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第60話

 ルシアナの危機を救ったのは、バルシファルだった。


「ファル様、どうしてここに――?」

「シアが攫われたって冒険者ギルドの依頼で見てね。急いで駆けつけたんだ。森の入り口に馬車が停まっていたからすぐにわかったよ」


 バルシファルはなんてことはないといった感じで、ルシアナの疑問に答えた。

 ルシアナが攫われたことで、少しは騒ぎになっているとは思っていたが、冒険者に依頼を出すような事態になっているとは思いもしなかった。事情を話して、誰かに無事を報せる手紙を届けさせればよかったと思ったが、そうなったらバルシファルは助けに来なかったので、結果的には助かったことになる。


「ところで、シア、あの魔物と、その灰色の犬が何か教えてもらえると助かるんだが」

「え?」


 見ると、ルシアナが乗っていた神獣の髪の色が、白色から灰色に変わっていた。

 いったいなぜ? と思ったところ、ルシアナの服の中に隠していた髪の色を変える魔道具が、さっき逃げ回ったとき大きく揺れたことで服の外に出ていたようだ。

 ルシアナは振り落とされないように神獣に抱き着いていたので、魔道具が触れて髪の色が変わったのだと思われる。

 幸い、紐は切れていないので、ルシアナの髪の色も変わったままだったが。


「えっと、この犬はいい子です! 悪いのはあの鬼だけです!」

「それだけ聞けたら十分だ」


 バルシファルはそう言うと、消えた。

 否、戦っていた。

 彼の速度は凄まじかった。


(凄い……強いとは思っていたけれど)


 森の民やキールと全然違う。

 そのあまりにも速い剣により、鬼の身体を切り刻んでいく。

 鬼が切り落とされた腕をくっつけるよりも前に、反対の腕を切り落とす。

 鬼の膝を踏み台にして駆けあがり、その喉元を切り刻む。


 そして、鬼を翻弄しながら、ルシアナを守るために鬼を引き離していく。


(金の貴公子様……)


 前世での出来事を思い出す。

 ルシアナが金の貴公子と呼ぶ、前世でルシアナを助けようとしていた冒険者は、成長したキールを一瞬にして倒した。

 キールの戦いを見ていたが彼は決して弱くない。

 前世の彼と今の彼でどれだけの実力差があるのかはわからないが、それでも、あの冒険者の実力はキールと違った。


 もしもバルシファルがその冒険者だというのなら、ルシアナも納得できる。


「また再生するかっ!」


 バルシファルの剣で斬っても鬼は再生を続ける。

 そこでルシアナは気付いた。

 バルシファルの剣は僅かに銀を含んでいるため、不死生物に対する力を持っているが、それでも弱いのだ。


「ファル様っ! 付与魔法をかけます! こっちに戻ってください!」

「必要ない。それより、シアは一番強力な破邪魔法の準備を!」


 彼はそう言うと、鬼の足の指だけを器用に切り落とした。

 鬼は前にいるバルシファルを叩き潰そうと力を入れたタイミングだったため、足の指を切り落とされた鬼はバランスを崩し、大きく前に倒れた。


 そして、バルシファルは背中に回り込み刺さっていたキールの剣を抜いた。

 鬼の足の指が回復し、起き上がると同時に飛びのく。


(キールさんの剣ならなら私の付与魔法がそのまま使える……でも、切れ味が――)


 さっきまでのバルシファルの攻撃は、彼の剣速もさることながら、剣の切れ味の恩恵も大きかった。

 キールの剣で、今まで通り鬼を斬る事ができるだろうかとルシアナは不安になる。

 その頃になって、ようやく森の民も追いついてきた。


「いったいこれは――」

「悪いが、説明している暇はない。援護を頼む! 私が切り落とす腕を、その槍で封じてくれ」


 バルシファルはそう言うと、自分の剣とキールの剣、二本を持って先ほどのように鬼の足を駆け上がった。

 叩き潰そうとする鬼の腕を切り落とし、落ちた腕の断面に、森の民たちは槍を突きたてる。


 そして、腕による攻撃がなくなったバルシファルは、自分の剣で鬼の首を斬り落とし、キールの剣で首の断面を突き刺した。


 黒い血のような液体が断面から噴き出す。


(あれは――呪詛の塊! 蟲毒の術式の中心部っ!)


