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第64話

「という仕返しをしていたんです。誰にも話したことがなかったのですけどね」

「…………興味がありませんわ」


 御者席に座る初老の男――トーマスが、馬車の中で死んだ魚のような目になって外の景色を眺めるルシアナを励まそうと自分の恥ずかしい話を暴露するも、まったくルシアナの心には響かなかった。

 毎晩、恋人を奪った男の庭に発情期の猫を連れて行って嫌がらせをしていたなんて話を聞かされて、すっきりする方がおかしいのだが。


「揺れすぎです。もっと静かに操縦できないのですか」


 さっきまで静かだったルシアナは、突如としてトーマスに怒鳴りつけた。


「申し訳ありません、ルシアナ様。この街道は全く整備されておらず――」

「何故、先に人員を派遣して道の整備をしなかったのですか! それに、何故公爵令嬢の私が乗っているというのに、護衛がいないのは何故ですか!」

「失礼ながら……ルシアナ様はもう公爵令嬢ではありませんから……」


 トーマスの言葉に、ルシアナは「またですか」と思った。

 確かにルシアナは公爵家を追放された。

 だが、それは今だけの話だ。

 きっと、間違いに気付いたシャルドが、修道院までルシアナを迎えに来てくれる。

 そうなったら、ルシアナを公爵家から追放した兄もただでは済ませないつもりだ。


「ふふふふふふ」


 不敵に笑うルシアナに、トーマスは少し――いや、かなり恐怖した。



 そして、ルシアナを乗せた馬車はようやくファインロード修道院へと到着する。

 建物は公爵邸や王都の教会ほどではないが、辺境の教会にしてはかなり大きい。だが、その大きさのせいで維持管理が非常に難しいのか、壁のところどころに中途半端に補修された跡が目立ち、小さなステンドグラスはかなり曇っていて光を通すという大切な役目を失っているように見える。

