「ふぅ、ようやく荷下ろし終わったが……腰が……」
ルシアナの荷物は少なかったが、後ろに続いていた公爵家からの支援品の荷下ろしを王家の人間だけに任せるわけにはいかなかったため、こちらもトーマスは手伝っていたのだが、齢五十の身体の彼にとっては過酷な仕事であった。
ルシアナが砦に逗留している間、ベッドで寝た切りを覚悟した、その時だった。
何故か、シャルドと一緒にいるはずのルシアナが現れた。
「トーマスさん、腰を痛めたのですか?」
「お嬢様、いえ、このくらい大丈夫」
「キュアヒーリング」
ルシアナが魔法を唱えると、トーマスの腰から一瞬にして痛みが消え、さらには疲れまで吹き飛んだ。
体力と怪我、双方を治す回復魔法により、トーマスの身体は荷下ろしを始めるよりもさらに体調がよくなった。
「ありがとうございます、お嬢様!」
「それでは、トーマスさん。早速で申し訳ないのですが、下ろした荷物を積み直してください」
「はい、もちろんですとも。お嬢様のためなら…………え?」
トーマスの顔が青ざめた。
ルシアナとマリアも手伝いたかったのだが、七歳の身体では難しく、全てトーマスに任せることになった。
「どういうつもりだ……ですか、ルシアナ……様」
「カールさん……シャルド殿下に言われてきたのですか?」
カールが息を切らして現れた。
(部屋で休んでいるところを慌てて来たのでしょうね)
着衣も乱れているし、マスクの結びも緩そうだとルシアナはカールを見て思った。何故、そうまでマスクにこだわるのかはわからないが。
「シャルド殿下にお伝えした通りです。病床が思ったより見るに堪えないものだったし、周囲が水に囲まれているせいか黴臭いですし、ベッドもたぶん臭そうですし、こんなところで一晩過ごすくらいなら、昨晩泊まった宿場町で泊ったほうが百倍マシですわ」
「なら、何故荷を持って帰る。それは公爵家からこの砦への補給品だろう」
「私がこの砦にこれ以上の補給は必要ないと思ったからです。病床の様子を見る限り、あと一週間もすれば全員治るでしょう。砦の備蓄は殿下が持って来た分も含めて十分あります。ヴォーカス公爵家は必要のない補給を行うようなことはしたくありません。これでしたら、その辺の町にでも捨てた方が遥かにマシですわ」
「それがルシアナ様の……貴様の本心か……」
「ええ、あなたにも伝えたはずです。私は我儘で自分勝手で悪い貴族令嬢なんです」
そう言って扇子で顔を隠し、蔑むような目でカールを見つめる。
「……わかった」
カールはそう言うと、ルシアナに背を向けて砦の中に戻っていく。
そんなカールを見て、マリアがルシアナに声をかけた。
「よろしかったのですか?」
「ええ、カールさんを巻き込むわけにはいきませんから。マリアこそごめんなさい。あなたは私について来てもらいます」
「はい、私はお嬢様を信じていますから。でも、理由くらいは教えていただきたいです。何があったんですか?」
「気になったのはギルドからの補給品でした」
食糧庫に置かれているギルドからの補給品は、輸送する冒険者が持ち逃げしないように、箱に数字が記載されていた。
倉庫にあった箱は、一七六から二七〇の約百箱。
一つも欠けることなく順番に並んでいた。
「それが何か問題が?」
「王都に救援を求めたのは三十日前。つまり、早くてもこの砦に王都のギルドから支援物資が届けられたのは二十七日前ということになります。そこから、砦で一日何箱消費しているかわかりますか?」
「え? ええと……」
マリアが指で数える。貴族として最低限の計算は学習してきたが、この年齢では足し算くらいしかできていない。
「砦には、一日約十箱の支援品が届けられ、そしてそのうち約六箱が消費されている計算になります」
「さすがお嬢様です。でも、それの何か問題でも?」
「そうですね、砦としては問題ありません。近くの村から水の補給もしていると言っていますし、教会や他の場所からの支援物資もあります。わざわざ全て消費する必要はありません。次に、修道女と神官の数です。ルークさん……冒険者ギルドのギルド長から前もって聞いていたのですが、王都から派遣されている神官と修道女の数は約七十人です」
「ええと……訓練所には二十人ちょっと、仮眠室には十人ちょっとで、二交代制って仰ってましたよね?」
「マリア、よく覚えていますね」
「お嬢様が質問なさったことですから。ええと――はい、だいたい七十人になります。問題ありません」
「いいえ、問題なんです」
ルシアナは言い切った。
「思い出してみてください、アーク様は、水を『被害の出ていない少し離れた村の水源地から水を運んできた』と仰っています。わざわざ『被害の出ていない』と言うからには、この周辺には、被害の出ている村や町があるということになります。そして、アーク様から聞いたのです。『支援物資を他の町や村に届けているのですか?』と。そうしたら、アーク様は首を横に振り、『この砦が陥落するようになったら、近隣の町や村も敵国に飲み込まれてしまう。まずはこの砦の状況を改善し、その後、支援に回ります』と」
「それって、つまり――」
「近隣の町には、神官も修道女も、そして支援物資さえ届いていないことになります」
「――っ! では、お嬢様はこれらを」
「はい、近隣の町に届ける予定です」
「殿下に何故そのことを言わないのですかっ!」
マリアが憤るように言った。
「私が今すぐ言って――」
「ダメです、マリア。現在、砦と殿下の関係はとても良好。陛下の言葉で、兵たちも快方に向かっています。そんな中、殿下が砦の余剰分の物資を近隣の町に届けるように命令を出しでもすれば、せっかくの関係が崩壊してしまいます」
「でも、このままではお嬢様が悪者扱いじゃないですか」
「陰で悪口を言われるのは、慣れていますから」
もっとも、あの時の自分は、そんな陰口でさえ、殿下との婚約に対する嫉妬によるものだと、鼻で笑っていたが。
でも、今回は違う。
どれだけ悪く言われようと、町の人を見捨ててはいけない。
前世で、西の砦付近で小さな反乱があり、瞬く間に鎮圧されたと聞いたことがある。
それがどの町だったのか、何がきっかけだったのかは知らない。興味がなかったから。
でも、この事件がきっかけだったとするのなら、絶対に内乱なんてさせてはいけないと、ルシアナは心から思ったのだった。
「お嬢様、荷物を積み終わりました」
「ありがとうございます。では、私たちも荷台に座ったら、北の町に出発してください」
「そんな、お嬢様を荷台になんて――」
「大丈夫です、荷台に乗っているのは公爵令嬢のルシアナではありません」
ルシアナは鞄から修道服を取りだしてニコリと笑う。
「これから、中にいるのは旅の修道女のシアです。そこのところ、よろしくお願いします」