トーマスが荷物を積み終えるとやはり腰を痛めてしまったが、ルシアナの回復魔法によってふたたび治療。
そして、荷車で移動が始まった。
荷台には当然、ルシアナとマリアがゆっくり休めるようなスペースはないが、なんとか荷物の隙間を見つけて、そこで修道服に着替えをする。
「お嬢様、狭いですが大丈夫ですか?」
「快適とは言いませんが、辛くはないです。マリアも平気ですか?」
「はい、ステラ侍従長のしごきに比べたらなんてことないです」
マリアも随分と逞しくなったものだと、ルシアナは感動する。
メイド服のままではやはり目立つので、マリアも普段着に着替え始めた。
ルシアナは既に修道服に着替え終わり、最後に髪の色を変える魔道具を首からぶら下げて魔力を流し、灰色の髪へと変えた。
馬車が進むこと三十分。
街が見えてきた。
「西の砦から近いんですね」
ルシアナがそう言うと、御者席にいたトーマスが説明をする。
「街が近くにないと、砦の物資が不足したときに物資が届けられないからでしょう。もっとも、砦の方は街に物資を届けるつもりはさらさらないようですが」
「砦の方たちは、自分たちがあの街を含め、王国全体を守っているのです。物資に余裕があるといっても、限度はありますし、何より、彼らは井戸の水を飲めないとわかってから数日間、酷い水不足に陥っています。物資の不足を経験した人間には、物資の余裕が心の余裕にもなり、逆もまたしかりです」
決して、砦の人間を愚かだと言うことはできない。
むしろ、国全体を考えれば、彼らがしていることは正しいと言える。
「お嬢様――いえ、シアさん。間もなく街に入ります」
「では、これを、門で見せてください」
ルシアナは鞄の中から、一通の書状を取りだして、御者席にいるトーマスに渡した。
「これはなんですか?」
「冒険者ギルドからの書状です。これらの物資は、全て冒険者ギルドから供給されていると偽造できます」
「別に、公爵家からの指示でもよいのでは?」
「ここは陛下の直轄地ですが、北のガラフ伯爵に新たに割譲される可能性があります。そうなったとき、ガラフ伯爵家から何も支援が無いのに、ヴォーカス公爵家からのみ支援があったとなれば、伯爵も今後の統治に支障が出る可能性もありますから」
「なるほど……しかし、よくこのような書状を用意できましたね。実際に使われるかどうかもわかっていなかったでしょうし」
「そこは、ある程度貸しを作っている冒険者ギルド長がいますので」
ルシアナはニコリと微笑んだ。
ゴーストの発生源となった縦穴の浄化作業の後、ルシアナはこの書状の作成を依頼した。
ルシアナはその時のやり取りを思い出す。
『いやいや、シアくん。理由を聞かずに冒険者ギルドから支援物資を送る書状を用意してくれって、流石にそれは難しいよ。今は女性職員もいないから時間もないし――』
『何故ですか? 悪用できるものではありませんし』
『冒険者ギルドの名前を使って、毒入りの物資を届けることだってできるだろ?』
『そんなことはしません』
『シアくんのことは信用しているつもりだけど、やはり規則がね――』
『私、いろいろと手伝いましたよね? ポーション作り、ゴースト退治に浄化作業。なのに、ルークさんは私のちょっとしたお願いを聞いてくれないんですか?』
『いや、ちょっとしたって』
『ルークさんだって、西の砦の近くの町の人が困っていたら助けたいって思うでしょ? 物資の方は私の伝手で手配しますから、ルークさんは名前だけ貸してくれたらいいんです』
『名前を貸すのって、かなり勇気がいるんだけど……』
『お願いします、ルークさん……じゃないと――』
『じゃないと?』
『えへっ』
という感じのものだった。
後日、その書状を取りに行ったとき、ルークは少しやつれていた気がした。各方面への根回しに、かなり苦労したと思われる。
街に近付くと、少し疲れた感じの門番が出迎えた。
「この町にはどのような要件で?」
「冒険者ギルドから支援物資の配達です。こちら、冒険者ギルドからの書状です」
「本当ですか? 書類を拝見させていただきます」
門番の男は顔を輝かせてその書類を確認する。
「なんと――これは非常に助かります。きっと街の者も喜ぶことでしょう。冒険者ギルドはここを真っすぐ行って、右手に見える赤い屋根の建物です。剣と盾の大きな看板があるから、直ぐにわかると思います」
「ありがとうございます」
トーマスは礼を言って、門を通過した。
そして、街の中に入った。
