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第51話

 バルシファルは調査のため、暫く王都を留守にすると言っていた。

 そして、彼はその直前、西の砦に支援物資を届ける仕事をしていた。

 つまり、その時に何らかの異変を感じ、この街の近くを流れる川の上流を調査しようと思ったとしても不思議ではない。いや、むしろ辻褄が合う。


「ファル様が、この街に! 主よ、私を導いて下さったこと、感謝します」


 ルシアナは瞳をキラキラ輝かせ、神に祈りを捧げる。

 魔力があふれ出し、周囲に光の球が浮かび上がった。


「長いこと神官をやってるが、祈りでこれだけの魔力を放出される修道女を初めて見たぞ」

「嬢ちゃん、魔力が漏れてる! 無駄遣いするんじゃないよ!」

「あ、ごめんなさい」


 エグニに怒られ、ルシアナは祈りを止めた。

 光の球が消えていく。


「なんだい、嬢ちゃん。あの坊やの知り合いなのかい?」

「はい。王都では大変お世話になりました」


 早くバルシファルに会いたいという思いで、ルシアナのやる気は最大限に高まった。

 急いで全員の治療を終えて、バルシファルと合流したい。


「ピピン様、休んでいる暇はありません! 他の病人の治療を行います!」

「シアの嬢ちゃん、急ぐのは構わんが、とても一日で終わる数じゃないぞ!」

「やれやれ、あたしは嬢ちゃんのために、魔力を回復させる薬でも持ってくるかね」


 こうして、診療院の治療を終えたルシアナは、ピピンとともに他の診療院や自宅で闘病中の患者の治療を行うのだった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 シャルドは西の砦の一番豪華な客間でため息をついた。

 頭に靄がかかっているかのような感覚の中、考えているのはルシアナのことだった。


 最初に彼女に出会ったのは、茂みの裏だった。

 変な女だと思った。

 何故、そんな場所に隠れているのか、結局最後まで理解できなかった。

 そのせいだろうか?

 自分が理解できない彼女のことを、彼は特別な女性だと感じるようになっていた。

 だからこそ、彼はショックだった。

 病人がいるような場所で寝る事ができない、支援物資も必要ないだろうから持って帰るなどと我儘を言って帰った彼女に幻滅した。

 シャルドは、ルシアナに手の肉刺を回復魔法で治してもらったとき、もしかしたら、彼女が天使なのではないかと心のどこかで思っていた。

 あの時の優しい彼女の笑顔、シャルドの手を握ったときの彼女の手の柔らかさ、それは、天使に回復魔法を掛けられ、頭を撫でられたときに似ていたからだ。

 だが、違ったと、シャルドは思った。

 仮にルシアナと天使が同一人物であったとしても、ここで病気の兵をまるで汚物のように扱い、去っていく彼女は、シャルドの思い描いた天使とは全然違う。


「勝手に理想を抱いた結果がこれか……」


 シャルドはそう言ってベッドの上に横になった。

 無骨な石の天井が今にも落ちてくるのではないかという錯覚に陥る。

 このまま、自分の心と同じように体が押しつぶされてしまうのではないかと。


「殿下、失礼します」

「なんだ、レジー。ノックも無しに」

「何度もノックしましたが、気付いていなかったのですか?」

「……全然気付かなかった」


 そう言って、シャルドは上半身を起こす。


「上着に皺がついていますね」

「放っておけ」

「そうは参りません。殿下、上着を脱いでください。魔法で整えます」


 そう言って、レジーは水と火の魔法を使い鉄の板で服の皺を延ばす。

 その作業をしながら、レジーは尋ねた。


「ヴォーカス公爵令嬢のことですか?」

「どうでもいい、あんな女」

「そうはまいりません。彼女は殿下の婚約者ですし、貴族と王家の繋がりをより強固なものにするためにも、親密な関係を築いてもらわなければなりません」

「わかってる。お互い、愛のないことは承知している。うまくやるさ」


 そう言って、シャルドはじっと、レジーの持つ鉄の板から上がる蒸気をじっと見つめていた。

 そんな彼を見ると、レジーは嘆息し、そして言った。


「ヴォーカス公爵令嬢は支援物資を馬車に積み込んだのち、最寄りの街に向かったようです」

「最寄りの街か。まぁ、病人がいるこの砦よりはさぞ快適なのだろうな」

「本当にそうお思いでしたら、私は殿下の側近兼教育係として落第点を突きつけなければなりませんね」


 レジーはそう辛辣な言葉をシャルドに投げ掛ける。


「どういうことだ?」

「最寄りの街の状況、そして、ヴォーカス公爵令嬢のあの不自然ともいえる行動の理由、本当におわかりにならないのですか?」


 そして、レジーは語った。

 ルシアナが何を思ってあんな行動に出たのかを。

 彼女の行動は、我儘などではなく、病で苦しんでいる街の人を助けるための演技だったと知る。

 それを聞いて、シャルドは己の愚かさを呪った。

 勝手に理想を抱き、勝手に幻滅し、何も考えようとしなかった。


「くそっ、俺はなんてことを……今すぐ彼女の助けに――」


 立ち上がるシャルドを、レジーが止める。


「お待ちください。ここで殿下が突然砦を去ったり、この砦の物資を持ち出したりすれば、せっかく持ち直した砦の騎士たちの士気の低下は免れません。それでは、ヴォーカス公爵令嬢がわざわざ悪役に徹した意味がなくなってしまいます」


 幸いなことに、ルシアナが支援物資を持ち帰ったことについて、砦の兵たちの間に僅かな動揺はあったが、致命的な物とはならなかった。

 むしろ、我儘な振る舞いをしたルシアナと比べることで、同じ年齢のシャルドの高潔さが際立ち、士気が高まったほどである。

 だが、ここでシャルドが砦の兵より、近隣の街に住む民を優先すれば、レジーの言う通り、兵たちの間で不満が出て、士気の低下に繋がる。


「殿下は何も知らなかったことにしてください。謝罪をなさりたいのであれば、王都に帰ってからお願いします」

「だが、それでは……いや、わかった」


 シャルドは理解した。

 今の自分にできることは、何もしないことなのだと。

 そして、それをルシアナが望んでいるのだと。


 王都に戻ったら、何をしてでも償おう。

 彼女が許しても、許さなくても、必ず。

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