ルシアナが外遊から帰って一週間後。
再び、シャルドから茶会の誘いの手紙を受け取った。
カールにお礼を言うキッカケができたのは嬉しいが、シャルドとの縁が続いているのが気になる。
前世では一度も茶会に誘われたことはなかったのに、生まれ変わってからというもの、これで三回目の招待である。
「何故、殿下は私を招待するのでしょう? 私のことなんて好きじゃないはずなのに」
「ん? なんで好きじゃないってわかるんだ? 俺にとってはルシアナ様はまだまだガキだが、それでも魅力的な女だって言うのはわかるぜ?」
髪を青色に染め、執事のような服を着ているキールがさも当然のように自分の意見を言う。
彼は現在、ヴォーカス公爵家の使用人見習いとして仮採用中の身だ。ステラの厳しい指導の下、言葉遣いはだいぶよくなったが、二人きりのときは最初に会った頃のようにフランクな感じで話すことを許可している。
ちなみに、髪を青色に染めている理由は、金色の髪は王家や貴族の者に多いから、それに仕える貴族は髪を染めないといけないという暗黙のルールがあるそうだ。
確かに、パーティ会場において髪の色で判断し貴族だと思って話しかけた相手がただの使用人だったりしたら、話しかけた方の人間は赤っ恥である。
別にキールも髪の色にこだわりがあったわけではないので、すんなり髪の色を染めるのに同意してくれて、最初は茶色に染めようとしたそうだが、それだとルシアナを殺そうとしたときの前世のキールを思い出してしまうので、青く染め直すように頼み、今の髪の色となった。
キールに魅力的だと言われたルシアナは、一瞬頬が赤くなったが、それは彼女がキールの恩人補正による過大評価だと思い、自分を正す。
「ありがとう、キール。でも、キールにとっては恩人であっても、シャルド殿下にとっては私はいい婚約者とは言えないもの」
「だとすると評判の問題じゃねぇか?」
「私の評判は悪いはずよ?」
「そうか? 少なくともこの屋敷内だと、ルシアナ様の評判は結構いいぞ? 頻繁に街に遊びに行くのはどうかと思うが、勉強もしっかりしているし、我儘もそんなに言わないし、手作りスコーンも使用人の間で評判がいいしな」
ルシアナは今も、暇があれば自分でスコーンを作り、侍従や使用人に試食してもらっている。
まさか、それだけで評判が上がっているなんて思いもしなかった。
「それでは、お嬢様は悪役令嬢を演じてみてはいかがでしょうか?」
「悪役令嬢……とはなんですか、マリア」
「私が読んでいる指南書に出てくるのです。簡単なあらすじはこうです」
マリアが語った内容は、貴族の学園に通う男爵令嬢の話だった。
男爵令嬢は王太子と知り合い、仲良くなっていくが、それに不満を募らせた王太子の婚約者の公爵令嬢が男爵令嬢に様々な嫌がらせをする。
男爵令嬢への罵詈雑言は日常茶飯事。
ダンスパーティに着ていくドレスを破ったり、わざと躓かせたり、階段から突き落としたりと悪行の限りを尽くす。
それが明るみに出て、王太子は公爵令嬢に対し婚約破棄を突きつけ、王太子は男爵令嬢と結婚する――という物語だ。
「え? それって、婚約者がいるのに男爵令嬢に近付く王子と、それをわかっているのに離れようとしない男爵令嬢に原因はないか?」
キールが率直な意見を言う。
確かにそうなのだが、ルシアナは思う。
きっと、王子にとって公爵令嬢との婚姻は、政治的な意味合いが強く、愛などそこには存在しなかったのだろう。
もしかしたら、まったく興味がなかったと言ってもいい。
そんな時、王子は男爵令嬢に出会い、真実の愛に目覚めたに違いない。
「素晴らしい物語です」
ルシアナは断罪される側の悪役令嬢に共感し、絶賛した。
「つまり、シャルド殿下にも好きな人ができたらいいのですね! それと同時に、私の悪評が広まれば、婚約破棄できると」
「そうなります!」
「マリア、その本を貸していただけるかしら? その悪役令嬢が普段、どんな振る舞いをしていたか見て、練習してみたいわ」
「はい、もちろんです」
ルシアナはマリアから本を受け取ると、その悪役令嬢が出てくるところだけ抜粋して読んでいく。
街に出かけるために大量の課題をこなしているルシアナは、速読のスキルを身に着けていたので直ぐに理解した。
「……ちょっとこれは酷くないかしら? 私、こんなこと誰かに言えません」
「安心してください。お嬢様の暴言は、全てこのマリアが受け止めます! お嬢様は皆がいる前では私一人に冷たくあたればいいのです」