 ルシアナはそれを見つけると、バルシファルに言われて準備していた、とびっきりの破邪魔法をぶつけた。


「ゴッドホーリーハンマーっ!」


 質量を持たない圧縮された光の塊が、呪詛を噴き出した鬼の首を吞み込んだ。

 すると、鬼の首から噴き出した黒い液体が光の中に掻き消え、浄化されていく。


 そして鬼は動かなくなり、そのまま前に倒れたのだった。


「やったな、シア。まさか、上級破邪魔法をこの短時間で練り上げるとは――」

「ファル様と皆様のお陰です。でも、おかげで魔力が空っぽです」

「ところで、さっきは詳しい事情を聞きそびれたけれど、これは一体どういうことなんだい?」


 笑顔で尋ねるバルシファルに、ルシアナはどう答えていいか迷い、そして森の民も――


「聖女様が乗っておられるのは、もしかして――」

「神獣様ですかっ! 何故、神獣様がお姿をお見せになられたのですかっ!?」


 鬼を倒した喜びより、神獣が姿を現した驚きの方が勝っているようで、こちらもどう説明したらいいかと考えることになった。



 とりあえず、ルシアナはフードで髪を隠し、髪の色を変える腕輪を神獣の腕に装着。

 神獣が見えるのはこの魔道具の力だと説明した。

 毛の色が違うのは、力を使い過ぎただけだと説明するように小声で神獣にお願いし、森の民の長を通じて森の民全体に伝えてもらった。

 そして、キールに攫われたことだが、こちらをどう説明したらいいか?

 そもそも、森の民の村のことを話すわけにはいかない。


 バルシファルにここで見たことを全て黙っていてもらうか、それとも村に関する記憶を消す薬を飲んでもらうことになるかもしれないが、果たして彼が納得するかどうか。

 ルシアナがどうしようかと考えていると――


「私は森の長です。このたびは村を救っていただき、感謝いたします」


 森の民の長がバルシファルに礼を言い、事情を話した。

 バルシファルは黙って森の民の長の話を聞いた。

 森の民のこと、キールがルシアナを攫った理由、鬼と戦うこと、そして神獣のこと。

 とりあえず、鬼がいなくなったことで、蟲毒の呪詛は大きく減少したので、穴の中の術式はルシアナがさっと破壊、浄化しておいたが、結局、いつ、だれが大穴を開けて蟲毒の術式を行ったかはわからなかった。