 何故か教会の周りには小さな畑のようなものがあるが、作物はほとんど育っていない。


「汚い教会ですわね。私に相応しい修道院は他にあるはずよ」


 ルシアナはそう文句を言うが、ヴォーカス公爵の命令である以上、トーマスにはどうすることもできない。

 馬車を降りたルシアナの横に、トーマスは持ってきた荷物を置く。


「それでは、私はこれで失礼します」


 トーマスはそう言うと、深く頭を下げ、馬車に乗って去っていった。

 一人残されたルシアナは、いつになったら出迎えが現れるのだろうかと待っていたが、一向に誰かが現れる気配はない。

 公爵令嬢であったころのルシアナが他の家に訪れたときは、馬車が到着するより前から、出迎えのために主人、使用人含め全員で出迎えるのが当然だった。

 家の前で誰にも出迎えられず、待たされるなんて初めてのこと。

 ルシアナは辛抱できず、


「ヴォーカス公爵家のルシアナ・マクラスが参りましたわよ! 誰もいないのかしらっ!」


 と大きな声を上げてみるも、やはり誰も修道院から現れない。

 普通なら、諦めて修道院の中に入ろうとするのだけれども、ルシアナも意地があったらしい。

 こうなったら根競べだと言わんばかりに、じっと扉を見て仁王立ちで待ち構える。

 待つこと三十分。


「ん? そんなところで何をしてるの?」


 薪がいっぱい積まれている背負子とともに茶色い髪の修道女が現れて、ルシアナに尋ねた。


「ようやく現れましたか。私はルシアナ・マクラス。ヴォーカス公爵令嬢の――」

「あ、ただのルシアナね。話は修道院長から聞いてるわ。部屋に案内するからついてきて」


 そう言って、修道女は修道院の中に入ろうとしたが、それをルシアナが呼び止める。


「ちょっと待ちなさい」

「ん? どうしたの?」

「わからないの? 荷物を運びなさい」


 ルシアナはそう言って、横に置いてある荷物に視線を送る。

 すると、修道女は肩を竦め、


「何言ってるの。自分の荷物は自分で運びなさい」

「なっ!?」

「早くして、私も暇じゃないんだから」

「私を誰だと思っているの?」

「だから、ただのルシアナでしょ? 別に荷物はそのままでいいけど、盗まれても知らないわよ」


 そう言って、修道女は修道院の扉を開けて、中に入った。

 ルシアナは彼女を追いかけて文句を言ってやろうと思ったが、自分の荷物が盗まれるのが嫌で、結局荷物を持って修道院の中に入った。


「待ちなさい! 私の荷物を――」

「はいはい、荷物ね。私にくれるっていうなら貰ってあげるわよ」

「あなた、本当に修道女なのですか! 修道女とは慈悲深いものですわよね!?」

「あなたも今日から修道女でしょ? なら、私に楽をさせる慈悲で自分の荷物は自分で持ちなさい」


 なんて女だ――とルシアナは思った。

 公爵家を追い出した兄よりも腹が立った。

 修道院にいる間は、できるだけ関わらないようにしようとも思ったのだが――


「この部屋よ」

「狭いですわ。それにベッドも小さいですし、クローゼットはどこですか?」

「そんなものあるわけないでしょ? 修道女なのですから、修道服さえあれば十分よ。あと、ここからこっちは私の場所だから、荷物とか置かないようにね」


 そう言って、修道女は部屋の真ん中に見えない線を引いた。

 そこで、ようやくルシアナはベッドが二つある意味に気付いた。


「まさか、あなたと同じ部屋だとでもいうのですかっ!」

「ええ、そうよ。まったく、せっかくいままで一人で部屋を使ってたのに――まぁ、後輩の面倒を見るのも先輩の務めだし」

「断ります! 別の部屋を用意してください!」


 ルシアナがそう言うと、先輩修道女は彼女に近付いてきていきなり頭を叩いた。


「なにをするのですかっ!」

「いや、なんかムカついたから」

「ムカついたから……それで私を叩いたというのですかっ! そんなの――侍従長にも叩かれたことはございませんのに」

「あ、うん。そうだろうね、我儘そうだし。とにかく、ここは修道院だから、我儘ばかり言ってないで、仕事をしてもらわないとね。とりあえず、これに着替えて」


 そう言って、先輩修道女は修道服をルシアナに渡す。

 だが、ルシアナは動こうとはしない。

 自分一人で着替えたことがないというのもあるし、修道服が安い麻布だったことでこんな服を着るのは嫌だという気持ちもあったが、なにより、この先輩修道女の言いなりになるのが嫌だった。


「何してるの、早く着替えなさい。仕事をしないとご飯食べられないよ?」

「必要ありません。どの道、私の口に合う食事とは思えませんし――街に行って一人で食べます」

「お金あるの?」

「お金等、公爵家の名前を出せばいくらでも――」

「いや、近くの町、基本ツケは禁止だし、それにあんた、今は公爵家の人間じゃないでしょ? 食い逃げ犯として捕まるわね」

「……食い逃げで捕まればどうなるのですか?」

「そりゃ――」


 と先輩修道女は笑って言った。


「――死刑に決まってるでしょ」

「死刑っ!?」


 死刑と聞いて、ルシアナはたじろぐ。

 貴族として貴族裁判の陪審員になり、気に食わない罪人がいたら死刑が妥当だと言い放ったこともあったルシアナだったが、自分が裁かれる側だと話は全然違う。

 平民の法について詳しくないルシアナだったため、先輩修道女の話を本気で信じたルシアナは、お金を持ってきていないかと自分の荷物を見た。

 だが、中に入っていたのは洋服や装飾品で、金貨や銀貨どころか、銅貨すら入っていない。


「これでは……死刑に……」


 実際のところ、ルシアナが持ってきた装飾品を売れば、暫くは食事に困らないくらいのお金が手に入るのだが、そもそも彼女の中で、自分の物を他人に売るという発想がなかった。


「まぁ、仕事をしないっていうのなら食事は出ないからね。どうするか、ゆっくり考えな」


 先輩修道女はそう言って、ルシアナを部屋に置いて一人でどこかに去ってしまった。

 こうして、ルシアナの修道院生活は始まったのだった。

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