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第47話

 その日の昼前、ようやく、西の砦が見えてきた。

 普通の馬なら三日、早馬だと急げば一日で到着する距離であったが、トラリア王国王太子のシャルドとヴォーカス公爵令嬢のルシアナを乗せているため、検問等は全て素通りできたが、最短ルートであるが危険の多い峠道での移動ができず、また様々な町に訪問するたびにおもてなしをされて時間がかかってしまい、結局五日かかってしまった。

 その五日間、結局ルシアナは一度もシャルドに会えなかった。


 西の砦は、周囲を水堀に囲まれていた要塞で、中にはトラリア王国の兵と関係者、約千八百人が常駐しており、西の防衛の最大の要の一つである。

 緊急時以外にあげられることのない跳ね橋の上を通り、検問所をまたもほぼ素通りで通過、夜間以外は開いている扉を潜り、西の砦の中へと入った。


 ルシアナが、先に降りたマリアの手を借りて馬車から降りたとき、ちょうどシャルドも馬車から降りるところだった。

 この旅で初めてまともにシャルドの顔を見たなと、ルシアナは思った。


「殿下、ようこそ西の砦へ! 我ら第十七騎士団一同、殿下の到着を心待ちにしておりました」


 そう言って、集まっていた騎士及び兵たちが一斉に敬礼する。

 その一糸乱れぬ動きに、ルシアナは感動と、そして恐怖すら感じた。

 ルシアナも公爵令嬢として、それなりどころか最大限のもてなしを受けることはあるが、しかし、ここまでの光景を見たのは初めてのことであった。

 だが、シャルドはというと、


「皆の者、出迎え、感謝する。要らぬ手間を掛けさせたようで悪いな」


 と、さも当然のように受け答えている。


(凄い……普段は不愛想ですけど、こういうところは本当に王族なんですね)


 ルシアナのシャルドへの評価が少し上がった。

 そして、シャルドはルシアナの方を見て、


「彼女はルシアナ・マクラス。ヴォーカス公爵令嬢で、俺の婚約者でもある。客人として丁重に扱ってほしい」


 そう言うと、またも騎士たちが敬礼をし、さらにルシアナにも同じように敬礼する。

 またも圧倒されたルシアナであった。

 すると、そこに一人の神官が近付いてくる。

 前世で何度か見たことがある。

 王都にいる四人の司教の一人、モラバ司教だ。

 西の砦に慰問に来ていると聞いていたが、まだここにいたのかとルシアナは思った。


「遠路はるばる、ご苦労様です、殿下。寝室の用意は既にできております。水が不足しているため、湯浴みの用意はできませんが、まずは部屋でごゆるりと旅の疲れをお取りください」

「モラバ司教――教会の中心人物である其方がこちらに来ていることは聞いていた。王室の一員として感謝申し上げる。だが、俺は物見遊山で訪れたわけではない。視察と慰問のために来た。まず、この砦の状況を教えていただきたい」

「……はぁ」


 モラバは、一度そう息を吐くと、隣にいた四十歳くらいの騎士が敬礼して言った。


「殿下、砦の状況は私から説明させていただきたく――」

「其方は? ここの砦の責任者はジーク将軍だったはずだが?」

「十七騎士団副団長を務めているアークと申します。将軍は現在、闘病のため床に伏しています。殿下の前に姿を現すことができないご無礼をお許しください」

「構わん、話せ」

「はっ」


 そう言って、アークは説明を始めようとして――


「待て、アーク」


 シャルドがアークを止めて、隣を見た。


「……何をしているのだ、ルシアナ嬢」

「私も興味がありますから」


 遠くからだと大事な話を聞き逃すかもしれないと、ルシアナはしれっとシャルドの横に立っていた。


「……そうか」


 シャルドは少しやりにくそうにしながらも、ぶっきらぼうな口調で頷く。

 そして、アークからの説明が始まった。

 まず、この砦で病の兆候が出たのは、五十日ほど前のことだったらしい。数人の騎士が腹痛を訴えたそうだ。その時は原因がわからなかったが、それから同じ症状の人間が次々に現れ、病が広まっているとわかったらしい。