「そんな、マリアに悪いわ」
「大丈夫です、お嬢様の本心ではないことを私は理解していますから、言葉で何を言われようと二人きりの時に優しくしてくだされば――」
「じゃあ、ちょっとだけ試してみます……その、マリア。これからいうことは絶対に本心じゃないから、信じないで下さいね」
ルシアナはそう前置きをして息を整えると、蔑むような目でマリアを見て言った。
「何をしているのよ。部屋が暗いわ。本を読んでいるのですから、早くランプを持ってきなさい。私の目が悪くなったらどうしてくれるの。シャルド殿下の妻となるこの私の目には、この国の将来を見据えるという大事な役目があることくらい、節穴のような目をしているあなたにもわかるでしょ?」
本の中の悪役令嬢のセリフを一部改変して、ルシアナはマリアに言った。
するとマリアとキールは――
「凄いです、お嬢様! まるで本物の悪役令嬢みたいです」
「あぁ、俺も演技だということを忘れるくらいだった」
とルシアナを褒めたたえた……のだが――
(これ、前世の私が本当に言っていたセリフなのよね)
本を読んで気付いた。
それだけではない。本に出てくる悪役令嬢のセリフ、考え方、行動パターン、全てにおいて、前世の婚約破棄される前のルシアナそのものであった。
「では、お嬢様! この部屋以外で私と話すときは、今のように悪役令嬢ルシアナとして接してください」
「……本気ですか?」
「はい! これもシャルド殿下から婚約破棄されるためです!」
「わかりました。ところで、マリア……何故、先ほどからそれほどまでに嬉しそうにしているのですか?」
ルシアナに罵られたマリアは顔がにやけていた。
ルシアナの役に立てたことが嬉しいのかと思ったが、どうも様子がおかしい。
「ええと、その、お嬢様に罵声を浴びせられると、何故か胸の奥からこう――幸せな感情が。いえ、暴言そのものが好きというより、お嬢様は私のことを好きなのに、それでも私のために悪口を言ってくれているというのが嬉しいというか……この感情は一体なんなのでしょうか?」
「きっと、その感情の名前は、まだこの世界にはない名前ね」
ルシアナはマリアの新たな一面を知り、冷や汗を流しながら言った。
その後、マリアへの暴言を実践してみた結果、ルシアナはステラに三時間説教された。
悪役令嬢ムーブは、ステラが引退するまで待った方がよさそうだという結論になった。
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そして、茶会の当日。
残念なことに、カールは訓練のため、顔を出せないということで、使用人に頼んでカールに届けてもらうことになった。
そして、ルシアナはシャルドと向かい合っていた。
「今日はいい天気だな」
いつものように天気の話をシャルドが始める。
ルシアナは、空を見上げ、
「少し雲が多いですわね」
と見たままを言う。
暫くの間、沈黙が二人を襲う。
そして――
「ルシアナは、どういう男が好きなんだ?」
「え? 好きな殿方ですか?」
思いもよらぬ質問に、ルシアナは思わず、聞き返してしまった。
シャルドは頷いて返したので、ルシアナは少し考えて話した。
「そうですね――私が本当に困っている時に手を差し伸べて下さる、強い殿方が好みですわ」
とルシアナは、金の貴公子、そしてバルシファルのことを思い浮かべて言った。
心の中に、一瞬、カールの顔がよぎる。
そういえば、カールも騎士訓練生だから強いし、ルシアナが困っている時に助けようとしてくれた。
年齢はルシアナと変わりないのだが、前世では二十歳になっていたルシアナにとってはかなり年下の子供のように思える。残念だけど、恋愛対象にはならないかな――と思った。
五年後、十年後になるとわからないけれど。
「困っているときに助ける強い男か……それは、冒険者みたいな男か?」
「殿下は冒険者のことをご存知なのですか?」
冒険者そのものについては、シャルドも当然知っていると思っている。
だが、貴族にとって冒険者とは、粗暴で、金のために汚い仕事をこなす野蛮な仕事だと思われている。
実は、商隊の護衛をしたり、騎士が動くほどではないが戦えない者にとっては脅威となる魔物を退治したり、危ない場所に生えている薬草採取をしたりする、人々にとってとても大切な仕事だと知ったのは、前世で公爵家を追放され、ファインロード修道院で洗礼を受けた後のことだった。
