の少女が金貨をちらつかせるというシュールな光景に、トーマスは眩暈がした。


「いきなり買収に走らないで下さい。どこの貴族令嬢ですか」

「公爵家の貴族令嬢です。おかしいですね、以前のトーマスさんならお金を渡したらある程度の我儘を聞いてくれたのですが」

「そんな記憶はないです」


 トーマスは直ぐに否定をした。

 彼にその記憶がないのは当然のことで、それは前世の話だった。

 シャルド殿下から連絡が来ないのは、シャルド殿下との婚約に嫉妬する何者かが、ルシアナからの手紙をシャルド殿下に届けずに握りつぶしているに違いない。

 そんなバカな妄執に囚われたルシアナは、手紙を誰か別の人に届けてもらおうとした。

 そこで白羽の矢が立ったのが、トーマスだった。

 元冒険者であることから、貴族との関わりも薄い彼なら大丈夫だろうと思った。

 だが、本来、貴族から王家への手紙というのものを届ける伝達人は決められている。

 当然、トーマスもそのことを知っていたので断ったのだが、ルシアナが金貨を渡して命令した。

 結局、トーマスはその金貨とともに手紙を受け取った。

 それが何度か続き、それでもやっぱりシャルド殿下から返事が来ないので、トーマスに頼むのを止め、別の人間に同じことを繰り返すことになった。

 ちなみに、それらの手紙は、結局伝達人に渡され、公爵家からの手紙としてシャルド殿下にしっかり届けられていた。

 そんな前世の出来事など知るはずもないトーマスは、さらにルシアナに注意する。


「そもそも、お嬢様。そのお金は公爵家のお金でしょう? それを賄賂のように使うのはいかがなものかと思います」

「いえ、これは私がポーションを作って稼いだお金です。ルーク様より先日いただいたお給金なんです」

「……失礼しました」


 ポーションの代金は、最初、トーマスが預かっていたので、かなりの額になることも知っていた。

 それを知っているから、トーマスは単に「お嬢様の我儘」で片付けることができずにいた。

 それと、アーノルもルシアナの外出に、護衛を伴って、変装している状態での外出なら問題ないと許可を出しているのも断りにくい要因の一つだ。


 そして、ルシアナは最後にこう言う。


「お願いします、トーマスさんしか頼れる人がいないんです。危ないことはしませんから」


 金貨一枚よりも、こう真摯に頼まれたらトーマスは断れない。

 トーマスは結局折れたのだった。


 そして、いつものように二人は王都の冒険者ギルドに向かう。

 最近は二人で並んで歩くことはなく、トーマスが少し離れたところから見守っていることが多い。


 そして、いつも通り冒険者ギルドにたどり着く。

 あとは、バルシファルがいたら一緒に食事と会話を楽しみ、いなければポーション作りを行う。

 それだけのはずだった。


 ルシアナが冒険者ギルドに入った。

 その時だった。


「シアちゃん! 近くの森でゴーストが出て困ってるのっ! お願い、討伐依頼を受けて!」


 ルシアナが建物内にバルシファルがいるかどうか確かめるより先に、エリーがルシアナを見つけ、カウンターを乗り越えて走ってきて、その手を掴む。


「エリーさん、落ち着いてください。私は冒険者じゃありませんし」


 と、ルシアナは肩越しに、建物の外――少し離れた場所にいるトーマスを見た。

 先ほど、危ないことはしないと誓ったばかりなのだ。

 トーマスは何も言わず、ルシアナを見ている。

 それは無言の圧力のように感じる。


「エリーさん、ごめんなさい。危ないことをしたらダメだって――」

「大丈夫、優秀な護衛を付けるから危なくない危なくない」

「それに、遠くにも行くなって――」

「前に薬草採取に行った丘より近いから大丈夫!」

「……うっ、それなら……いえ、やっぱり行けません」


 ルシアナははっきりと断った。

 ここでしっかり断らないと、トーマスに申し訳が立たない。

 そう思ってのことだったのだが、エリーがルシアナの手を握ったまま、うるうるとした瞳で言う。


「お願いします、もうシアちゃんしか頼れる人はいないの」

「…………詳しい話だけ、聞かせてください」


 いろいろな条件より、こうも真摯に頼まれたらルシアナは断れない。

 ルシアナは結局折れたのだった。


 背後に控えるトーマスの深いため息の音がルシアナの耳にまで届いた気がした。

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