 教会から派遣された神官、修道女によって病気の症状を抑えることはできるが、それでも完治まで長い時間が必要だった。

 そして、病にかかる者とかからない者がいたことから、病の原因が、水と病人の吐しゃ物によることが判明。

 三十日前から水の使用を禁止し、病気の発症していない土地から水を送ってもらうことになったそうだ。

 モラバ司教が訪れたのはちょうどその頃だったらしい。

 それから、徐々に病人の数は減ってきているそうだ。


「こちらが食糧庫になります。現在、飲み水の大半は、王都から運ばれて来た麦酒や葡萄酒と被害の出ていない少し離れた村の水源地から運んできた水で賄っています」


 倉庫には冒険者ギルドから運ばれて来た箱も積まれていた。

 それらを見て、ルシアナは少し不思議なことに気付いたが、アークが次の場所へと案内し始めたので、質問をするのは後回しにした。


 その後、西の砦の防衛体制についての説明や武器や矢の数、予算に関する話が進んだ。

 予算の辺りは、額の桁が凄すぎて、ほとんど理解できなかったが、シャルドは頷き、時には質問し、皇太子としての責務を果たしているように見えた。

 そして――


「こちらは鍛錬室、その隣は仮眠室になりますが、現在はどちらも病床として男女に分けて利用しており。比較的数の少ない女性は仮眠室を使っています」

「そうか、中に案内してくれ」

「殿下――中にいる者の多くは病人です。普通に会話するだけで感染するものではありませんが、万が一のことを考えると――」

「言っただろ、俺の目的は視察と慰問だと。病と闘う者たちの顔を見ずに帰ったとなれば、それこそ物見遊山でもしてきたのかと陛下に言われることだろう」

「わかりました。どうぞこちらへ――」


 アークがそう言って鍛錬室の扉を開けた。

 そこには、多くの男たちが横になっていた。

 ベッドの数が足りないのだろう、ほとんどの男は床で寝ている。

 病状は嘔吐と腹痛だけだと聞いていたが、合併症が発症しているのか、熱に浮かされて呻いている者もいた。

 神官や修道女たちが付き添うように治療をしているが、その苦しみに全員が今にも死にそうな顔をしている。

 ただ、幸い、多くの者は峠は越えている。

 これだけの神官や修道女が傍にいて、診療を続ければ、あと一週間ほどで多くの者は動けるようになるだろう。

 神官たちの手際もいいから、病床独特の悪臭もほとんど感じない。


「殿下、どうしてこちらへ」


 ベッドで寝ていた五十歳くらいの男がシャルドに気付いて言った。

 男の雰囲気やベッドの大きさから、恐らく彼がこの砦の責任者であるジークなのだろうと思った。

 その声に気付き、病床に伏していた男たちが「……殿下」「あのお方が」「シャルド殿下がどうして」と全員、上半身を起こし、中には老骨ならぬ病体に鞭打って立ち上がろうとする者も現れた。


(あんなに無理して、逆に病気が悪化するのではないでしょうか?)


 もしそうなら、慰問に来たのも逆効果ということになる。

 ここの兵たちが安心して休めるように、早くここから出るように促そう。

 そう思ったときだった。


「私の名前はシャルド・トラリア。陛下、グリフォ・トラリアの代理でここに来た。陛下からの言葉を一言一句違えず、其方らに伝えるためだ」


 そして、シャルドは手を振り上げて言った。

 ルシアナは思った。

 西のファンバルド王国とは停戦状態になって久しい。

 ルシアナの記憶では、西の砦付近では小さな内乱はあったが、少なくとも彼女が死ぬまで再戦になることはなかった。

 きっと、『戦争がない今の内にしっかり休養に努めるように』とかそういう陛下からの優しい言葉を頂けるのだろうと。

 だが――


「『いつまで病などに苦戦しているのだ、愚か者!』」


 その言葉が訓練場全体に広がった。


「『其方たちは我が国の西の防備の要と言われていることは知っているであろう。そんな其方たちが、病如きに屈してなんとなる! 我らの敵は病だけではない。西のファンバルド王国とは停戦をしているが、しかしいつ攻めてくるかわからない状況なのだ! そのために、一兵たりとも失うことは許さぬ。全員、全力で病を打ち倒せ!』」


 その言葉に、場は静まり返った。

 ルシアナも何も言えない。


(えぇぇぇぇぇ……)


 優しいどころか、厳しすぎる気がするとルシアナは思った。

 病気がいかに恐ろしいかをよく知っているルシアナからしたら、信じられない言葉である。

 だが、突然、兵たちは涙を流し、呟くように言う。


「陛下が……俺たちのことをそんな風に思っていてくださったなんて」

「この国を守る、この国の要だって知っていて下さったとは」

「……こんな病気に負けてられないな」

「ああ、一人たりとも死んでたまるかよ」


 先ほどまで死にそうな顔をしていた男たちに生気が戻った気がした。

 王家の言葉とは――殿下と、陛下の言葉は、ここまで民に力を与えるものなのかと、ルシアナは改めて思った。


「さすがは陛下です」


 アークも感動しているようだった。

 そのアークに、ルシアナは尋ねた。


「アーク様、質問をしてよろしいでしょうか?」

「なんでしょうか、ヴォーカス公爵令嬢」

「仮眠室でも神官と修道女たちが治療を行われているのでしょうか?」

「はい。あちらは女性専用ですので、主に修道女が――」

「何名ほどですか?」

「ここより少ないので、十名ほどかと」

「神官様と修道女様はそれで全員ですか?」

「いえ、神官様と修道女様も回復魔法には力を使われますからね。二組に分かれ、交代で診療を行っています」


 二組に分かれていると言われ、ルシアナは俯き、目を閉じた。

 そして、ある計算を終えて、ルシアナは一番大事な質問をアークにする。

 すると、アークは首を横に振り、言ったのだった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 訓練室から出たシャルドに、アークが声を掛ける。


「殿下、食事の準備ができています。砦の料理人が腕を振るった自慢の料理です。是非、召し上がってください」

「ああ、物資が心許ない中、感謝する」

「ヴォーカス公爵令嬢も、是非」


 アークが笑顔でルシアナにそう勧めるが、彼女は首を横に振った。


「いいえ、病人がいる場所で安心して食事はできません。慰問も終わりましたし、私は先に帰らせていただきますね」

「何を言っている、ルシアナ――」

「それと、持ってきた葡萄酒と飲用水ですが、砦には十分な量を用意しているようなので、こちらも持って帰らせていただきますね」

「待て! どういうつもりだ」


 シャルドがルシアナの肩を掴もうとする。

 だが、ルシアナはそれを避けるようにして振り返ると、


「それでは、殿下、ごきげんよう」


 と優雅に挨拶し、そしてマリアとともに砦を去ったのだった。

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