ルシアナとマリアは馬車の荷台の後ろに移動し、通り過ぎていく風景を眺めた。
「病が流行っていると聞いていたのですが、見たところ、普通の町ですね、お嬢様」
乳飲み子を抱いた母親に連れられている小さな子供が、馬車に乗っている二人を見つけて手を振っていたので、手を振り返しながらマリアが言った。
「昼の大通りだというのに歩く人が少ないです。それに、開いている店も少ないです」
「あ、確かに言われてみれば。そうしてみると、街を歩いている人も心なしか元気がないですね。さっきのお母さんとか」
「ええ……」
ルシアナは頷く。
まだ、町は最悪の状況にはなっていないが、しかしその一歩手前といったところだろうとルシアナは推測した。
馬車は大通りを進み、そして止まった。
「二人とも着きましたよ。荷物を下ろしますから、一度馬車から降りてください」
トーマスの言葉に従い、ルシアナとマリアは馬車から降りた。
すると、冒険者ギルドの中から、一人の煙管を持ったお婆さんが出てきた。
「なんだい、騒がしいね……おや、あんた、もしかしてトーマスかい?」
お婆さんはトーマスの顔を見るなり、そう言った。
「げっ、エグニさん。なんでここに」
「そりゃ、あたしがここのギルド長だからさ」
そう言って、エグニと呼ばれたお婆さんは笑って言った。
「トーマスさん、知り合いなんですか?」
「ええ、俺が冒険者になったとき、最初に受付してたんが、このエグニさんだったんだ。まだ十歳の頃だったかな」
「ああ、そうだね。あの小便垂れの小僧が、いつの間にかおっさんになったもんだよ」
「はっ、それを言うならエグニさんこそ、すっかり婆さん――ぐぇ」
エグニの煙管がトーマスの頬に直撃した。
口は災いの元である。
「それで、これはなんだい?」
「王都の冒険者ギルドからの支援物資だよ。これ、手紙」
「ん? あぁ、ルークの坊やからか? ん? なるほど、ルークの坊やが書いた書状には間違いないけれど、内容は出鱈目だね。一体、これはどこからの支援物資なんだい?」
エグニは一瞬で書状の内容の不自然な点に気付き、トーマスを睨みつけるように言った。
「えっと、それは……」
トーマスが何と説明していいかわからず口を噤むと、エグニは「やれやれ」と息を漏らす。
「ルークの坊やが用意した書状なら、悪いもんじゃないだろ。ありがたく受け取っておくよ」
「助かるよ、エグニさん」
「助けられたのはこちらの方さ。渡りに船なのは間違いないからね」
そう言って、エグニは書状に受け取りのサインをし、そのうち一枚をトーマスに預ける。
「この町の状況はそれほど悪いのですか?」
ルシアナが尋ねた。
「なんだい、この子は」
「俺の親戚の修道女で、シアちゃんと、マリアちゃん」
「へぇ、トーマスにこんな可愛い親戚がいたなんてね」
値踏みをするような目でトーマスを見るエグニだったが、
「この町の状況かい? まぁ、物資を届けに来たんだ、嬢ちゃんも事情は理解しているんだろ。死者十七人。重症者三百六十人。全体の病人は数えきれないね。薬もなければ修道女も医者も足りない。届けられる物資も雀の涙。本当に酷い状況だよ。幸い、病気の原因がわかったからね。水の方は雨水と冒険者に依頼して近くの村まで汲みに行かせているから、これ以上の病人は増えないと思うが、これから何人死んでいくか……物資を送ってもらっておいてなんだが、あんたたちも早いところこの街を出た方がいいよ」
エグニの言葉に、ルシアナは考える。
自分の力を使えば、多くの人を助けることができるのではないか?
そう思ったときだ。
「ん? これは……ルークの坊やからあんたにだね」
「え? ルークさんから?」
エグニに渡した書状の中に、何故かシア宛ての封筒が入っていた。
何だろうと思いながら、封筒の中を見ると、入っていたのは一枚のカードだった。
冒険者であることを示す冒険者カード。
そこには、シアの名前が書かれていて、さらに一文が添えられていた。
【この者の修道女としての回復魔法の実力を、冒険者ギルド長ルーク・アドヴァンの名に於いて証明する】
(ルークさん……忙しいって言ってたのに、七歳の女の子の冒険者カードを勝手に作る方が、よほど大変なはずじゃ)
直接ルシアナに渡さなかったのは、何事もなかったら、そのままルークが回収するため。
そして、一度ルシアナの手に渡らせたのは、彼女自身に判断させるため。
自分の力で、この街の人を救うか、それとも救わないか。
(本当に私をこき使って、でも優しい人……)
そして、ルシアナの答えは、もう決まっていた。