「森の民以外に外から人が迷い込むことはなかったのですか?」

「過去に何人か、村に迷い込んだ狩人や旅人はいたが、全員薬を飲んで外に帰した。最近も――む?」


 族長が首を捻る。


「どうしたのですか?」

「いや、誰かが最近村を訪れたような気がするのですが、どうも顔が思い出せなくて――」

「そういえば、俺も誰かを案内した記憶はあるんだが……まぁ、怪しい奴じゃなかったのは確かだ」

「まぁ、余所者なら薬を飲ませて外に帰すだけだから忘れるのも無理はないわな」


 と笑って言った。

 ランドが怪しい奴ではないと言うのだから、大丈夫だろうとルシアナは思ったが、どうも気になった。

 バルシファルも険しい顔になる。


「それでは、私も記憶を消す薬を飲んだほうがよいのでしょうか?」


 バルシファルが尋ねると、森の民の長は首を横に振る。


「いえ、必要ありません。それと、バルシファル様は名のある冒険者とお見受けします。それで相談なのですが――」


 森の民の長が言ったのは意外にも、森の民の村を公開し、王都に恭順するというものだった。

 トラリア王国では教会の教えを良しとしているが、他の宗教を禁止しているわけではない。

 神獣様への信仰を失わずに国民として受け入れられることはできる。

 ただ、大きな問題として、今回の病の原因がこの村の土地にあるということを知られたら、森の民が疑われ、迫害されるのではないかという心配があった。


 それに対し、バルシファルは偉い人に知り合いがいるから、その人を通じて穏便に話を済ませると約束してくれた。

 大穴の調査に、恐らく冒険者ギルドも関わることになるだろうから、エグニとルークにも事情を説明して森の民を守るようにお願いしようとルシアナは思った。


「それでは、帰ろうか、シア。皆が心配している」

「はい、ファル様――では、神獣様、腕輪を返してください」


 そう言って、ルシアナは神獣に手を差し出すと、神獣は腕輪をつけていない右前足をルシアナの手に乗せた。


「あの、反対です……」

「わふ」


 もう一度右前足をルシアナの手に乗せる。


「いえ、お手ではなくて」

「わふ」

「おかわり」

「わふ」

「お手」

「わふ」

「おかわり」

「わふ」


 何度やっても右前足しか乗せない神獣。

 森の民たちはというと、「どうやら神獣様はその腕輪が気に入ったようですな」と、恩人のためとはいえ、あくまで神獣ファーストであるという姿勢を貫き、神獣から魔道具を取ろうとはしない。

 ルシアナは我慢できず、前かがみになって手を、神獣の左前脚に手を伸ばしたが――


「わふ」


 頭の上にお手をされて心が折れた。

 もしかしたら、遊んでいるだけかもしれない。


「わかりました、その魔道具は神獣様にお譲りします」


 神獣の姿が森の民に見えるようにするには、この魔道具が必要である。

 宿に戻れば予備の魔道具があるから、それまで髪の色の変化に気付かれなければいいだけの話だとルシアナは諦めた。

 その代わり――とルシアナはフードを深く被り、神獣に抱き着くと、


「最後にもふもふさせてくださいね!」


 と神獣に抱き着き、そのふわふわの毛並みに満足した。

 森の民の一人が「神獣様に無礼なことを」と注意しようとするが、「わふ」と神獣が一回鳴くと、森の民の長がその男を止めた。どうやら、神獣がルシアナにもふもふされる許可を出したようだ。

 そして、ルシアナ、バルシファル、キールの三人は街に戻ることになった。


「ん?」

「どうしました、ファル様」

「いや、ここに子供の足跡があると思ってね。さっきはなかったような気がするんだが」

「あ、本当ですね」


 確かに、離れた場所に子供のサイズの靴の跡があった。

 森の民の子供のものだろうか? とルシアナは思った。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 カールは一人、馬に乗ってきた道を戻っていた。

 彼は見ていた。

 詳しくはわからないが、何故か修道服を着て多くの人に囲まれて幸せそうな顔をしているルシアナの姿を。

 そして、その横にいる男に向けられている視線を。

 カールはその男のことを知っていた。

 彼と一緒にいるのなら、ルシアナは安全だろうと、カールは何も言わずにその場を去ったのだ。

 そして、同時に思った。

 恐らく、彼らは巨大な鬼と戦っていたのだろう。

 そして、それを倒したのがあの男だということをカールは理解した。

 同時に、自分では逆立ちしてもあの巨大な鬼に一太刀を浴びせることすらできないことも。


 西の砦に向かう途中、街道に戻る前にレジーを含む護衛騎士と合流できた。

 どうやら、マーキングサインに気付いたらしい。


「殿下! ご無事でしたかっ! それでは、さっそくヴォーカス公爵令嬢の捜索を――」

「心配かけた。だが、ルシアナは無事だ。西の砦に戻る」

「無事……と申されますと?」

「後で話す――」


 情けないと思った。

 不甲斐ないと思った。

 そして、なによりルシアナが無事でよかったと安堵した。


「レジー、強くなるにはどうしたらいい?」

「……まずは、強い心をお持ちください」

「皮肉か?」

「王家の者としての責務です」


 レジーにそう言われ、カールは思った。

 自分もいつか、あの男のようになりたいと。

 そして、それはきっと不可能なのだろうと。


(それでも――俺はあの男に負けたくない)

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