シャルドも、てっきり冒険者について正しい知識を持っていないと思っていた。
「俺が好きな女も、冒険者だからな」
「まぁ、そうなのですかっ!」
ルシアナは驚いた。
マリアが言っていた婚約破棄には、ルシアナが悪役令嬢として評判を高める(?)のと同時に、シャルドにも好きな女性を見つける必要があると思っていた。
だが、シャルドが誠実な人間であれば、ルシアナという婚約者がいる以上、他の女性に見向きもしない可能性があると思っていた。
しかし、既に好きな女性がいるとは。
「殿下、私は殿下の恋を心から応援致します! 身分差はあるでしょう。男爵令嬢と結婚するより難しいかもしれませんが、それでも殿下の気持ちを尊重します!」
「……そうか」
「はい。殿下が私に興味がないのであれば、今すぐ婚約破棄でも――」
「いや、婚約破棄は……しない。俺にはまだ……足りないからな。待っていてほしい」
足りないと言われ、何が足りないのだろう? とルシアナは考えた。
そして、理解した。
年齢が足りないのだろうと。
貴族であろうと王族であろうと、結婚するには十五歳の成人を迎える必要がある。
つまり、今、ルシアナと婚約破棄してもシャルドはその冒険者と結婚することはできない。
それどころか、ここで婚約破棄したら、シャルドは別の女性と婚約させられるだろう。
そうなったら、その婚約相手が婚約破棄してくれるとは限らない。
つまり、シャルドはこう言っているのだ。
『俺が十五歳になって冒険者の女と結婚できるようになるまで、防波堤として婚約破棄をしないでくれ』
できることならば、ルシアナは今すぐ婚約破棄されて、公爵家を追放されたいのだが、しかし、考えてみれば、ルシアナが公爵家を追放されたのは、聖女ミレーユによって、ルシアナが王家に仇為す存在だと認定されたからだ。
つまり、ここで婚約破棄されてもルシアナは公爵家を追放されないことになる。
勝手に家を出るという選択もあるが、トラリア王国の法律では、成人していない子供は、親が育てなければいけない義務がある。
婚約破棄された後、公爵家を追放されなかった時のことを考えても、ルシアナは成人していた方がいい。
「わかりました。では、私は殿下が成人するまで待つことにします。それでよろしいですか?」
「ああ――必ず相応しい人間になってみせる。一人前の男になるまで会うつもりはないが、これだけは忘れないでくれ。俺の気持ちは変わらないからな」
「はい、殿下が一人前になる日を待っています」
ルシアナは自分の思惑以上に進んでいることに歓喜したのだった。
あとは、周囲がシャルドの婚約破棄に反対しないように、悪役令嬢っぽい振舞いをしていこうと心に誓った。
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恐らく、ルシアナはいろいろと勘違いしているだろうことをシャルドは理解していた。
いろいろと頭が回る彼女であるが、こと恋愛においてはどうも頭が悪くなることに、シャルドは気付いていた。
そして、シャルドが恋をした天使――あの冒険者はきっとルシアナなのだろうと思っていた。
シャルドは一人王宮内を歩く。
ある男と会うためだ。
その部屋にいたのは一人の青年だった。
「お久しぶりです、シャルド殿下」
「叔父上――どうか、剣の修行をつけてくれ」
「殿下は騎士団の訓練を受けていると聞いています。それでは不満ですか?」
「森の民の件、俺からも陛下に進言させてもらったはずだが」
シャルドがそう言うと、彼の叔父――バルシファルは肩をすくめた。
「私は確かにあなたの母上の弟ですが、いまはただの平民です。殿下には私などよりもっと素晴らしい先生がいると思いますが――」
「残念ながら、叔父上より強い男を俺は知りません」
そして、シャルドは彼を見て言う。
「それに、越えなければいけない目標を、傍で感じていたいのです」
そのシャルドの真剣な表情に「騎士の訓練と違い、かなり物騒な物になりますが、よろしいですか?」とバルシファルも真剣な表情で尋ねる。
シャルドは頷いた。
彼は、あと八年で――彼が成人するまで、越えなければいけない。
バルシファルという大きな壁を。
そうしないと、彼はルシアナと向き合うことができない。
果てしなく長い道のりだということは覚悟しているが、それでも必ず超えてみせる。
窓から空を見上げると、さっきまでの雲はどこかに行き、青空が広がっていた。